【旭川の印象①】平和通買物公園の記憶と現在。 | …

i am so disappointed.

西武百貨店が閉店したのは2016年9月30日であった。私はその年の9月8日から数日間、旭川の実家に帰省していたので、閉店直前で売りつくしセール実施中の西武百貨店に行くことができた。B館の地下に土産物コーナーがあり、そこで学生時代に大好きだったロバ菓子司のコンチェルパイやあずチャンかずチャンといった菓子を買った。

西武百貨店が旭川駅の真ん前に開店したのは、1975年8月8日だったという。当時、オリコン週間シングルランキングで1位だったのは、細川たかしの「心のこり」であった。私は小学生で、日本海沿線の苫前町に住んでいたのだ。おそらく羽幌サービスセンターのレコード売場あたりで、このシングルを買ってもらったのではないかと思う。欲しいと思ったきっかけはおそらく「私バカよね おバカさんよね」という歌詞が面白いと感じたからであろう。

同じ時期にアメリカではイーグルス「呪われた夜」、ビー・ジーズ「ジャイヴ・トーキン」、イギリスではティピカリー・トロピカル「バルバドス」、スリー・ディグリーズ「愛がすべて」などが大ヒットしていたようである。

旭川には祖父母が住んでいたので、夏休みや冬休みには家族で遊びに行っていたのだが、大都会というイメージであった。単純に言って人が多くて背の高いビルが多い、玩具を売っている所や映画館がたくさんあるという印象である。祖父母の家があった神楽岡からバスに乗り旭川の街まで行くと、大人達は西武百貨店、丸井今井、マルカツデパートなどで買物をする。その間、子供たちは映画館で「東映まんがまつり」「東映チャンピオンまつり」などを観せられていたような記憶がある。「長靴をはいた猫 80日間世界一周」を観た記憶があり、公開が1976年だということなので、西武百貨店が開店した翌年だったようだ。

また、1973年公開の「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」も観た記憶があり、これが私がこれまでに観た唯一の宮崎駿脚本作品となっている。1972年に上野動物園にジャイアントパンダのランランとカンカンがやって来たことにより、日本は空前のパンダブームであった。同じ時期に、「パンダの大冒険」というアニメーション映画も上映されていた。この年の春に妹が生まれた時に、私と一緒に「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」を観ていた弟は、登場人物のミミ子と同じ名前を付けようと両親に主張していたが、あっさり却下されていた。1971年の「ゴジラ対ヘドラ」も観ているはずなのだが、あれは留萌の映画館だったかもしれない。

2008年の9月、私はおそらく13年ぶりぐらいに実家に帰省したのだが、妹が帰宅してすぐに映画を観に行くというので、てっきり街に行くのだと思っていたのだが、郊外のシネマコンプレックスに行くのだという。旭川の駅前からは平和通買物公園という日本初の歩行者天国が続き、百貨店や専門店、映画館などがその通り沿いにひしめいていた。しかし、記憶の中ではあれだけたくさんあった映画館が、その時点では平和通買物公園からすっかり姿を消してしまったということであった。タイトルが縦に書かれた看板がズラッと並んでいる様が壮観だったのだが、もうあれを観る機会もないのだろう。

2015年3月27日、旭川駅のすぐ近くにイオンモール旭川駅前が開業し、その中にイオンシネマ旭川駅前も入った。これによって、再び旭川市街地で最新の映画が観られるようになった(名画座的な役割を果たすシアターカンダが、2013年に平和通買物公園で営業を開始している)。私は2016年の帰省時に時間を持て余したため、ここで当時話題になっていたアニメーション映画「君の名は。」を観た。

翌年に西武百貨店旭川店が閉店したのは、このイオンモール旭川駅前の開業による売上減によるものだとうわれている。実は2009年の段階ですでに不採算による閉店が検討されていたというが、競合店である丸井今井旭川店の閉店が決まっため、営業を継続することになったのだという。丸井今井店が入っていた建物は、2011年6月24日開業のFeeeal旭川となっている。当初は複数階のジュンク堂書店を中心としていたが、現在は2フロアのうちの一部に縮小されている。また、一時期は東京で人気の手芸用品・雑貨店のユザワヤが進出したが、現在は撤退している。CDショップの玉光堂も以前にはあったのだが、現在はイオンモール旭川駅前に移転している。

玉光堂は1942年に小樽で創業し、後に全道最大規模となった音楽ソフト販売店で、1980年代の旭川ではファッションプラザオクノとイトーヨーカドー旭川店にあった。私が旭川に住んでいた1977年から1985年までの間に、ミュージックショップ国原の次に多くのレコードを買ったのがここだったような気がする。当時、旭川で輸入盤レコードが買えたのはミュージックショップ国原、玉光堂、西武百貨店A館にあったディスクポートであった。

ミュージックショップ国原があったのは丸井今井旭川店、現在のFeeeal旭川の隣あたりである。現在はコンビニエンスストアのローソン買物公園店となっていて、地下には旭川ラーメンの有名店、梅光軒がある。ミュージックショップ国原の2階は楽器売場になっていて、同じビルの更に上の階にはゲームセンターがあったはずである。


また、ミュージックショップ国原は、西武百貨店の向かいにあった長崎屋旭川店の中にもあったような気がする。長崎屋といえば、飲食店のメニューにあったジャンボソフトクリームが有名であった。1992年に長崎屋ラパーク旭川店として郊外に移転し、その後、MEGAドン・キホーテ旭川店に業態変更したようだ。長崎屋旭川店があった建物はその後、丸井マルサとなり、2002年にはエクスとして開店したが2014年に閉店し、現在はツルハドラッグ買物公園店のみが営業している。

私が旭川に引っ越した翌々年、1979年には西武百貨店の隣にams旭川が開店した。糸井重里が作詞をしたイメージソング「女、キラキラ。男、そわそわ。」を矢野顕子が歌い、非売品のレコードも製造されていた。長年にわたり入手困難だったのだが、西武百貨店旭川店が閉店した2ヶ月後の2016年11月30日にリリースされた矢野顕子のベスト・アルバム「矢野山脈」の初回生産限定盤に収録された。

1980年に西武百貨店旭川店とams旭川との間を3本の連絡通路で繋ぎ、1981年にはそれぞれ旭川西武西武館、アムス館とした。翌年の1982年には大幅なリニューアルを行い、アムス館を女のA館、西武館を男のB館とした。

この間の個人的な記憶といえば、団しんやの「ロック・トンデレラ」というCMパロディーソングのレコードを買おうとしたところ、母から止められたり、あのねのねがキャンペーンで来た時に友人と自転車でミニライブを観に行ったり、ビリー・ジョエル「グラス・ハウス」のジャケットのミニレプリカ的なものに入った輸入品のチューインガムを買ったことなどがある。

また、高校を卒業してから最初の夏休みに帰省した時、紋別の看護学校に通っていた元同級生の女子とミュージックショップ国原で待ち合わせをし、西武百貨店B館2階にあったアメリカンボックスというカフェレストランで食事をした。カフェバー風の1980年代にっぽいお店だったが、ここは西武百貨店旭川店が閉店するまで残っていて、現在は豊岡11条5丁目に移転して営業しているという。

B館の9階にはStudio9というライブハウスもあり、友人のバンドがたまに出演していたが、私も何度かゲスト出演したことがあった。

旭川駅の近くにロッテリアがあったのだが、何年ぐらいに開店したのかはよく覚えていない。ラジオで「ロッテリアホットホットヒット」という番組を鈴木ヒロミツがやっていて、ロッテリアのCMも流れていた。その頃にはまだ旭川にロッテリアはなかったか、あったとしてもその存在を知らなかったと思う。ファストフードレストランといわれてもなんのことかさっぱり分からず、オーロラタウン店という札幌地下街にある店名も含め、どこか未来的なイメージを勝手に抱いていた。

アップルパイがやたらとおいしく、表面に羊のようなキャラクター、裏面にメニューが印刷された下敷きのようなものを持っていたような記憶がある。高校に入学してからは、放課後に友人たちとここに集まって話をしていた。その時間がとても楽しく、私は「ロッテリアパラダイス」なるとても恥ずかしい曲を作ったほどであった。

買物公園を少し歩いたところにマクドナルドがあり、同じ建物に地球村というジーンズショップがあったのだが、いずれももう無い。ミスタードーナツは昔からずっとある。



ミュージックショップ国原の向かいにマルカツデパートがあり、当時の個人的な印象では3、4番手の百貨店という感じだったのだが、実はここだけがまだ残っている。ある時期から6階をDOING60といって、若者向けの物ばかりのフロアにしていた。また、地下に続く階段を降りたちころにポップコーンを作る機会があり、いつも良い匂いがしていた。よく買って帰っていたが、スーパーなどで売っているものよりもかなりおいしかった。また、平和通買物公園にはいくつかのとうきびワゴンがあり、そこで焼きとうきびを売っていた。焼いたとうきびに刷毛のようなもので甘辛い醤油のようなものを塗っているのだが、これがすごくおいしかった。いずれももう見られない風景である。
マルカツデパートに久しぶりに入ると、歴史ある品だというおばけ鏡が設置されていた。もうストーブが売られていた。



以前には他にまるせんデパートというのもあったのだが、閉店後にそうご電器YES旭川店となった。そうご電器は一時期、道内最大規模の家電店チェーンで、私もラジカセやBCLラジオ、システムコンポなど、ほとんどここで買ってもらったのではないかと思う。しかし、道外の家電量販店が次々と進出してくると価格競争に追いつかず経営が悪化し、2002年には経営破綻したという。その後はゲオパーク旭川買物公園となっていたのだが、2014年11月14日に閉店後は取り壊され、現在は駐車場になっている。

また、西武百貨店の向かい側に土産物店のようなものがあり、アイヌの楽器の音のようなものをずっと流していたような気がするのだが、これについてははっきり覚えていない。

平和通買物公園をさらに歩いていくと、ファッションプラザオクノがある。地上階にはレディースファッションを中心とした店舗が入っていて、利用した記憶がほぼ無いのだが、地下の玉光堂と書店にはよく行っていた。また、小林繁投手がまだ読売ジャイアンツの選手だったシーズンオフに、ここで計4人の選手によるサイン会が行われ、友人と一緒に参加したことがある。また、入口に大きな時計が設置されていて、学校祭の打ち上げなどで大勢で待ち合わせする時には、ここをよく使っていた記憶がある。


この近くには他にも書店やレコード店がいくつかあった。書店は富貴堂書店とブックス平和だったと思う。「ビートたけしの三国一の幸せ者」や「よい子の歌謡曲」の単行本はブックス平和で買ったはずである。当時は不良少年少女がカッコいいとされていた時代で、暴走族の写真集がベストセラーになったりしていた。中学生ぐらいの半ツッパリっぽい男子が頭をかきながら、両親にそれを買ってもらっていたのを見たことがある。

あと、レコード店の名前は忘れてしまったが、地下に練習スタジオがあり、友人のバンドの練習に何度か付き合ったことがあった。他に練習で使っていたのは、豊岡のダイエーにあったスタジオなどである。また、映画館のビルの上の方に、ガストという名前のジャズ喫茶があり、ジャズについてはまったく分からなかったし、聴いてもいなかったが、なんとなく大人の気分を味わいたくて入り浸ったりもしていた。閉店後、2002年に鷹栖町で店名を変えて復活したという情報を確認したが、その後については定かではない。

小林繁投手といえば、読売ジャイアンツが野球協約の盲点を突いた、いわゆる江川事件によって阪神タイガースにトレードされたのだが、平和通買物公園には「江川堂 小林印章店」と書かれた看板があり、当時、面白がっていた。そして、それはいまでもあった。


この辺りには他にタイム堂といって、大きなデジタル時計の看板でとても目立つものもあったと思うのだが、いつの間にか無くなってしまった。また、おもちゃのたもちゃんという玩具店が昔からあり、ひじょうにレトロで良い味を出しているのだが、店頭ではスーパーファミコンやNINTENDO64などのソフトが新品で売られている。



やまやという鉄板で焼くタイプの焼きそば店があったのだが、もう無いし場所もよく覚えていない。ボーリング場やゲームセンター、映画館などがあり、一色という紳士服店の大きな看板が目立っていたスガイビルは老朽化のため2008年に閉鎖、2012年には取り壊され、現在その場所は駐車場になっている。



その先に、おそらく一度も入ったことがないが、アイヌの看板が印象的な居酒屋ユーカラがいまもまだあるのは、とても嬉しいことだ。


かつて平和通買物公園にはたくさんのオブジェが設置されていたのだが、そのうちの1つである手の噴水が、奥の方に移設されている。当時は他に、開いたノートの上に鉛筆を置いたような物や花時計などいろいろあったはずである。


再び旭川駅に引き返すために歩いて行った。翌週にはここで食べマルシェという、食のイベントが開催される。私も数年前に参加したことがあるのだが、私が暮らしていた頃と比べると本当に淋しくなってしまった平和通買物公園だが、この時には本当にたくさんの人々で賑わい、活気があった。今年のポスターは葛飾北斎の絵に描かれた波のようなものがラーメンになっていて、他にもいろいろな食べ物が丼に浮かび、背景には大雪山や旭橋が描かれているというひじょうに勢いの感じられるものであった。


西武百貨店A館であった建物は取り壊され、更地になっている。ここに何も建っていない状態を初めて見た。


B館だった建物は残されているが、西武百貨店を思わせる部分は全て塗り潰されている。子供の頃、親戚大勢でここのレストランに行き、何を話していたかはまったく覚えていないのだが、それは幸福な記憶である。壁におそらく外国の高い山の写真が掲示されていたような気がするのだが、もしかすると記憶違いかもしれない。下りのエレベーターは当時住んでいた街には無かったので、初めは乗るのがとても怖かった。祖父母の家に行き、帰る前に西武百貨店の地下でキャンディーの量り売りのようなコーナーで好きなものを選ぶのがとても楽しかった。兄弟の間ではそれを「飴つかみ」と呼んでいた。祖母や母や叔母が買物をする間、父と弟と百貨店のゲームセンターに行った。留萌の八幡屋デパートよりもたくさんの機械があって面白かった。父が射撃ゲームのような物を何度もやって、それが面白くてBGMのメロディーまではっきり覚えていた。実家を出て東京で暮らすようになってから、それがウィルソン・ピケットのバージョンが有名な「ダンス天国」だと知った。旭川駅は2010年に大きくリニューアルし、4代目駅舎となった。私が暮らしていた頃の面影はほとんどない。1990年代の半ばからずっと実家に帰っていなくて、久しぶりに帰ったのが2008年だったので、慣れ親しんだ駅舎の最後の方を見ることができた。地下のステーションデパートは2004年4月30日で営業を終えていた。

新しい駅舎には土産物店や休憩スペース、飲食店やギャラリーなどがある。子供の頃に実家で見たような気がする木彫りの熊の人形が売られていたのだが、どうやら熊ボッコという名前らしい。作っているのは旭川のトミヤ澤田商店で、昭和2年創業だという。年間の生産数が限定されていて、木の年輪模様によって1つ1つ表情が違って見えるし、とにかくすごく可愛い。


イオンモール旭川駅前がある場所には、1982年に開店した旭川エスタがあった。土曜日の放課後に東神楽町から通学していた女子が雑誌のボーイ・ジョージの写真を見て、男とは思えないぐらい綺麗だと言っていた。ここは2012年に取り壊された。


札幌行きなどの高速バス乗り場は旭川駅の前に変わり、近くにはツルハビルというのが新たに出来ていた。

このシリーズはある時期の旭川の記憶について、できるだけ克明に記録して個人的に懐かしむという、純粋にただそれだけの目的のために、今後も気が向いた時に続けていくし、フィールドワークとしての帰省も行なっていきたいと思う。



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