アナログレコードが売れているようだ。ソニーは自社の工場にアナログレコード用のスタンパー製造設備なるものを導入したらしく、よく分からないのだが、要するにアナログレコードを自社で生産できるようになったのだという。
その第1弾として、3月21日に『EIICHI OHTAKI Song Book Ⅲ 大瀧詠一作品集Vol.3 「夢で逢えたら」』いうアルバムが発売されたようだ。そして、同じ日に発売された洋楽の第1弾は、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」である。
1978年にリリースされたこのアルバムは、翌年の全米年間第1位にもなる大ヒットを記録した。また、1982年に世界初の商業用CDとして生産されたのも、このアルバムだったのだという。
そして、きわめて個人的な話ではあるが、私がはじめて買った洋楽のアルバムもまた、これであった。
妹の幼稚園で運動会が行われていた、初夏の日曜日だったはずである。家族で応援に行っていたのだが途中で飽きて、一旦家に帰って水風呂を浴びた。確かわりと暑い日ではあったのだ。それから自転車に乗って、旭川の市街地に行った。駅前からはじまる平和通買物公園は、じつは日本ではじめての歩行者天国である。駅に近い方から西武、長崎屋、丸井今井、マルカツ、まるせんなどの百貨店や、少し離れてファッションプラザオクノがあった。映画館や飲食店、遊技場などもあり、夕方や休日などはいつも賑わっていたような印象がある。レコードを売っている店もたくさんあったが、私が主に利用していたのは丸井今井の隣にあったミュージックショップ国原、ファッションプラザオクノ地下の玉光堂、西武百貨店2階のディスクポートなどであった。
中学2年生にもなったし、そろそろ洋楽でもちゃんと聴こうと思い、NHK-FMをつけていると、「軽音楽をあなたに」という番組でビリー・ジョエルを何曲かかけるというので、それをカセットテープに録音した。
ビリー・ジョエルは1978年の夏に「ストレンジャー」が、日本で大ヒットさせていた。当時、小学生で洋楽を意識的に聴いていなかった私でも、この曲はやたらとラジオでかかっていたので知ってた。オリコンでの最高位は、8月21日付の2位である。この週の1位はピンク・レディー「モンスター」で、3位がサーカス「Mr.サマータイム」である。4位にはビー・ジーズ「恋のナイトフィーヴァー」、8位にはアラベスク「ハロー、ミスター・モンキー」と、この週はトップ10のうちの3曲を洋楽が占めていたことになる。
「ストレンジャー」はピアノのイントロに口笛の音色が印象的であり、それがしばらく続いた後で、急にロック調になる。歌詞の内容は精神的なわりとややこしいもののようなのだが、日本ではおそらく都会的なムードとキャッチーなメロディーが受けたのであろう。この曲がここまでの大ヒットになったのは日本だけというか、アメリカでは「素顔のままで」がシングルカットされ、最高3位のヒットを記録している。アメリカではその後、アルバムから「ムーヴィン・アウト」「若死にするのは善人だけ」「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」がシングルカットされるが、表題曲の「ストレンジャー」はされないままであった。
その年の秋に「ニューヨーク52番街」が発売され、これも大ヒットするのだが、私が「軽音楽をあなたに」でビリー・ジョエルの曲をカセットに録音したのは、1980年のことであった。3月にアルバム「グラス・ハウス」がリリースされ、それも大ヒットしていた。その日の「軽音楽をあなたに」では、「グラス・ハウス」からの曲もかかったのだが、私は「ニューヨーク52番街」からの「マイ・ライフ」「オネスティ」「ビッグ・ショット」の方が、より気に入ったのであった。
カセットテープで何度も聴いているうちにかなり気に入っていたので、そのうちレコードを買おうと思っていた。この頃、すでに松田聖子がデビューして、アイドルブームがはじまりかけていたのだが、私は前の年にデビューしてそれほどヒットはしていなかった倉田まり子がわりと好きだったので、当時、リリースされたばかりのアルバム「ストーミー・ウェザー」を買いに行ったのだ。そのついでに、「ニューヨーク52番街」も買ったのだったと思う。シングルが500円から600円、アルバムが2,500円から2,800円に値上げされた頃であった。洋楽のレコードに国内盤と輸入盤があることは、すでに知っていた。輸入盤は値段が安いかわりに、対訳や解説が付いていない。場合によっては、歌詞さえも載っていない場合もある。その日、私は「ニューヨーク52番街」のLPレコードを輸入盤で買った。歌詞は確か内袋に印刷されていたはずである。
このアルバムのジャケットで、ビリー・ジョエルはトランペットのようなものを持っている。アルバムにはジャズ、フュージョン畑のミュージシャンも参加していて、アルバム全体の雰囲気もその影響を大いに受けている。私が後にジャズっぽいポップスをわりと好きになるのには、最初に買った洋楽のアルバムがこれだったということも、大きく影響しているのかもしれない。それから、ジョー・ジャクソン「ナイト・アンド・デイ」、ドナルド・フェイゲン「ナイトフライ」、シャーデー「ダイヤモンド・ライフ」あたりが追い打ちをかけたような気がする。
特にB面が渋くていいのだが、やはりよく聴いたのはシングル曲が収録されたA面の方であった。当時の日本の若者文化は、概ねアメリカを志向していた印象が強いのだが、「マイ・ライフ」はサウンドや自分の道を行くよという内容の歌詞をも含め、アメリカへの憧憬を強化してくれるような曲であった。バラードの「オネスティ」は特に日本では、やたらと人気があった。歌詞の内容は「誠実さとはとても得るのが難しいものである」というような、わりと固い内容ではあるのだが、当時の私は英和辞典を引きながら、まったく確かにその通りだ、と納得していたものである。そして、歌詞を読みながらレコードと一緒に歌った、はじめての英語の曲である。いまでもカラオケで歌詞を見ずに歌うことができるが、間違いなく微妙な空気になることは目に見えているので、気心の知れた仲間内だけの時以外はけして入れないようにしている。
また、「オネスティ」は当時、ネッスルの「チョコホット」という飲み物のCMにも使われていて、そのイメージもかなり強かった。
ところで、このネッスルというメーカーのことを、いまではネスレというようになっているのだが、これはいつぐらいからなのだろうか。1980年代の半ばぐらいには確か、いとうせいこうがCMで「ネッスルの朝ごはん」とラップしていたはずである。調べてみたところ、1994年にはすでにネスレの変更していたということである。
田中康夫のベストセラー小説「なんとなく、クリスタル」の時代設定は1980年であり、主人公の由利が部屋で聴いているFENからはクリストファー・クロスの「風立ちぬ」が流れたりする。この小説の註釈で、ビリー・ジョエルは「ニューヨークの松山千春」と解説されている。
「オネスティ」は「ニューヨーク52番街」から「マイ・ライフ」「ビッグ・ショット」に続く3枚目のシングルとしてリリースされたが、全米チャートの最高位は24位と、日本におけるこの曲の人気ほどはヒットしていない。ビリー・ジョエルが全米シングル・チャートではじめての1位を記録するのは、「グラス・ハウス」からの「ロックンロールが最高さ」だが、逆にこの曲は日本のファンにそれほど人気が高くはないような気がする。
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