昭和60年度の日本でヒットしたポップス(3) | …

i am so disappointed.

今回は1986年2月3日付のオリコン週間シングルランキングの20位以内に初登場した曲について、取り上げていきたい。個人的にはいよいよ大学受験がスタートする直前の、緊張感が漂う時期であった。

 

バナナの涙/うしろゆびさされ組

 

おニャン子クラブからの派生ユニットで、高井麻巳子と岩井由紀子から成るうしろゆびさされ組による2枚目のシングルで、初の1位を記録した。デビュー・シングル「うしろゆびさされ組」に続き、テレビアニメ「ハイスクール!奇面組」のエンディングテーマ曲に使われた。作詞が秋元康、作曲・編曲は後藤次利である。ラテンテイストの曲調とユニークな歌詞が特徴的である。

 

 

 

歌謡曲/とんねるず

 

とんねるずによる6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高2位と、過去最高を記録した。「オールナイトフジ」でブレイクし、秋元康の作詞による曲を歌い出したのは1984年の「一気!」からであり、以後、「青年の主張」「雨の西麻布」とリリースを重ねるごとに順位を上げていった。「雨の西麻布」がムード歌謡のパロディーで初のトップ10入りを果たしたが、この「歌謡曲」はその続編ともいえる内容で、タイトルにもあらわれているように、メタ度をさらに高めている。メロディーはサザンオールスターズによる1982年のヒット曲「チャコも海岸物語」にひじょうに似ているところがあり、歌詞に登場する「アチャコ」も「チャコ」のパロディーなのではないかと思われる。また、石橋貴明のソロパートではグループサウンズのザ・カーナビーツ「好きさ好きさ好きさ」へのオマージュと思われる箇所もあるなど、当時のライトでポップなムードが真空パックされたようなところがある。作曲は元一風堂の見岳章、編曲は水谷公生が手がけている。

 

 

 

My Revolution/渡辺美里

 

初登場の順位は10位だったが、後に1位に輝く渡辺美里の代表曲であり、1990年代に一時代を築く作曲家、小室哲哉の出世作でもある。不勉強ゆえに私はこの曲を渡辺美里のデビュー・シングルだと思っていたのだが、実は4枚目ということであった。しかし、これ以前にリリースされた「I'm Free」「GROWIN' UP」「死んでるみたいに生きたくない」の最高位がそれぞれ64位、83位、77位ということなので、実質的にこれが初のヒット曲ということになる。渡辺美里は1984年のミス・セブンティーンコンテストで最優秀歌唱賞を受賞し、それがデビューのきっかけになったようだ。この年のグランプリを受賞したのは網浜直子、松本典子であり、応募者の中には後におニャン子クラブのメンバーとなる国生さゆりや工藤静香(特別賞を受賞)もいたようである。「My Revolution」の歌詞は川村真澄によって書かれているが、そのメッセージ性から同時期にカリスマ的な人気を得ていた尾崎豊と似たような受容のされ方をしていたような記憶もある。中森明夫が「宝島」に連載していた「東京トンガリキッズ」において、渡辺美里のことを楽曲はヤマハ系だがルックスがニュー・ウェイヴというような書き方をしていたことが、なぜか強く印象に残っている。また、エフエム東京の「コーセー歌謡ベスト10」において、パーソナリティーを務めていた作曲家の宮川泰がこの曲を大絶賛していたような気がする。

 

 

 

夢千秒/堀ちえみ

 

1982年デビューの女性アイドルを「花の1982年組」と呼んだりもするが、特にそれは1981年秋のデビューだが各種音楽賞においては1982年デビュー扱いの松本伊代や、1980年代のある時期においてトップ10の常連化する中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優あたりのことを指す場合が多い。堀ちえみのオリコン週間シングルランキングにおけるトップ10入りは、テクノ歌謡としても後に再評価される1985年の「Wa・ショイ!」が最後となり、この「夢千秒」はそれから2作後にリリースされたシングルである。作詞が売野雅勇、作曲が鈴木キサブローで、編曲は後藤次利によるやや落ち着いたバラードで、オリコン週間シングルランキングにおいては最高12位となっている。