アイス・キューブ「アレスト・ザ・プレジデント」について。 | …

i am so disapointed.

数日前、アイス・キューブのニュー・シングル「アレスト・ザ・プレジデント」がリリースされたというニュースを知った。「アレスト・ザ・プレジデント」とは、つまり「大統領を逮捕せよ」ということである。

 

名指しはされていないものの、現在のアメリカの大統領といえば差別主義者にして、反知性の塊とでもいうべき人物である。

 

アイス・キューブは1980年からアメリカ西海岸でヒップホップ・アーティストとして活動していたが、その名を世に知らしめたのはドクター・ドレーやイージー・Eなどと組んでいたN.W.A.である。数年前に公開された伝記映画のタイトルはデビュー・アルバムと同じ「ストレイト・アウタ・コンプトン」だったが、メンバーの中でアイス・キューブだけがコンプトン出身ではなく、後から加入していた。中心メンバーとして曲も多く書いていたにもかかわらず、それに見合う金銭が支払われていなかったことなどもあり、1989年にN.W.A.を脱退した。

 

ニューヨークで誕生したヒップホップはポップ・ミュージック界において次第にその存在感を強め、西海岸においてもムーヴメントとなっていた。ヒップホップは日常におけるリアルで切実な問題をテーマにする。当時の西海岸において、それはドラッグと暴力だったという。そして、ギャングスター・ラップが生まれた。

 

日本の音楽雑誌でもヒップホップはよく取り上げられるようになっていたが、あくまで東海岸のものが中心だったような印象がある。特にパブリック・エナミーなどは新しいパンク・ロックであるかのように受け止められているようなところもあった。先日、「ヒップホップ・エボリューション」というドキュメンタリー番組を観ていて、チャック・Dがパブリック・エナミーをはじめるにあたって、ザ・クラッシュとRun-D.M.C.が合わさったようなグループをイメージしていたというようなことを話していて、あれは狙い通りだったのだと思った。それから、デ・ラ・ソウルのような、より知的で大人しそうなグループが出てきて、これは日本の音楽ファンにとってもひじょうに親しみやすかった。

 

その一方で、アメリカ西海岸から生まれたギャングスター・ラップで描かれている内容はあまりにも当時の私たちの日常からはかけ離れすぎていて、なかなかリアリティーを感じられないということもあった。

 

N.W.A.の有名な曲で「ファック・ザ・ポリス」というのがあるが、これはその後、様々なニュースなどによって、広く知られることにもなった、ロサンゼルス市警察のアフリカ系アメリカ人に対する非道な扱いに対する怒りが込められたものである。

 

日本で生活していた私には当時、ギャングスター・ラップというのはとにかく過激なことを必要以上にセンセーショナルに煽り立てているような音楽だと完全に勘違いしていたのだが、あれは切実なリアリティーだったのであり、だからこそあれだけの支持を得たのだろう。

 

そして、ここで細かくは言及しないが、アメリカに現大統領が就任して以後の数々の言動、行動のほとんどは人類の叡知に対する冒涜であり、実に悲惨なものである。あまりの酷さに悲観して無感覚になったり、逆張りをはじめるような態度では思う壺である。

 

ポップ・ミュージックは現実をより良くするためのヴィジョンを提示してくれるし、それが聴いている理由の一つでもある。たとえば純粋なラヴ・ソングであったとしても、それを可能たらしめる社会を望むという意味で、それはじゅうぶんに政治的である。その国や時代におけるリアリティーとどこまで向き合っているかが作品としての強度にもなり、それは時代や国境を超えて人の心に響くのだろうか。そして、より良いヴィジョンを思い描くならば、当面はまず怒りの可視化こそが必要な状況もある。現在のアメリカはまさにそれであり、実は同じく史上最悪の人物が国のトップに居座っている、また別の国においても同じことがいえる。

 

ゆえに、「アレスト・ザ・プレジデント」でも、まだ穏健なのではないかと思えるほどなのだが、このトラックからはアイス・キューブの心底の怒り、そして、そのために自分自身がやれることに対する本気が感じられる。この曲のティーザー映像を観ると、その意味がより分かりやすく表現されているし、最後には「投票に行こう」という文字が表示される。いまこそこのようなベタな表現が必要なのかもしれない。

 

反知性の塊のような人物が私怨によって、長いこと守られてきた基本的人権を奪おうとしているような、また別の国においても、このような表現が見られると良いのだが、それぞれがたとえ限られていたとしても、出来る範囲で何らかの行動を行っていくことが大切なのであろう。