1981年5月16日頃の記憶。 | …

i am so disappointed.

1981年5月16日は土曜日で、フジテレビのバラエティー番組「オレたちひょうきん族」がはじめて放送された日だという。私はこれを修学旅行の宿泊先のホテルで観たような気がするのだ。といってもじっくりと鑑賞したわけではなく、当時の漫才ブームで人気の芸人たちが一堂に会しているな、というような印象を持った程度である。

 
中学校の修学旅行は確かにその頃に行われていて、行った先は函館であった。当時、私が生活していたのは旭川であり、修学旅行なのに同じ都道府県内なのかとも思われるかもしれないが、距離や所要時間はかなりのものなので、これは妥当だったと思うのである。親からは修学旅行用にお小遣いをもらっていたのだが、私はカシオのワンキーボードと呼ばれている安価なキーボードがどうしても買いたかったので、ほとんどお金を使わなかった。家族への土産すら買わなかったのだが、実は妹がとても楽しみにしていて、小学校の修学旅行のお土産を取り出してきたりもしていたと母から聞いて、悪いことをしたと思った。
 
修学旅行では宴会場のようなところで生徒によるかくし芸のようなものも披露されたが、普段は真面目そうな他のクラスの男子生徒がサングラスをかけて寺尾聰「ルビーの指環」を歌っていた記憶がある。
 
当時のオリコン週間シングルランキングを見ると、寺尾聰が1位の「ルビーの指環」をはじめ、「シャドー・シティ」「出航」と3曲を20位以内にランクインさせている。「出航」はオリコンでは最高位が11位だったが、TBSテレビの「ザ・ベストテン」では10位以内に入り、3曲同時ランクインを達成したはずである。
 
旭川に戻ってきた日の天気は、曇りだったような気がする。週末に「オリコン・ウィークリー」を買うのと、「ミュージック・ラボ」の付録で自由に取っていくことができるビルボードのチャート表を取りにいけなかったので、ミュージックショップ国原でそれらの用事を済ませた。シーナ・イーストン「9 to 5 (モーニング・トレイン)」のシングル盤を買った。シーナ・イーストンはイギリスで「モダン・ガール」「9 to 5 (モーニング・トレイン)」が全英シングル・チャートでトップ10入りして、シンデレラ・ガール的な扱いを受けていた。日本でも「モダン・ガール」が先にリリースされ、ラジオでもよくかかっていた記憶があるが、アメリカでは「9 to 5 (モーニング・トレイン)」の方が最初のシングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位を記録した。アメリカでのタイトルは「モーニング・トレイン(9 to 5)」だったのだが、これはこの少し前に全米シングル・チャートで1位に輝いていたドリー・パートン「9時から5時まで」との混同を避けるためだったようである。
 
小学生の頃からの友人で、日曜日などに家に遊びに行き、お互いのレコードを聴かせ合うということをやっていた同級生とその時、一緒だったのだが、大滝詠一の「君は天然色」の話をしたことを覚えている。この年の3月21日にアルバム「ロング・バケイション」が発売され、「君は天然色」はその1曲目に収録されていた。シングルでも同日にリリースされたのだが、オリコン週間シングルランキングでの最高位は36位とそれほど大きなヒットにはなっていない。それでも、この曲はよくラジオでかかっていた。毎週購読していた「オリコン・ウィークリー」にはシングルやアルバムの売上ランキング以外にも、有線放送やラジオの放送回数など、様々なランキングが掲載されていた。「君は天然色」はラジオの放送回数のランキングでかなり上位に入っていて、そのことについて話したような気がする。当時ははっぴいえんどというバンドのことも、大滝詠一がどのような経歴を持つアーティストなのかもまったく知らず、純粋にラジオから流れてくるポップスとして認識していた。「ロング・バケイション」にしてもいきなりすぐに売れたわけではなく、少しずつだったような気がするのだが、最終的にはオリコン週間アルバムランキングで最高2位、年間ランキングでも寺尾聰「リフレクションズ」に次ぐ2位の大ヒットとなった。イエロー・マジック・オーケストラを中心とするテクノブームだった1980年から一転し、1981年はシティ・ポップ的なサウンドが大衆に浸透したともいえるだろうか。「オレたちひょうきん族」のエンディング・テーマには、5月30日放送の第2回からEPOの「DOWN TOWN」が起用された。山下達郎、大貫妙子らが在籍していたバンド、シュガー・ベイブのカヴァーである。
 
シティ・ポップという呼び名は当時はまだ存在していなかったような気もするのだが、後にそう呼ばれるような音楽の浸透ははAORやフュージョン的な洋楽の流行とも共通する、この時代の気分だったような気がする。このようなムードをすくい上げた作品として、田中康夫のベストセラー小説「なんとなく、クリスタル」があり、BGMはやはりAORであった。この小説を原作とした映画には女優のかとうかずこが主演していたのだが、この作品で私ははじめて「スパゲティーバジリコ」という料理の存在を知った。「クリスタル」という単語は広く用いられるようになり、グローヴァー・ワシントンのアルバム「ワインライト」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」には、「クリスタルの恋人たち」という邦題がつけられていた。
 
この頃、毎週土曜日の楽しみといえばミュージックショップ国原で「オリコン・ウィークリー」を買って、ビルボードのチャート表を取ることだけではなく、その前に学校から帰ると昼食を食べて、「お笑いスター誕生」を観るということもあった。修学旅行の週は観られなかったのが、ビデオに録画していたので、帰宅してからそれを観た。大好きだった九十九一が前週に10週勝ち抜き、B&B、おぼん・こぼん、ギャグ・シンセサイザーに続くグランプリを獲得していた。九十九一のことはかなり好きで、岐阜放送のラジオ番組を長距離受信して聴いていたりもした。その後、上京してTBSラジオの「パックインミュージック」や、フジテレビの「笑ってる場合ですよ!」などにも出演していた。「パックインミュージック」にはハガキや封書で投稿し、何度か読んでもらったこともあった。この週の「お笑いスター誕生」ではシティボーイズととんねるずが6週目、アマチュアのひかる・てるおが1週目を勝ち抜いていた。横山たかし・ひろしは6週目、立川レーガンは4週目で敗退している。立川レーガンは当時のアメリカ大統領、ロナルド・レーガンにちなんでいると思われるが、現在は快楽亭ブラックとして活動しているようである。
 

 

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