RYUTist「無重力ファンタジア」を聴いた。 | …

i am so disapointed.

先日、新潟を拠点とする4人組のアイドル・グループ、RYUTistのシングル「青空シグナル」のCDを買い、その内容があまりにも素晴らしかったので、表題曲の感想のようなものをブログに書いた。しかし、このシングルはカップリング曲の「無重力ファンタジア」もすごく良く、それについても書きたかったのだが、表題曲についてだけでも書きたい想いが溢れすぎていたのでそれだけに留めた。というのもあるのだが、この2曲を続けて聴いたところ、情報量が多すぎてちゃんと処理し切れていなかったというのもある。

 

「青空シグナル」は本当に素晴らしくて、「今日が始まりの日 湧き上がるよな願い 両手を広げ 羽ばたくの」などという歌詞を単純な私は思いっ切り真に受けて、仕事もかなりはかどったのであった。とはいえ、忙しさのピークゆえに毎週楽しみにしているWHY@DOLLの生配信も観ることが出来ず、朝までずっと仕事をしていた。帰宅して少し寝て起きて、それからやりたいことややらなければいけないことを1つずつ片付けはじめた。

 

RYUTistについてはほとんど知らないことばかりなのだが、アルバム「日本海夕日ライン」「柳都芸妓」は好きでよく聴いている。その前に出た「RYUTist HOME LIVE」というアルバムはあまり聴いていないのだが、「ランファン」という曲がとても好きだ。「ここからさきへと走りだせば 楽しくて笑っちゃうよ」である。本当にそんな気分になれる曲なのだ。

 

おそらくまだ聴いたことがない曲もたくさんあるとは思うのだが、「無重力ファンタジア」は少なくとも私が聴いたことがあるこれまでの作品にはまったくなかったタイプのように思える。トータルとして素晴らしいのはもちろんなのだが、この曲を構成する様々な要素が、私がこれまでにいろいろなポップ・ミュージックを楽しむ中で形成されてきた音楽的琴線とでもいうべきものに、ものすごく触れまくるのである。これは私が好きなアイドル・グループ、NegiccoやWHY@DOLLの音楽についてもいえることである。

 

まず、イントロではリズム・ボックスのような音が流れるのだが、1980年代のはじめにソウル・ミュージックが打ち込みを効果的に使いはじめた頃の代表的なヒット曲、マーヴィン・ゲイ「セクシャル・ヒーリング」や、1997年にコーネリアスがリリースし世界的に高く評価されたアルバム「FANTASMA」からの先行シングル「STAR FRUIT SURF RIDER」の記憶が呼びさまされる。それからシンセ・ベースのような音が流れ、中学生ぐらいの頃、夜遅くにラジオを聴いているとNHK-FM「クロスオーバーイレブン」あたりで流れていた大人の音楽を思い出す。そして、サックスである。1980年代半ばにはジョージ・マイケル「ケアレス・ウィスパー」をはじめ、サックスを効果的に用いた都会的なヒット曲がたくさん生まれた。あまりに流行りすぎたせいで、ある時期には過剰すぎてダサく感じられたこともあったのだが、近年のシティ・ポップやヨット・ロックのブームによって、ふたたびカッコよく聴こえるようになった印象がある。WHY@DOLL「ラブ・ストーリーは週末に」などは、その好例であろう。

 

そして、コーラスがまたとても美しい。この時点でまだ再生を開始してから30秒ぐらいしか経っていない。中学生の頃に居間の食卓で朝食をとっているあいだ、実家ではラジオがかかっていた。アラーム機能付きのデジタル時計とラジオが一体化したもので、時刻をあらわす数字が緑色の光で表示されていた。日本航空か全日空かは忘れたが、航空会社が提供する番組があり、とてもゴージャスでスケールの大きなテーマ曲が流れていた。まるで空を自由に飛んで、あわただしい日常を俯瞰で見ているような気分を想像することができた。「無重力ファンタジア」には、どこかそのような気分を思い出させてくれるようなところがある。

 

RYUTistのヴォーカルにはつくりものっぽさや過剰な感情表現を感じることが、まったくない。それが平熱感覚のリアリティーに繋がっているような気がする。当たり前の日常としての青春は、このように表現されるべきなのかもしれない。懐かしさや素朴さが強調されすぎると、あざとくも感じられがちなのだが、それもまったくない。おそらくそれが本質なのであり、拠点を新潟に置いていることにも関係があるような気がする。新潟に対して私は旅行者の域を出ることがなく、勝手に理想化している部分は相当にあるだろう。しかし、私が短い時間の滞在の中で感じた懐かしさと新しさの共存や、日常における水や食のウェイトの重さはひじょうに印象深いものであった。

 

「無重力ファンタジア」における宇宙遊泳というモチーフは、おそらく恋愛状態のメタファーでもあるのだろう。現実にいながら、あたかも非現実的であるような感覚を味わう。それは、RYUTistの音楽を聴いたりビデオを観たりしているあいだ、私に生じている感覚でもあり、やがて現実にもフィードバックされる。

 

先日、ツイッターのタイムラインで「雲遊天下」という雑誌の128号のことを知った。RYUTistが気になりはじめた人にとって貴重な資料だというツイートを読んで迷わずすぐに注文したのだが、注文受付完了メール的なもの読んでいると、「新潟発アイドルRYUTistと町の記憶」とある。私が強く反応を示しがちなワードが凝縮されている。これを読んだ後、RYUTistの音楽の聴こえ方がまた変わってくるのだろうか。そして、きっと新潟にまた行ってみたくなるような気がしてならない。

 

 

 

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