1982年の3月といえば私にとっては松本伊代「ラブ・ミー・テンダー」を繰り返し聴いて気合いを入れて臨んだ高校入試に合格し、自分へのご褒美的な意味合いで札幌に遊びにいったことが思い出される。すすきのに近い五番街ビルにあったタワーレコードに初めて行って感動し、その後で玉光堂に行って「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を買った。当時のタワーレコードは輸入盤専門店で、日本人アーティストのレコードは(輸入盤を除いて)扱っていなかった。
ビーチ・ボーイズが好きな叔父の家に泊めてもらい、居間のステレオで「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を聴いた。1曲目の「A面で恋をして」は前の年の秋にシングルでリリースされ、化粧品のCMに使われたこともあってヒットしていたので、すでに知っていた。この曲だけ大滝詠一、佐野元春、杉真理の3人で歌われていて、他にはそれぞれのソロ曲が4曲ずつ収録されている。
佐野元春の「彼女はデリケート」は以前に観たテレビのライブ映像ですでに知っていたが、アレンジが変わっている印象を受けた。杉真理のことは「ナイアガラ・トライアングルVol.2」までまったく知らなかった。「真理」という漢字の名前は「まり」と読む場合が多く、だいたい女性なのだが、「まさみち」と読んで男性だということを知った。「ナイアガラ・トライアングルVol.2」のメンバーには当初、北海道出身のシンガー・ソングライター、五十嵐浩晃の名前が上がっていたのだが、「ペガサスの朝」が大ヒットしたために見送られたという話もあったような気がする。「ロング・バケイション」の「FUN×4」で月に吠えている男の声は、五十嵐浩晃で間違いないようだ。
それはそうとして、「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を頭から聴いていて、最初に収録されている杉真理のソロ曲が「Nobody」である。ビートルズみたいでカッコいいと思った。とはいえ、私はこの時点でビートルズのレコードを1枚も持ってはいなく、テレビやラジオや中学校の教室で聴いたイメージでしかない。甘い歌声もとても魅力的だと思った。「君の喋る言葉の半分は意味がない」というフレーズがビートルズ「ジュリア」からの引用であることを知るのはずっと後になってからである。
次に収録された「ガールフレンド」は失恋を歌った切ないバラードで、15歳だった私の心にも響きまくった。シングル・カットされた「夢見る渚」は大滝詠一や山下達郎の作品にも通じる海辺のサウンドトラックという側面もあり、とても気に入った。レコードではB面の1曲目に収録された「Love Her」も失恋をテーマにしていて、とにかくメロディーが素晴らしく、構成も素晴らしいと思えた。
高校に入学すると同じ学級に「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を特に好んで聴いている男子が他に2人いて、私がこのアルバムに参加する前からの佐野元春ファンだったのに対し、それぞれが大滝詠一、杉真理を特に好んでいて、役割分担ができていた。私は「ナイアガラ・トライアングルVol.2」の2ヶ月後のリリースされた佐野元春のアルバム「SOMEDAY」のレコードを買ったのだが、杉真理の「OVERLAP」は友人から貸してもらった。「Catch Your Way」という曲はテレビのCMで聴いたことがあると思った。「Catch Your Way 捜し求めて Catch Your Way 君だけのフリーウェイ 答はすぐそこさ」というところが印象に残っていて、自由や未来への希望を感じさせる良い曲だなと思っていたのだった。他にもこのアルバムにはとても良い曲がたくさん収録されていた。
「ナイアガラ・トライアングルVol.2」はオリコン週間アルバムランキングで最高2位を記録したヒットアルバムでもあったため、聴いていたのは私達のようなそれぞれのアーティストやこういった音楽の熱心なファンばかりというわけではなかった。
たとえば旭川スタルヒン球場に高校野球の予選の応援に行った時、学級ではツッパリグループに属しているような男子がヘッドフォンステレオを聴いていて、何を聴いているのか尋ねると、それが「ナイアガラ・トライアングルVol.2」だったこともあった。そして、「特にあれが良いよな」と言った後で、「街が眠り始めて〜」と「Nobody」の出だしを歌いはじめた。
また、高校で同じ学級になった男子のうちの1人が、私が中学生の頃から大好きだった平和通買物公園の焼そば店の息子だったと知って感激したのだが(何度か無料で食べさせてもらった)、彼は大滝詠一のことを「オオタ・ケンイチ」という名前のアーティストだと思ったまま、どこかから回ってきたこのアルバムのカセットを聴いていたようだ。
佐野元春には女子にもとても人気があった。個人的な印象としては、活発で遊んでいる系の女子が
佐野元春、内気なタイプは小田和正を好んでいたような気がする。
1982年という年は女性アイドルがたくさんデビューして、その中から人気者も多数輩出したことでも知られている。この年にデビューした女性アイドルをまとめて「花の82年組」と呼んだりもする。最も成功したのは中森明菜や小泉今日子だと思うのだが、私が個人的に好きだったのは松本伊代と早見優であった。松本伊代のデビュー・シングル「センチメンタル・ジャーニー」が発売されたのは1981年の秋だが、各音楽賞においては1982年の新人として扱われるため、「花の82年組」の一員とされている。早見優はファンクラブにも入っていて、私がビーチ・ボーイズを聴きはじめたきっかけは、ハワイ育ちの彼女が好きなアーティストとして挙げていたことである。
堀ちえみもこの年にデビューした人気アイドルの1人で、3枚目のシングル「待ちぼうけ」は待ち合わせの場所に恋人が来ない不安について歌われたものだが、付けていたディズニーウォッチが2時間進んでいただけだったという身も蓋もないオチが付いている。作詞・作曲は杉真理とも親交があった竹内まりやである。
この年の秋、堀ちえみはグリコセシルチョコレートのCMに出演するのだが、原宿駅の前で制服姿で傘をさし、恋人を待つのだがなかなか来ないという、「待ちぼうけ」の世界を彷彿とさせるようなものであった。そのバックグラウンドで流れていたのは「待ちぼうけ」ではなく、杉真理の「バカンスはいつも雨(レイン)」であった。
リバプールサウンドからの影響が感じられるポップ・チューンであり、これはレコードを買った。翌年の春にはこの曲も収録したアルバム「スターゲイザー」が発売され、佐野元春のベスト・アルバム「No Damage」と同じ日だったのだが、頑張って両方とも買った。これが素晴らしい曲が詰まったポップスの玉手箱とでもいうべき作品であり、とにかく聴きまくった。
「懐かしき80‘s」という曲が収録されていて、より暗くなった時代から輝いていた1980年代を懐かしむという内容になっている。この曲がリリースされたのは1983年であり、1980年代を懐かしむのはまだまだずっと先のことである。つまり、この曲は近未来を描いているのである。それでも未来はもっと明るく希望に満ちたものであると何となく思っていた16歳の私は、この曲にそれほどリアリティーを感じていなかった。
それから数十年かが経ち、久しぶりにこの曲を聴いた時に1980年代が終わってから書かれた曲だとしてもまったく違和感がないことに驚いた。「映画館から夢が生まれていたあの頃 誰もが踊ったシーズン パラダイスさ」というような歌詞を過去を美化するのではなく、その最中にいながら書いていたというのがすごい。そして、「もう世界は壊れたTV 直らないさ」という現実の認識についても深く感じるものがある。
「内気なジュリエット」を田原俊彦にカバーしてほしいという投稿を「オリコン・ウィークリー」で読んだような気がするが、これは本当に実現してほしかった。そして、「素敵なサマー・デイズ」はビーチ・ボーイズから影響を受けた日本のポップ・ソングの中でも私が特に好きな曲である。
5月のある休日に4人の女子達と一緒に自転車で旭山動物園に行くことになっていて、その中に秘かに好きな人がいた。部屋の掃除などをしながら彼女達が来るのを待っていたのだが、その時に部屋でかけていたのが「スターゲイザー」であった。とても良く晴れた日で、父は庭の手入れをしていた。「素敵なサマー・デイズ」を聴くと、いまでもあの時のウキウキした気分がよみがえってくる。

