1980年12月9日だったと思うのだが、中学校から帰り、茶の間のテレビをつけると午後のワイドショーを放送していて、ジョン・レノンが亡くなったことを報道していた。
その年のおそらく春だったと思うのだが、私は中学校の近くの時計店でポール・マッカートニー「カミング・アップ」のシングル盤を買った。ラジオで聴いてカッコいいと思ったのと、そろそろ洋楽のレコードを買う時期ではないかと思ったからだ。そう、これが私にとってはじめての洋楽のレコードだったのだ。ポール・マッカートニーはこの年の1月に来日公演を予定していたが、大麻を所持していたことによって税関で逮捕された。このことは、新聞などでも大きく報じられた。当時、「中二病」という言葉はおそらくまだ存在していなかったのだが、症例の1つとして「洋楽を聴きはじめる」というのがあるらしい。私もちょうど中学2年になったばかりであり、そういう悪いことをして逮捕されたアーティストのレコードを買うという行為自体にも、付加価値を感じていたのであった。
とはいえ、ポール・マッカートニーがかつて所属していたビートルズの音楽を聴くようにはならず、当時の全米ヒット・チャートをなんとなくチェックするようになった程度であった。ジョン・レノンは長い間、作品を発表していなかったが、いよいよ沈黙を破ってシングル「スターティング・オーヴァー」、妻であるヨーコ・オノとのアルバム「ダブル・ファンタジー」をリリースし、その矢先の悲劇であった。
世界やポピュラー音楽界にとってとても悲しい事件なのだとは思ったのだが、当時の私には深い悲しみに暮れるほどの思い入れに著しく欠けていた。
当時、私の周囲にもビートルズを聴いている者がいないでもなかったが、これは偶然かもしれないが、ロックは基本的にくだらないがビートルズだけは認めてやってもいいとでもいうような、いけ好かない感じが見られたため、なんとなく聴く気になれなかった。また、英語の教材のカセットにもよく知らない人が歌ったビートルズの曲が入っていたりして、そういう教材になるような曲は基本的にくだらないという先入観があったりもしたので、余計に縁遠くも感じていた。
テレビで観たジョン・レノン死亡のニュースでは、「スタンド・バイ・ミー」の映像が流れていた。ジョン・レノンが1975年にリリースした「ロックン・ロール」からシングル・カットされた、ベン・E・キングのカヴァー曲である。しかし、当時の私はそんなことは知らないので、おそらくこれがジョン・レノンの代表曲なのだろうと思って観ていた。ジョン・レノンが作った曲ですらないあのビデオがなぜニュースで流れたのかというと、おそらくあれが放送局のライブラリーにあった最新のジョン・レノンの映像だったからではないか、というような気もする。
「スターティング・オーヴァー」はジョン・レノンが亡くなった後で全米シングル・チャートの1位になり、翌年のお年玉で私は「ダブル・ファンタジー」のLPを買うのだが、A面の2曲目に収録されたヨーコ・オノの「キス・キス・キス」は中学生男子にとってはやや刺激的すぎるセクシーな内容であり、聴いている時に親が部屋に入ってきたら気まずくなること必至の内容だったため、それほど頻繁には聴かなかったような気がする。年末にNHK-FMで放送されたジョン・レノンの特集をカセットテープに録音していて、それはよく聴いていたので、ジョン・レノンの代表曲についてはなんとなく把握した。そして、「スタンド・バイ・ミー」がカヴァー曲であったことも知った。
薄暗いスタジオのようなところでヘッドフォンをしながらシャウトするサングラス姿のジョン・レノンが、強く印象に残っていた。「スタンド・バイ・ミー」というタイトルでもあるフレーズを、繰り返しシャウトしていた。
「スタンド・バイ・ミー」が収録されたアルバム「ロックン・ロール」は、カヴァー・アルバムである。元々はジョン・レノンがビートルズ時代に書いた「カム・トゥゲザー」がチャック・ベリー「ユー・キャント・キャッチミー」にひじょうによく似ているということで訴えられそうになるのだが、そうしない条件として、ジョン・レノンの次のアルバムにその作曲者による楽曲を収録することが条件づけられた。フィル・スペクターのプロデュースによってレコーディングは開始されたが、アルコールの影響や奇行などによって、それほど捗らなかったのだという。その上、フィル・スペクターがマスター・テープを持ったまま交通事故に遭うなどして、制作は中断されてしまった。
「ロックン・ロール」がレコーディングされたのは1973年から翌年にかけてだというが、当時は映画「アメリカン・グラフィティ」のヒットなど、古き良きアメリカを懐かしむような風潮が世間一般にもあったようで、このアルバムのコンセプトはそのようなトレンドにも合っていたようである。
その後、マスター・テープが戻ってきて、ジョン・レノンのプロデュースによって追加の曲がレコーディングされ、1975年になってやっとリリースされたのだという。「スタンド・バイ・ミー」はアルバムからの最初のシングルとしてカットされたが、全米シングル・チャートでは1975年4月26日付で記録した20位がピークであり、それほど大きなヒットにはならなかったようである。全英シングル・チャートでは、最高30位となっている。
「ロックン・ロール」のレコードは1980年代の情犯に、西武ライオンズが優勝した時などに六本木ウェイヴのエントランスでよく行われていたワゴンセールのようなもので買った記憶がある。ロックンロールのクラシックスがジョン・レノンによってカヴァーされているのだが、A面の1曲目はジーン・ヴィンセントがオリジナルの「ビー・バップ・ア・ルーラ」であった。ジーン・ヴィンセントのシングル盤は、なぜか昔から実家にあった。父が若かりし頃に買ったと思われるレコードが実家にはたくさんあったのだが、その多くはムード・ジャズ的なものであったり、登山をする人が聴いたり歌ったりするらしい曲のソノシートだったりした。エルヴィス・プレスリーもチャック・ベリーもなかったのだが、なぜかジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」はあって、子供の頃からステレオでかけて、弟と一緒に「ビーバッパルーラ」などと盛り上がっていた。「ロックン・ロール」のジャケットは、1980年代のはじめに私が洋楽のレコードを買いはじめた頃、ミュージックショップ国原や玉光堂の輸入盤コーナーでもよく見かけた記憶がある。
大学生になり、ポップスの名曲や名盤を買い集める中で、ベン・E・キングによる「スタンド・バイ・ミー」も手に入れることになるのだが、その少し後にスティーヴン・キングの小説を原作とした映画「スタンド・バイ・ミー」が公開され、ヒットすると同時に、主題歌として使われていたこの曲もまたリバイバルした。また、その少し前にはアース・ウィンド・アンド・ファイアーのモーリス・ホワイトがカヴァーしてもいた。
この曲は黒人霊歌からインスパイアされ、ベン・E・キング、ジェリー・リーバー、マイク・ストーラーによって書かれたが、当初はベン・E・キングがメンバーでもあったR&Bヴォーカル・グループ、ドリフターズへの提供曲のつもりだったのだという。
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