80年代前半ぐらいの糸井重里の思い出について。 | …

i am so disapointed.

糸井重里の名前をいつどのようなきっかけで知ったのかを、いまとなっては思い出すことができない。しかし、初めて買った本なら覚えている。「私は嘘が嫌いだ」というタイトルで、内容はすべてが嘘の話であった。面白かった。買ったのは1982年の春、旭川のマルカツデパートの中の冨貴堂書店でだったと思う。

 

当時はソフトカバーのユーモラスなエッセイのようなものが流行っていて、椎名誠、嵐山光三郎、南伸坊、村松友視などのものが出ていたと思う。話の特集から出版されていた「私は嘘が嫌いだ」も、そういうののうちの一冊だったような気がする。糸井重里のことはこの頃にはもう、沢田研二の「TOKIO」を作詞した人だということは知っていて、この少し前から雑誌「ビックリハウス」を読みはじめていたので、人気連載「ヘンタイよいこ新聞」の人だということも知っていたはずである。

 

それ以前にベストセラーになった矢沢永吉の「成りあがり」や、宮崎美子が出演して話題になったカメラのCMコピー「いまのキミはピカピカに光って」なども糸井重里によるものだったということを、おそらく当時はまだ知らなかったのではないだろうか。

 

1980年はイエロー・マジック・オーケストラのテクノポップが社会現象化し、田原俊彦、松田聖子などのデビューによりヒットチャートに新しいアイドルポップスが復活し、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、島田紳助・松本竜介などの漫才師が若者の憧れの的となった。年代が変わったと同時に、時代がライトでポップな感覚を求めはじめたようにも思えた。幕開けとして印象深いのは元旦にシングルがリリースされた沢田研二の「TOKIO」であり、作詞は糸井重里である。

 

それ以前に、旭川のごくローカルなネタではあるのだが、1979年に駅前の西武百貨店の隣にamsというデパートが開店した。旭川緑屋ショッピングセンターの略で、イメージカラーは緑だったような気がする。翌々年には西武百貨店に統合され、A館となるのだが、開店当時のコピーは「女、キラキラ。男、そわそわ。」であった。これは当時、中学生だった私もよく覚えているのだが、このコピーを書いたのが糸井重里で、矢野顕子が歌ったキャンペーンソングも非売品7インチ・シングルとしてのみ制作され、しばらくレア音源であった。旭川の西武百貨店は2016年の秋にその長い歴史に幕を下ろすのだが、その翌々月にリリースされた矢野顕子のベスト・アルバム「矢野山脈」の初回限定盤において、「女、キラキラ。男、そわそわ」は初めて一般流通盤として正式に発売されたのであった。

 

それはそうとして、1982年頃において、糸井重里はまさに時代の寵児という感じであった。パルコの「不思議、大好き。」「おいしい生活。」といったコピーは時代の気分ともマッチしていたような気がする。この年の4月からはNHK教育テレビで「YOU」という番組の総合司会を務め、これも若者に大人気であった。RCサクセションのライブを放送していた回が特に印象に残っている。日本のサブ・カルチャーにおける人気者といえば坂本龍一や忌野清志郎であり、2人がデュエットしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」はオリコン週間シングルランキングで1位を記録した。

 

当時のサブカル少年少女に人気があった雑誌といえば「ビックリハウス」と「宝島」である。「宝島」には人気アーティストやクリエイターのロング・インタヴューが掲載されていて、それをまとめた単行本も出ていた。タイトルは「ザ・ヒーローズ」で、RCサクセション、坂本龍一、細野晴臣、桑田佳祐、ビートたけしらと並び、そこには糸井重里の名前もある。それぐらい人気があった。

 

糸井重里によってコピーライターという職種の存在を知った人も少なくはなかっただろう。一時期、若者の憧れの職業ともなり、素人が業界誌の「ブレーン」などを買って読むなどというよく分からないことになっていた。

 

1982年といえば中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優など、人気アイドルがたくさんデビューした年でもあり、彼女たちを総称して「花の82年組」などと言ったりもした。松本伊代はその前の年の秋にデビューしていたが、音楽各賞においては1982年の新人という扱いになっていたため、「花の82年組」の1人と考えられている。

 

3、4枚目のシングル「TVの国からキラキラ」と「オトナじゃないの」、そして、アルバム「オンリー・セブンティーン」に収録された「魔女っ子セブンティーン」も糸井重里の作詞である。私が80年代のアイドルで最も好きなのは松本伊代なのだが、どこまでも表層的なところがたまらなく良く、特に糸井重里が作詞をした曲を歌っていた、この時が最強だったと思う。

 

この頃、糸井重里の本はすべて買っていたし、「YOU」も特別な用事がない限りは欠かさず観ていた。本当にカッコよくて、憧れの存在だった。

 

「ビックリハウス」で連載されていた「ヘンタイよいこ新聞」を単行本化したものを、いまでも捨てずに取ってある。この本の中では数々の著名人がコメントを寄せているのだが、タモリは「あの人がいたすことは、全部、ナウイとしか見えない」、篠山紀信は「世の中を、今現在正確に見ている比類なき人」、田原俊彦は「21世紀のスーパースター ひらめく才能 ガンバレ!糸井重里」、これらはすべて、当時の糸井重里の存在感を正確に記録しているように思える。

 

その後も、「週刊文春」に連載した「萬流コピー塾」、ファミコンソフトの「MOTHER」、インターネットサイトの「ほぼ日刊イトイ新聞」など、その時代にマッチしたヒットを、次々と生み出していった。中でも個人的に特にすごいと思ったのは、糸井(イトイ)と読むことができる「1101.com」というURLを取得したことである。

 

大人になってからは特に熱心にフォローしていたわけではないが、糸井重里は私にとっておそらくとても影響を受けたカッコいい人、という認識ではあったはずである。

 

しかし、現在はそうではない。むしろ、そのツイートやリツイートに込められたであろう意図を、害悪とすら思っている。

 

何が変わったのかというと、それはいろいろなのだろう。

 

糸井重里の本を読み、憧れてもいた高校生の頃、それからその後、しばらくの間、自分が快適なことだけをやって生きることが素晴らしく、それを目指すべきだと考えていた。

 

その頃、「ロッキング・オン」などで好きなイギリスのアーティストのインタヴューを読むと、マーガレット・サッチャー首相にブチ切れている場合が比較的、多かった。当時、その感覚がよく分からなかったのだが、それから数十年が経ち、そして現在も十分に理解することができる。何がどう変わったのかというと、それはいろいろなのだろう。

 

正義の敵は悪ではなくて、また別の正義である、というような言い回しがある。一見、もっともらしいようにも思えるのだが、現在の私はそれをクソ相対主義と呼ぶ。せいぜいがここ10年以内でのことである。

 

糸井重里はいくつかのツイートから判断するに、正義という概念を忌み嫌っているようにも思える。

 

たとえば、「そうか。犬も猫も、告発したりじぶんこそが正義だと言い募ったりしないんだ。ああ、大好きだ」、それから、元々は2011年の東日本大震災の少し後にツイートされ、新型コロナウィルスによって多くの人々が不安を感じているであろう最近になってあえてリツイートをしたと思われる、「ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、(中略)『より正義を語らないほう』を選びます。(以下略)」というのがある。日本人のある一定の層に蔓延しているとも思われる、正義フォビアとでもいうべきものの典型例のようにも思われる。

 

これが糸井重里が法政大学に在籍時に学生運動に従事したことによって、複数回の逮捕経験を持ち、それから中退した後に高度消費社会の恩恵もあり、コピーライターとして成功したという個人的な体験とどの程度の関係があるのかは定かではない。

 

正義の暴走が間違いを起こす可能性があり、それに対する歯止めなのだという意見があり、それの意味するところも何となく理解はできるような気もするのだが、現状、あからさまな悪が暴走しているように少なくとも私には見え、それを止めるのは正義でしかないし、その定義というのはだいたいで良い、というのが一個人としての私のスタンスである。

 

たとえば、電車内や社内などで、性犯罪や性的嫌がらせ、人種差別などが行われている現場に出くわしたとする。当然、私は何らかの直接的な行動に出る。それが、悪だと確信しているからである。ちょっと待てよ、一見、加害者のように見えている彼にも、実はここに至る要因があるのかも、などということは考えない。とにかく、被害を最小限に抑える。これは反射神経のようなもので、ごく一部の才能に恵まれた人でもない限り、咄嗟には出来なかったりもする。私自身もそのような悔しい経験を経て、鍛錬を積んで現在に至る。社内とかであった場合には、それなりのポジショニングだとか人脈づくりだとかキャラ立ちだとかはある程度、必要である。

 

もちろん、政治的文脈と自分自身を切り離して、趣味だとか自分が快適だと思えることだけに没頭できたとするならば、それはそれで楽しいのだろう。かつて、日本にも国民のほとんどがそうだと思えた時代があり、それは私が糸井重里の本を面白おかしく読んでいた時代で、そこでは貧困が二度と繰り返されない過去のものとして、マイルドに茶化されていたようにも記憶している。

 

物事を真面目に考えたり、素人が政治的な発言をしたりすることがダサくてカッコ悪いという風潮が80年代の経済的にイケイケで、一億総中流とかいわれていた時代には確かにあったし、私もそれに与していたことを否定もなにもしないのだが、もはやこの国が置かれた状況というのはまったくそういうものではなく、それに応じて意見やスタンスが変わることは至極当然、と私は考える。逆に変わらないのだとしたら、それはそれで本人にとっては幸せなことなのだろうし、それについてとやかく言うつもりもない、というか、自然と淘汰されていくのだろう。それが起こっているのがいま、ということであり、影響を受けたり憧れていた、しかもいま現在も逃げ切り的に、この国がおかれた負の部分にふれずに済んでいる人達にとっては耐え難いことなのだろう。

 

それはなんとなく分かるような気もするだけに、心苦しい。

 

とはいえ、それに対する違和感や憤りといったものは至極真っ当だと私には思えるし、それにあたり、確かに偉大ではあった、と私は個人的には思う過去の業績や功績にに対する敬意などなくても、「そんなもん知らんし」で済まされると、私は考える。趣味や嗜好というようなものではなくて、生活や生存についての話だからである。

 

私自身は確かに変わった。変節した。しかし、それは時代の状況に対応したアップデートだと考えていて、完全に正しいと思っている。だから、かつての功績は素晴らしいところもあるし、個人的にも好き、いまでもその良さは分かるし黒歴史になどしない。しかし、いま現在については、ほぼ全否定というスタンスである。

 

まったくの余談だが、私はブログやSNSで嫌いなものについてはなるべく語らないようにしている。それは趣味の問題であり、もしも私が好きなものや人について、同様の意見を見たならば不愉快や不機嫌になるからである。趣味である以上、ただ自分のテイストに合わないだけであり、それだけの動機で他人を不愉快や不機嫌な気分にするには値しない。しかし、たとえばこのブログやTwitterアカウントのプロフィールにも明記しているように、ファシズム、レイシズム、セクシズムについては人類の敵であり悪であると認識しているので、いくら好きなアイドルやアーティスト、音楽や映画の趣味が似ていたとしたところで、趣味よりももっと重要な部分において認めることができないので本当の話はできない。条件反射的かつ思慮深く、ちゃんとブチ切れておくことにしている。

 

要は嫌いだったり好みに合わないものについては、他に好きな人がいるのだろうし、これが流行ったり売れたりしたところで、社会に悪影響はおそらくあたえないという信頼ゆえなのである。

 

にもかかわらず、さすがにこれは酷いだろうとわりと真剣に考えているのが、今回、ここで書こうと思った主な理由である。

 

あと、犬のことはよく知らないが、少なくとも猫はひじょうに強く「告発したりじぶんこそが正義だと言い募ったり」しているような気が個人的にはしていて、ここがたまらなく愛おしいと思えるのである。