THE BEATNIKS「EXITENTIALIST A XIE XIE」を聴いた。 | …

i am so disappointed.

先日、渋谷Gladで行われたWHY@DOLLのレギュラー公演から帰る途中にセイント・エティエンヌの「モーターウェイのように」が聴きたくなり、明大前駅のホームで乗り換えの電車を待つあいだにiPhoneのYouTubeアプリで検索した。その日のライブで初披露されたAwesome City Clubによる新曲「Sweet Vinegar」はいまどきのシティ・ポップをアイドル・ポップスに寄せたアーバンかつポップな作品ではないかと期待していたのだが、実際にはそれ以上にどストライクなものであった。シティ・ポップというよりもシンセ・ポップ感が強いなという印象を受けたが、一度しか観て聴いていないので、自分の中で勝手に補正している可能性も高い。「モーターウェイのように」が収録されたアルバム「哀しみ色のムーヴィー」は1994年の6月にリリースされたのだが、私はこれを買っていなかった。その前の「フォックスベース・アルファ」「ソー・タフ」はかなり気に入っていたのだが、この頃はニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなり、オアシスが「スーパーソニック」でデビューしてブラーが「パークライフ」をリリースしたすぐ後で、主にイギリスのギター・バンドを中心に聴いていた記憶がある。後に聴いてみるとかなり良かったのだが、このアルバムはフォーク・ソングをテクノやダブのサウンドでやるというのがコンセプトだったらしく、当初、収録曲の歌詞はすべて死をテーマにしたものの予定だったという。「モーターウェイのように」は恋人が突然いなくなってしまった友人についての曲で、これも死をイメージさせる。セイント・エティエンヌのデビュー・アルバム「フォックスベース・アルファ」でジングル的な「ディス・イズ・レイディオ・エティエンヌ」に続いて収録されているのは「オンリー・ラヴ・キャン・ブレイク・ユア・ハート」で、この曲だけモイラ・ランバートが歌っている。幼なじみだったボブ・スタンレーとピート・ウィッグスによって結成されたセイント・エティエンヌは当初、ヴォーカリストを固定しない予定だったが、シングル「ナッシング・キャン・ストップ・アス」のヴォーカルに起用されたサラ・クラックネルがそのまま固定メンバーとして加入することになったようだ。「オンリー・ラヴ・キャン・ブレイク・ユア・ハート」はニール・ヤングのカヴァーだが、当時、私はオリジナルを聴いたことがなかった。しかし、この曲を知っていたのは高橋幸宏がその数ヶ月前にリリースしたアルバム「A DAY IN THE NEXT LIFE」の1曲目でカヴァーしていたからである。

 

高橋幸宏と鈴木慶一によるユニット、THE BEATNIKSが7年ぶりのニュー・アルバム「EXITENTIALIST A XIE XIE」をリリースした。このユニットが最初に結成されたのは1981年、高橋幸宏はイエロー・マジック・オーケストラ、鈴木慶一はムーンライダーズのメンバーであった。イエロー・マジク・オーケストラは1983年に解散ならぬ散会したが、ムーンライダーズは2011年に活動休止した後、2016年に活動休止の休止を発表した。THE BEATNIKSはメンバーにとってメインのユニットではなく、鈴木慶一がいうところの「隙間ユニット」だということもあり、活動を開始したり休止したりを繰り返し、現在に至っている。1987年にリリースされたセカンドアルバムのタイトルは「EXITENTIALIST A GO GO ビートで行こう」であり、今回のアルバム・タイトルとよく似ている。「GO GO」が「XIE XIE」になっている。「XIE XIE」は「シェーシェー」であり、中国語で感謝をあらわす言葉である。また、今回のアルバムを制作するきっかけになったのが「赤塚不二夫生誕80周年企画・バカ田大学祭ライブ」への出演であり、そのためにつくった新曲のうちの1曲が「シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya」であり、赤塚不二夫が生み出したキャラクターの1つ、イヤミの「シェー!」にオマージュを捧げたものになっている。また、個人的にはどうしてもTHE BEATNIKSが結成される少し前にヒットしたポリス「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」を思い出してしまう。

 

今回のリリースに先がけて、この曲のミュージック・ビデオが制作され、公開されているのだが、一般から公募した振り付け動画も取り入れた楽しい内容になっている。その中には女優・創作あーちすと、のんの姿もあるのだが、彼女が発するポジティヴなオーラは本当にすごい。THE BEATNIKSには珍しいノベルティ・ソング的な作風ももちろんだが、テクノ・ポップやニュー・ウェイヴをはじめ、2人がこれまでに蓄積してきた様々な音楽的要素が散りばめられている。「Inside Outside J・A・P」はビーチ・ボーイズ「サーフィン・U.S.A.」へのオマージュであり、思わず笑ってしまった。しかし、よくよく歌詞を聴いてみると、この突き抜けたポップスとしての強度の源泉にあるものが分かってくる。

 

「きっと明日は来るだろ もっとダメになるだろ そんなときはシエー」

「もっと人は黙るだろ きっと楽になるだろ そんなときはダー」

 

怒りと絶望をかかえながら、どうやって平気かつ陽気にやっていくか。それが1つのテーマであるようにも思える。THE BEATNIKSのユニット名はアメリカのビート詩人、社会の不正に対し異議申し立てをしてきたアーティストたちから取られている。イエロー・マジック・オーケストラやムーンライダーズが「ビックリハウス」や「宝島」で人気だった頃、同じような層から支持されていたクリエイターの中には、いまやゆるふわおじさんとして怒りに対して冷笑的な態度を取る者もいる。それは仕方がないことかもしれないが、THE BEATNIKSの音楽には怒りがあり、それがこの時代においてリアルでシリアスなものとして、私には感じられる。

 

「赤塚不二夫生誕80周年企画・バカ田大学祭ライブ」への出演に際してつくられたもう1つの新曲「鼻持ちならないブルーのスカーフ、グレーの腕章」になると、怒りの存在はさらに明確である。

 

「太平洋は最低 その両岸も世界中が最高の最低」

「血の色が血の色足して 虹を作ろうとしている 七色にしようとしてる」

 

そして、最後に呟かれる。「反対なのだ」と。

 

このアルバムはイントロダクション的な「Crepuscular Rays」に続き、ニール・ヤング「I've Been Waiting For You」のカヴァーではじまる。すでにこの世にはいない大切な人たちに対して歌っているような美しいバラード「Broken Spectre」、メンフィス・ソウル的な「ほどよい大きさの漁師の島」、もっと対話をしようというメッセージが込められているような「Softly-Softly」、不機嫌な時代におけるバブルガム・ポップを目指したようにも聴こえる「BEAT印のDOUBLE BUBBLE」、彼岸からのラヴ・ソングとでもいうべき趣の「Unfinished Love~Full Of Scratches~」と様々なタイプのいずれも素晴らしいポップ・ソングが並ぶ。まだ数回しか聴いていないため、より深く理解するためにはまだまだ聴き込みが必要である。

 

10曲中の9曲目に収録された「Speckled Bandages」は、「ぼくがちょっとでも可笑しなことを言ったりして 困ったなら枕をあててね」という歌い出しではじまる。老いや死という概念がテーマにある、これこそ究極の大人のポップ・ミュージックではないか。

 

「最終のバスに乗り遅れたか そんな日が続いてる 大笑いしたいね」

 

これには衝撃を受けた。この歌詞を書いた鈴木慶一が率いるムーンライダーズの「最後の晩餐」というアルバムを、1991年の春に買った。「Who's gonnna die first?」という曲ではじまるこのアルバムはロックでありながら大人な内容を取り扱っていたが、その後の人生において、何度もより深く意味が理解できるようになる瞬間があった。人生の先輩であるアーティストがこのような作品を出し続けてくれることは、ひじょうにしあわせなことである。まったくの余談だが当時、「ロッキング・オンJAPAN」のインタヴューでフリッパーズ・ギターが「ムーンライダーズにはなりたくない」と言ったのに対して、鈴木慶一は「なれるものならなってみろ」と応酬していたような記憶がある。このアルバムには当時、フリッパーズ・ギターのメンバーであった小山田圭吾も参加している。

 

怒り、絶望しながらも平気で陽気に生きていこう。それは、かつてのビート詩人たちによるメッセージのようでもある。

 

 

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