「クインシーのすべて」について。 | …

i am so disappointed.

先日、第61回グラミー賞の結果について調べていて、最優秀ミュージック・フィルムをクインシー・ジョーンズのドキュメンタリー映画「クインシーのすべて」が受賞したことを知った。劇場公開作品ではなくNetflixで配信されているということだったので、そのうちに観ておこうと思っていた。

 

空いている時間に少しだけ観はじめたのだが、これがかなり素晴らしい内容で、結果的に中断しながらではあったのだが、2時間4分の作品を最後まで観たのだった。

 

Netflixは元々は妻が契約していて、私は他の動画配信サービスを利用していたのと、どうせどこもそんなに変わりはないだろうと思っていたのだが、実際にアカウントをつくって観てみると、ヒップホップの歴史を追ったドキュメンタリーシリーズやブルース・スプリングスティーンの弾き語りライブなど、なかなか良いものが多い。そして、これも素晴らしかった。

 

よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する大阪の若手漫才コンビがルミネtheよしもとのような大きな劇場で、しかもかなり幅広い客が観に来たであろうライブにおいて、人種差別で笑いを取り、しかもそれを喜んでいるファンも少なくないということで暗澹たる気分になり、大阪ちゃんねるを解約したのだが、このような差別や偏見と戦い、その歴史を繋いでいこうとするアーティストのドキュメンタリーを観ていると、またしても怒りがふつふつと沸き起こってくる。単なる無知で済まされる問題ではなく、アンダーグラウンドならばいざ知らず、大きな舞台やテレビに出演することもあるような芸人にそれが許容されていることは由々しき問題である。

 

クインシー・ジョーンズのことはマイケル・ジャクソンの「スリラー」などをプロデュースしたこと、また、中学生で洋楽を自発的に聴きはじめた頃には「愛のコリーダ」という曲が日本のディスコで大ヒットしているということであった。当時、日本は漫才ブームで、人気コンビのB&Bがディスコでのナンパを説明するくだりでも、「愛のコリーダ♪ 電話番号は?」などと言っていたぐらいである。また、ゴシップ的なニュースをセンセーショナルに取り上げる「テレビ三面記事 ウィークエンダー」で効果的に使われていた音楽や、専門学校の東京モード学園のCMで流れていた曲(そして、同じ曲はヒップホップ・グループのドリーム・アカデミーによってサンプリングされもした)も、クインシー・ジョーンズによるものだったと後に知ることになる。

 

それからやはり、1985年に大ヒットしたUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」である。1989年にリリースされたアルバム「バック・イン・ザ・ブロック」もわりと気に入っていたのだが、知識としてはそれぐらいがすべてのような気がした。

 

もちろんこれだけでもポップ・ミュージック史における偉人の1人であることは十分に分かるのだが、このドキュメンタリーを観て、実際にはまったくそれどころではなかったことが分かった。

 

「バック・イン・ザ・ブロック」からシングル・カットされた「アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー」はブラザーズ・ジョンソンのカバーで、レイ・チャールズが ヴォーカルを取っていた。豪華アーティストによるゲスト参加だと思っていたのだが、クインシー・ジョーンズとレイ・チャールズとの間には長い歴史と深い関係があったのだということが、これを観てよく分かった。他にはマイルス・デイヴィスやフランク・シナトラをはじめ、まさにレジェンドと呼ばれるアーティストたちとの交流が、当時の映像を交えて語られていく。

 

このドキュメンタリー映画の優れたところは、歴史を時系列に追っていくだけではなく、過去と現在を交互に取り上げることにより、クインシー・ジョーンズという人物の全体像を浮き上がらせるような構造になっているところだ。ジャズ、映画音楽、ソウル・ミュージック、ポップスなどの世界に革命を起こし続けた当時の映像が、プライベートでの出来事をも含めて取り上げられ、まず登場するアーティストたちがあまりにも豪華すぎるということでもあるのだが、映像そのものの強度がものすごい。しかし、それらと交互に映し出される現在の映像の素晴らしさが、それいまったく劣っていないのである。クインシー・ジョーンズが引退や隠居をしているわけではなく、常に様々なチャレンジをアーティストとして以外にも行っているからに他ならないのだが、実はそのことについてもこの作品で初めて知るものが多かった。

 

黒人音楽や文化の継承ということについて高い意識を持っていて、それは激しい人種差別や貧困を経験しているからでもあるのだろう。1990年代半ば、ヒップホップ界で抗争があり、2パックやノトーリアス・B.I.G.といった前途有望な若きアーティストが命を落とした。その時も、クインシー・ジョーンズは若いヒップホップ・アーティストを集め、討論会のようなものを行っていたようである。黒人音楽の歴史は若い世代にも受け継がれ、クインシー・ジョーンズは新しい世代のアーティストからもリスペクトされている。ケンドリック・ラマーと語り合う場面は、まさにそれを象徴するようであった。

 

とにかく素晴らしいドキュメンタリー映画であり、これからクインシージョーンズが関わった音楽を聴くときにはより深く楽しめるだろうし、実はあまりちゃんと聴いていない作品についても、ひじょうに興味が湧いてきた。

 

特に感動的な場面もいくつかあったが、それはやはり差別や偏見と戦い、権利を勝ち取ってきた歴史の中にクインシー・ジョーンズがその身を置き、過程を見てきたからなのであろう。

 

この期に及んで人種差別をちょっとエッジの効いたエンターテインメントとして弄ぶことはけして許されることではないし、実に低俗で嘆かわしいことである。けして嫌いではなかった文化の中からそれが出てきたことがひじょうに残念だし、嘆かわしくもある。しかし、これが現実なので、この怒りの感情を忘れず、日々、可能な限りでの解消に努めていきたい。