1983年のゴールデンウィークといえば北海道立旭川南高等学校の学生であり、運動系の部活動などはやっているわけがないので、普通に休日が多かった。ちなみに、西神楽の新校舎に移転してから最初のゴールデンウィークであった。現在も同じ場所にあるのだが、現在は住所が緑が丘に変わっている。まったくの余談だが、私が2017年8月7日に渋谷のヴィレッジヴァンガードで行われたガールズポップユニット、WHY@DOLLのリリースイベントに初めて行った時、サイン会でリーダーの青木千春さんとこれらの地名で盛り上がったことは良い思い出である。
それはそうとして、せっかくの休みなのでなるべく有意義に過ごそうと思っていたのだが、いろいろな女子や男子が当時、豊岡8条1丁目にあった私の自宅にあつまって、レコードやカセットテープを聴いたり、私が調理したマルちゃんソース焼そばの具なしのやつを嫌々食べたりということをやっていたので、おそらく有意義だったのではないだろうか。
東神楽町から通っていた女子の何人かが来ていたのだが、もちろんその中に気になっている人が一人いたからであったのはいうまでもないのだが、中学生の頃に河合奈保子「ラブレレター」のシングルを買ったとか言っていたので、きっと性格が良いにちがいない。彼女の家に遊びに行ったこともあるのだが、昼に町内の有線放送のようなものがかかり、おくやみなどのコーナーもあった。
そのうちの一人がマイケル・ジャクソンの「スリラー」を気に入っていたのだが、少し前まではオフコースのファンだったはずである。「スリラー」はこの前の年の12月にリリースされたので、この時点でちょうど半年が経ったぐらいであった。最初のシングルはポール・マッカートニーとのデュエットで「ガール・イズ・マイン」、これはビデオクリップもなく、全米シングル・チャートで最高3位であった。
音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVが1981年にアメリカで開局し、その影響がヒットチャートにも如実にあらわれはじめていた。日本では小林克也が司会をする「ベストヒットUSA」という番組で、洋楽のプロモーションビデオがいろいろ流れた。現在はMVことミュージックビデオと呼ぶのがポピュラーだが、当時はプロモーションビデオと呼ばれて、その後にビデオクリップと呼んだ方がなんとなくカッコいいという時期があった。ビーター・バラカンの「ポッパーMTV」の雰囲気がそれに相応しい、と個人的には思う。
「ベストヒットUSA」はしばらくは北海道で観ることができず、局に要望のハガキでも出そうかと思っているうちに、1982年の秋からHTBこと北海道テレビでネットされた。その少し前には道内初の民放エフエム放送局、エフエム北海道も開局して、北海道の音楽ファンにとっては、なかなかエポックメイキングな時期であった。
1983年のはじめには、おそらくビデオの効果もあってであろう、カルチャー・クラブ「君は完璧さ」、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」といったイギリスのバンドによる曲が大ヒットして、ここから第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるムーヴメントがはじまる。そして、マイケル・ジャクソンの「スリラー」からは「ビリー・ジーン」「今夜もビート・イット」がシングル・カットされ、印象的なビデオの影響もあって、立て続けに全米シングル・チャートで1位を記録した。「今夜はビート・イット」にはエディ・ヴァン・ヘイレンもギターで参加し、より幅広い層にアピールした。私は「スリラー」を買ってはいなかったが、ダビングしたカセットテープはあったので、それを流していた。
当時、全米シングル・チャートの1位はマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」だったが、日本のオリコン週間シングルランキングでは1位が細川たかし「矢切の渡し」、2位がイエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」であった。当時はベストテン番組がよく観られていて、TBSの「ザ・ベストテン」や日本テレビの「ザ・トップテン」が人気だったが、フジテレビの「ビッグベストテン」は様々な迷走や裏番組が強すぎたこともあり、1クールで終わった。しかし、それは1980年のことである。この年にはテレビ朝日で「ザ・ベストヒット’83」というのもスタートしたのだが、数ヶ月で終わった。司会はビートたけしと小林克也であった。小林克也が「矢切の渡し」を「ヤギリノワターシー」という感じで、英語のように発音していたことだけが、なぜか強く記憶に残っている。
1980年に社会現象化したテクノブームは、この頃にはもう無かった頃になっていると、イエロー・マジック・オーケストラの高橋幸宏が「オールナイトニッポン」で自虐するほどであったが、テクノポップの要素を取り入れたアイドルポップスなどがヒットチャートにいくつも入るなど、その影響は明らかであった。これらは後にテクノ歌謡などと呼ばれ、再評価されることになるのだが、この年にはテクノブームの中心的存在であったイエロー・マジック・オーケストラ自身がテクノ歌謡化し、化粧品のCMソングでもあった「君に、胸キュン。」がオリコン週間シングルチャートで最高2位を記録した。かわいいおじさんというような雰囲気で、まるでアイドルグループでもあるかのようなミュージックビデオにもインパクトがあった。
1970年代後半はニューミュージックが全盛で、アイドルポップスはどこか古臭く感じられてもいたのだが、これを変えたのが1980年にデビューし、ブレイクした田原俊彦と松田聖子であった。1982年にデビューした女性アイドルには人気者が多く、「花の82年組」などと呼ばれたりもした。1981年の秋に「センチメンタル・ジャーニー」でデビューした松本伊代が先陣を切ったが、次にブレイクしたのは中森明菜と小泉今日子であった。他には堀ちえみ、石川秀美、三田寛子などがいたが、私が好きだったのは松本伊代と早見優であり、これだけで当時の女性の容姿的な好みが完全にバレてしまうわけだが、早見優はハワイ育ちで英語の発音がとても良いというところも、個人的にはとても魅力的であった。
郷ひろみがAORのバーティ・ヒギンズをカバーした「哀愁のカサブランカ」をヒットさせたのだが、早見優は3枚目のシングルにしてこれを意識したと思われる「アンサーソングは哀愁」をリリース、これは地味すぎて本人のイメージに合っていないだろうなどと思っていたところ、「あの頃にもう一度」に続いてリリースされた「夏色のナンシー」が快活で素晴らしく、しかもコカ・コーラのCMソングということでヒットした。
シティ・ポップの再評価が近年、進んでいて、その代表作として大滝詠一「A LONG VACATION」(1981年)や山下達郎「FOR YOU」(1982年)が挙げられたりもする。当時、これらのアルバムを流行の音楽としてリアルタイムで楽しんだわけだが、これらのことをシティ・ポップとは呼んでいなかったような気がする。それは、フリッパーズ・ギターのことを「渋谷系」だと思って聴いていた人は当時はいなく、後にそう呼ばれるようになったというのに似ているのだろうか。シティ・ポップと呼ばれていたのは稲垣潤一だとか、それよりも山本達彦のイメージがひじょうに強い。「シティ・ポップの貴公子」などと呼ばれていたような気が、しないでもない。私はそれほど興味はなかったのだが、この年にリリースされた「MY MARINE MARILYN」はわりと気に入っていた。JALの沖縄キャンペーンのCMソングにも使われていて、夏を予感させる内容になっていた。
翌日、やはり東神楽町などから通っていた女子たちと自転車で旭山動物園に行くことになった。東神楽町からしてみると、旭山動物園まで行く途中に、私が住んでいた豊岡8条1丁目があった。それで、待っている間に部屋の掃除をしながら杉真理の「スターゲイザー」を聴いていたのだが、特にビーチ・ボーイズにインスパイアされたと思われる「素敵なサマー・デイズ」が最高で、気分をいやがおうにも高めていったのであった。
プリンスというアーティストについては音楽雑誌などでよく紹介されていて、通好みだというイメージがあった。ラジオで「1999」を聴いたのだが、当時はその良さがよく分からなかった。ロックでもR&Bでもなく、どっちつかずでつかみどころがないという感じであった。しかし、初めて全米シングル・チャートでトップ10入りした「リトル・レッド・コルヴェット」でなんだか少し分かってきた。というか、明らかに異質な存在感を持ちながら、ポップを志向しているようなところがたまらないと思うようになった。独特なヴォーカルも聴けば聴くほどクセになり、とても好きになっていった。それからプリンスは私にとってとても重要なアーティストになっていくのだが、そのはじまりはこの曲であった。
他にはデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」がヒットしていた。歴史的にひじょうに重要なアーティストということはなんとなく知っていたのだが、その全盛期といわれる頃の作品はまだ聴いたことがなく、ナイル・ロジャーズのプロデュースでエンターテインメントに徹したこの曲をリアルタイムで聴いた。その前にクイーンとの「アンダー・プレッシャー」があったが、ソロ作品としてはこれが初めてである。
第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを牽引するカルチャー・クラブとデュラン・デュランはそれぞれアメリカでは2曲目のヒットとなる「タイム(クロック・オブ・ザ・ハート」「リオ」をアルバムからシングル・カットした。「タイム(クロック・オブザ・ハート)」はメロディーが哀愁を帯びていて素晴らしく、ボーイ・ジョージの個性的でありながらエモーショナルなヴォーカルとも相まって、ひじょうに魅力的であった。「リオ」はイントロのシンセサイザーのようなサウンドからすでに新しさを感じ、ビデオのトロピカルな雰囲気もとても良かった。
また、とてもユニークな音楽性なのだがキャッチーさもあり、全米シングル・チャートで最高5位を記録したトーマス・ドルビー「彼女はサイエンス」もまた、当時を思い出させてくれる。









