ベビースターラーメンとカウチポテトについて。 | …

i am so disappointed.

セブンイレブンに行くと、ベビースターラーメンが売られていた。お馴染みの白い袋の隣にオレンジ色の袋のものも陳列されている。これはたまに見かけることがある。「期間限定」で「辛口スパイシーチキン」味だとも表記されていて、袋の裏面によると「初代ベビーちゃん」であるらしい、子供のイラストが描かれている。手に持ったラーメン丼が大きく描かれているのだが、その中にはベビースターラーメンが入っているようだ。ここだけ写真が使われている。かつてはこの部分が透明になっていて、実際に中に入っているベビースターラーメンを見ることができたような気がする。

 

私が子供の頃にはじめて食べたベビースターラーメンがこれに近いパッケージであり、これはその復刻版のようでもある。しかし、当時はベビースターラーメンではなくベビーラーメンという名称であり、メーカーもおやつカンパニーではなく松田産業有限会社であった。その独特な味と風味を私は幼い頃から好んでいたが、1985年の初夏に東京都文京区の大橋荘でチキンラーメンを食べた時に、わりとよく似ているのではないかと思った。

 

チキンラーメンはインスタントラーメンのパイオニア的存在であるが、私は高校を卒業して東京で一人暮らしをするようになってからはじめて食べることができた。北海道では販売されていなかったのか、たまたま縁がなかっただけなのか、それはいまとなっては定かではない。インスタントラーメンは家でもよく食べていたのだが、サッポロ一番のシリーズやある時期はたまごめん、実家で暮らしていた最後あたりはしたっけラーメンなどを特に好んでいた。

 

大橋荘で日曜日に「笑っていいとも増刊号」などを観ていて、そのままテレビをつけていると、チキンラーメンのCMが流れた。南伸坊が出演し、鈴木さえ子による作品だというあの「すぐおいしい、すごくおいしい」という歌が流れるやつである。私は巣鴨駅前の方へ買い物に行き、おそらくサミットか西友で、生まれてはじめてのチキンラーメンを買ったのであった。カップラーメンではなく袋に入ったインスタントラーメンであるにもかかわらず、鍋でゆでる必要がなく、丼に入れて熱湯を注ぎ、ふたをして少し待つだけでできる。このラーメン丼のふたという概念がまったくなかったのだが、カレーライスやエビピラフなどを食べる時に用いていた浅めの皿を使用した。簡単にできあがる上に、とてもおいしい。まさにすぐおいしくて、すごくおいしいのである。チキン味というよりは、ベビースターラーメンをラーメンにしたようだと思った。

 

後に日清食品となるサンシー殖産がチキンラーメンを発売して大ヒットさせるのが1958年だが、おやつカンパニーの前身である松田産業有限会社はその3年前、1955年に味付中華めんというインスタントラーメンを発売していたらしい。しかし、これは商業的に成功せず、ゆえにチキンラーメンがインスタントラーメンのパイオニア的な扱いを受けているのだろうか。チキンラーメンが発売された翌年、1959年に松田産業有限会社でインスタントラーメンを製造する過程で生じた麺のかけらを従業員がおやつとして食べていて、これがおいしいということから商品化したのがベビーラーメンだったのだという。

 

ベビーラーメンがベビースターラーメンに改名されたのが1973年、私はベビーラーメンだった時代をかろうじて覚えているのだが、それは小学校に上がるか上がらないかぐらいの頃だったということになる。

 

ベビースターラーメンはいまやロングセラー商品となっているが、私のように子供の頃におやつとしてよく食べていて、大人になってもいまだに好きだという人は意外と多いような気がする。コンビニエンスストアに行くとお菓子のコーナーだけではなく、酒のつまみのコーナーでも大人向けにつくられたようなタイプのベビースターラーメンを見かける。ピーナッツが一緒に入った、おつまみタイプのものなどもある。

 

オレンジ色の袋に入ったベビースターラーメンを見かけるととりあえず買ってしまうのだが、袋の裏面を見ると「カウチポテトに お酒のおつまみに そのままお召し上がりください」「このまま食べられるラーメン風のお菓子です」などと書かれている。いまでこそベビースターラーメンはインスタントラーメンではなく、ラーメン風のお菓子だということは多くの人々の知るところだが、かつてはインスタントラーメンだと思われることもわりとあったのだろうか。昔のベビースターラーメンの袋には、表面にかなり大きめに「そのまま食べて下さいね」と書かれたものもある。そして、いまやベビースターラーメンは「お酒のおつまみ」としても食べられる菓子として、定着したことが分かる。それにしても、「カウチポテト」である。

 

1980年代の後半ぐらいだっただろうか、エイズの流行などの影響もあり、ニューヨークの若者はあまり夜遊びをしなくなり、自宅でカウチ(横たわれるようなタイプのソファーのことらしい)に座って、ポテトチップをつまみながらレンタルビデオを観るようなライフスタイルが流行していて、それをカウチポテトと呼ぶ、というようなニュアンスで日本では紹介されていたような気がする。

 

どこかおしゃれなイメージもあり、都市生活者の孤独をあらわしているようでもあった。佐野元春が1985年にリリースしたカセットブック「ELECTRIC GARDEN」にも掲載されていた画家、マーク・コスタビの作品はそのような気分をうまく表現しているともいわれていたような気がするが、画集につけられたタイトルはビデオ・レンタル・ストアが閉まっていて、悲しい。」であった。刊行は1988年のようである。

 

当時、私も親からの仕送りで住んでいたワンルームマンションで、ベッド周りなどを可能な限り無機質な色合いで統一し、カフェバーのような薄暗い間接照明だけを点けて、フジテレビで深夜に放送されていた「ミッドナイトアートシアター」から録画した「ストレンジャー・ザン・パラダイス」や「ベルリン・天使の詩」などを観たりしていた。あれはいわゆるミニ・シアター系の作品を、途中でCMも流さずノーカットで放送するという、じつにありがたい番組であった。いわゆるカウチポテト的な気分を味わっていたのだが、ベビースターラーメンは食べていなかったし、レンタルビデオ店を利用してもいなかった。小田急相模原にも貸本とレンタルビデオを扱う小さな店がオープンして、ここは一度だけ利用したことがある。当時、私の部屋にあったビデオデッキは雑誌を見て通信販売で購入したベータマックスのものであった。ビデオにはVHSとベータマックスのものがあり、CBSソニーやEPICソニーからレコードを出しているアーティストに好きな人たちが多かったこともあってか、家電製品やオーディオ機器を選ぶ場合、ソニー製品を購入することが多かった。それで、当時、ソニーのビデオデッキといえば必然的にベータマックスだったのである。サイズがVHSよりもコンパクトだったり、高画質だなどといわれていたのだが、いわゆるビデオ戦争に敗北し、市場から撤退したのであった。後にVHSのビデオデッキを買うことになるのだが、その時もやはりソニー製品を選んでいたような気がする。

 

小田急相模原に貸本とビデオレンタルの小さな店ができた時にも、すでにベータマックスの商品は少なく、「コミック雑誌なんかいらない」あたりをレンタルしたような記憶がある。

 

しかし、当時、私が認識していたカウチポテトのイメージは本来とはかなりかけ離れていたようである。カウチポテトのポテトにポテトチップはまったく関係はなく、カウチに寝転んでテレビを観ているような怠惰な様子そのものを、ポテトにたとえたものだったらしい。そこには侮蔑的なニュアンスが強く、ニューヨークの最新トレンドだとか新しい若者のライフスタイルといったカッコいい要素はまったくなかったようだ。このように誤解していたのはなにも私だけだったわけではなく、当時の日本では比較的多かったような印象がある。