マイケル・マクドナルド「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」の記憶。 | …

i am so disappointed.

数ヶ月前、「レコード・コレクターズ」誌を読んでいると、マイケル・マクドナルドの記事が載っていて、時代は変わったものだなという気分になった。「レコード・コレクターズ」が「ミュージック・マガジン」の別冊として創刊されたのは、マイケル・マクドナルドのはじめてのソロアルバム「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」と同じ1982年であった。当時、高校1年であった私は何冊かは買った記憶があるのだが、内容が難しすぎてよく分からなかった記憶がある。

 

1982年は山下達郎「FOR YOU」、大滝詠一・佐野元春・杉真理「ナイアガラ・トライアングルVol.2」、佐野元春「SOMEDAY」、サザンオールスターズ「NUDE MAN」などがリリースされ、中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優といって人気女性アイドルが数多くデビューした年であった。全米ヒット・チャートでは翌年の前半にマイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」から「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」が続けて1位に輝き、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」、カルチャー・クラブ「君は完璧さ」をはじめとした第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンが大きく盛り上がり、その共通点はビジュアル面にも重きが置かれていたことであった。1981年に開局した音楽専門ケーブルテレビチャンネル「MTV」の影響が、いよいよヒットチャートにもあらわれてきたといわれていた。日本でも海外アーティストのビデオを流す音楽情報番組「ベストヒットUSA」がテレビ朝日系ではじまり、小林克也が司会を務めていたが、当時、私が暮らしていた北海道でネットされたのはその年の秋からであった。

 

その年は北海道の音楽ファンにとっては他にもエポックメイキングな事件があり、それはやはり秋から道内初の民放エフエム局であるエフエム北海道が放送を開始したことであった。1983年あたりからポップ・ミュージック界のトレンドが大きく変わっていったような印象があり、それには「スリラー」や第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン勢のヒットが大きく影響していたような気がする。第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの先鋒となったのは、1982年7月3日付の全米シングル・チャートでポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダーの「エボニー・アンド・アイボリー」に代わって1位になったヒューマン・リーグの「愛の残り火」ではなかったかと思っている。この曲は本国のイギリスではすでに1位になっていたのだが、当時の全米ヒット・チャートにはこのようないわゆるシンセ・ポップというような曲はランクインしていなかったし、ひじょうに特殊な曲が1位になったという印象があった。

 

この回の「全米TOP40」を、私は北海道内のどこか観光地のホテルで聴いていた。親戚一同の集まりがあって宿泊していたのだが、当時の私にとっての大きな関心事として、やはり今週の全米ヒット・チャートがあり、持ち込んだラジオで真夜中にこっそり聴いていたのだった。当時はこの曲の良さがさっぱり分からず、1位になったこともけして喜んではいなかった。他の曲とあまりにも違いすぎていて、どのように楽しめばいいのかさえ、よく分かっていなかったのだ。翌日、札幌のタワーレコードでヒューイ・ルイズ&ザ・ニュースの「ベイエリアの風」を買った。

 

翌年、第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの影響もあり、私はよりニュー・ウェイヴ的な音楽が好きになっていくのだが、1982年の秋といえば、AORや後にシティ・ポップと呼ばれるような音楽が最もカッコいいと思えたのであった。ドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」がリリースされたのも、この年の10月である。

 

マイケル・マクドナルドは1970年代にスティーリー・ダンのツアーやレコーディングに参加し、1976年からはドゥービー・ブラザーズに加入、中心メンバーとして「ホワット・ア・フール・ビリーヴ」などのヒットを記録した。そして、ソロ・アーティストとしてリリースした初のアルバムが「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」であった。先行シングル「アイ・キープ・フォーゲッティン」は全米シングル・チャートを順調に駆け上がり、このアルバムはオリコンに掲載されていた日本の輸入盤チャートで1位になっていたのが印象的であった。輸入盤のチャートはオリコンの週間アルバムランキングの洋楽を上から順番に並べたものとはかなり違っていた。AORやシンガー・ソングライター系が強かったような印象がある。

 

日本におけるこれらの音楽の流行は、ニューミュージックのシティ・ポップ化やフュージョンのブームともつながるところがあり、よりオシャレで都会的な気分で日常を送るためのものだったような気がする。この辺りの気分は、当時、「ミュージック・マガジン」の年間ベスト・アルバム選者の1人でもあった田中康夫の著書「なんとなく、クリスタル」「たまらなく、アーベイン」などに書かれているとおりであろう。

 

ところがこのタイプの音楽は、当時、「ミュージック・マガジン」などではまともに取り上げられていなかった印象がある。少し前に「レコード・コレクターズ」がマイケル・マクドナルドの記事を掲載していたことを感慨深く思ったのも、おそらくそれが原因であった。しかし、記憶はわりと適当なものでもあるので、実際に1980年の「ミュージック・マガジン」に掲載された「クロス・レヴュー」を可能な限りまとめた「クロス・レヴュー 1981-1989」という本が手元にあるので、それを見て検証してみたい。

 

「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」は1982年11月号の「クロス・レヴュー」で取り上げられていたようなので、おそらくその前の月の「アルバム・ピックアップ」にも載っていたのであろう。好き嫌いは別にして、論評するに値するアルバムだとは見なされていたということである。取り上げられているアルバムは計7枚で、「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」の他はキム・カーンズ「愛と幻の世界」、ドン・ヘンリー「アイ・キャント・スタンド・スティル」、ザ・モッズ「LOOK OUT」、ポインター・シスターズ「ソー・エキサイテッド」、リップ・リグ&パニック「ゴッド」、トンプソン・ツインズ「セット」である。評者は天辰保文、今井智子、小嶋さちほ、中村とうようの4名で、合計点が最も高いのは意外にもドン・ヘンリーで、低いのがキム・カーンズとマイケル・マクドナルドである。

 

「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」に対してだが、2名の評者はそれなりに高めの評価をしている。中村とうようはマイケル・マクドナルドの声が嫌いだということを、ほぼ210文字を費やして書いている。それよりも低い評価をしているのが、当時、ニュー・ウェイヴ・バンド、ZELDAのメンバーであった小嶋さちほで、退屈で眠気をもよおすという内容のことだけをほぼ書いているのだが、文字数も150字ぐらいを埋めるのがやっとだったようだ。

 

36年後の「レコード・コレクターズ」には、中村とうようが嫌いだといっていたマイケル・マクドナルドの声の素晴らしさについて書かれた記事が掲載され、昨年末の「ミュージック・マガジン」の年間ベスト・アルバムで平均的に高評価だった印象があるサンダーキャットの「ドランク」にもマイケル・マクドナルドボーカルがフィーチャーされている。まあ、これはトレンドの変化に他ならないし、すべては移ろいゆくということの証左であろう。

 

その秋、私も「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」の輸入盤を買って、よく聴いていた。16歳だったが、大人の雰囲気に憧れていた。

 

ポップ・ミュージックを聴くことにより、まだ見ぬ大人の世界や、遠い国や時代への扉を開いているような感覚があり、いつでもそれは憧れや理想と強く結びついていた。私にとって音楽や趣味とはそのようなもので、けして惨めな自分を慰めたり、冴えない日常を忘れるために、なにかに対する敵討ちのように必死になるようなものではない。好きな音楽のタイプはその後、いろいろ変わったり、また戻ったりしながらいまでも聴いているが、その感覚はおそらく変わらないのだろう。だから、カジュアルなミーハーにすぎないことを、これからも大切にしていきたいと思う。

 

久しぶりに「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」を聴いて、そんなことを思い出した。