ローリング・ストーンズ「ハーレム・シャッフル」と1986年春の記憶。 | …

i am so disappointed.

1986年3月22日付のビルボードHOT100チャートを見てみる。1位は先週の2位から1ランクアップしたハート「ジーズ・ドリームス」で、2位は先週には1位だったスターシップ「セーラ」である。いずれもひじょうにドラマティックなタイプの曲であり、私はおそらくカセットテープに録音をしていたが、レコードは買っていない。

 

1980年ぐらいから意識的に洋楽も聴くようになり、まず最初は全米ヒット・チャートに入っているようなレコードをよく買っていた。しかし、それから数年間のうちに音楽の趣味も変わっていき、「ロッキング・オン」「ミュージック・マガジン」「宝島」といった雑誌で紹介されている全米ヒット・チャート以外のものもいろいろ聴くようになっていた。また、全米ヒット・チャートにランクインしているような音楽には、あまり好みではないと思うものも増えてきていた。

 

高校卒業までは旭川の実家に住んでいて、土曜の深夜にはアール・エフ・ラジオ日本で放送されていた「全米トップ40」を聴き、ランキングを大学ノートに書き写したりもしていた。しかし、東京で一人暮らしをはじめてから、この番組を聴いていた記憶がない。おそらく大好きな松本伊代が出演していたフジテレビ「オールナイトフジ」を観ていたのだろう。日本テレビの「TV海賊チャンネル」やテレビ朝日の「ミッドナイトin六本木」とザッピングしながらである。TBSでは横山やすしをメインにした「やすしの度胸一発」が放送されていたが、これはあまり観た記憶がない。「よい子の歌謡曲」の梶本学編集長が出ていた時は、おそらく偶然に観ていた。

 

また、ビルボードのランキングをチェックするならば、テレビ神奈川で「Billboard Top 40」という番組が放送されていた。というか、これはいまでも放送されている。しかも、VJを当時と同じく中村真理が担当している。数年前には同じ司会者による同じ形態の音楽番組の最長寿番組として、ギネスにも認定されたのだという。

 

当時、私は文京区の千石にあった大橋荘というアパートに住んでいた。間取りは四畳半で、風呂は無かったので、近所の草津湯という銭湯を利用していた。テーブルタイプのテレビゲームが置いてあって、土曜日の夜につかりにいくと、小学生ぐらいの子供がそれをやりながら、「やめられまへんなぁ」と「オレたちひょうきん族」での明石家さんまのギャグを真似していた。

 

水道橋の研数学館という予備校に通っていたのだが、ここはかなり以前に予備校としての業務を停止してしまい、遂には建物も取り壊されてしまうらしい。また、神保町に行く途中にあった「いもや」というとんかつ屋さんも今年の3月いっぱいをもって閉店してしまうという。

 

この予備校では東京ではじめての友だちもできたし、それなりに勉強もしたので、その甲斐あってか第1志望校に合格することができた。大学のイメージや渋谷というロケーションに憧れたというのもあったのだが、教養課程は神奈川県厚木市のキャンパスだったので、小田急沿線の、今度はお風呂もついたワンルームマンションに引っ越すことが決まっていた。その前に、実家に少し帰ることも決っていたのだが。

 

受験の結果が発表され、それぞれの進路が決まった。それでも入学まではまだ時間があり、私と予備校の友人たちは新宿から夜行バスに乗って、長野県までスキーをしに行ったり、意味もなく街をふらついたり喫茶店で時間を潰したり、束の間のモラトリアムを謳歌していた。

 

大橋荘の部屋で友人と畳の床に横たわり、時刻は真夜中と明け方の間ぐらいで、14インチのテレビに映る「オールナイトフジ」はエンディングであり、女子大生がエアロビクスのようなものをやっていた。流れている音楽はプリンスの新曲「KISS」であり、まったくムダが無く、贅肉を徹底的に削ぎ落としたようなサウンドがやたらとカッコいいなと思ったのである。

 

大橋荘に住んでいた頃、最後に買ったレコードはおそらくパブリック・イメージ・リミテッドの「アルバム」で、巣鴨駅の近くにあったDISC510、またの名を後藤楽器店で買ったはずである。岡田有希子が「くちびるネットワーク」で、初のオリコン1位に輝いていた。「オールナイトフジ」に出演していたオールナイターズは女子大生だったが、その高校生版というのがコンセプトだったおニャン子クラブは全国的なブームを巻き起こし、その頃には派生ユニットやソロ・デビュー組も大ヒットを連発していた。年が明けてからは新田恵利「冬のオペラグラス」、うしろゆびさされ組「バナナの涙」が1位、国生さゆり「バレンタイン・キッス」が2位を記録した他、会員番号5番、なかじこと中島美春の卒業シングルともなったおニャン子クラブ本体の「じゃあね」、そして、この週には吉沢秋絵の「季節はずれの恋」が1位になっていた。もっともこのシングルの場合は、B面に収録されたおニャン子クラブのメンバーが全員集合した「会員番号の唄」が目当てで買ったファンも少なくはないだろう。

 

「ロッキング・オン」を買うと、ローリング・ストーンズのニュー・アルバム「ダーティ・ワーク」の広告が載っていた。電話をかけると先行シングルの「ハーレム・シャッフル」が聴けるというサービスをやっているようだ。大橋荘には電話は引かれていなかったので、私は数枚の10円硬貨を握りしめ、近くにあった文具屋の前の公衆電話から、その電話番号にかけてみた。音質は著しく悪かったのだが、ローリング・ストーンズらしいシンプルなロックンロールがやたらとカッコいい。このアルバムには期待できそうだ。

 

私が洋楽のレコードを買いはじめて、まだそれほど経っていなかった1981年の秋、ローリング・ストーンズはアルバム「刺青の男」をリリースし、やはり全米1位に大ヒットを記録した。私もお正月にもらったお年玉の一部で買ってみたものの、はじめは良さが分からなかった。その頃に聴いていたREOスピードワゴン「禁じられた夜」、スティクス「パラダイス・シアター」、ジャーニー「エスケイプ」、フォリナー「4」などに比べると、音楽性は異なっていて、やや地味にすら感じられた。しかし、何度も何度も繰り返し聴いているうちに、いや、これこそが渋くてカッコいいのだという気分になってきた。

 

高校に入学した1982年には、ライブ・アルバム「スティル・ライフ」がリリースされた。これには代表曲の「夜をぶっとばせ」や「サティスファクション」も収録されていて、気に入ってよく聴いていた。シングル・カットされた「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」はスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのカバーだったが、当時はまだオリジナルを知らなかった。テンプテーションズのカバー「ジャスト・マイ・イマジネーション」も収録されていた。

 

私がはじめて「サティスファクション」を知ったのは、「クイズドレミファドン」のイントロクイズで沢田研二が即答したことによってであった。おそらく日本で独自に編集されたと思われるベスト・アルバムを買って、カセットに録音した。それを何度も何度も聴いているうちに、これこそが私が本当に好きな音楽なのだ、というような気がしてきた。

 

1983年の秋にはアルバム「アンダーカヴァー」が発売されるのだが、じつはその少し前に高校の修学旅行があり、私はオープンしたばかりの六本木ウェイヴでレコードを買いすぎたためにお金が無くなり、このアルバムを買うのは少し遅れてしまったのであった。このアルバムのアートワークは女性のヌードであり、数ヶ所にステッカーが貼られている風になっていた。輸入盤はステッカーを剥がすことができるという話を聞いたことがあったような気がするが、私が買ったのは国内盤であった。

 

先行シングルの「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」にはヒップホップからの影響が取り入れられていて、ローリング・ストーンズのファンからは賛否両論だったようだが、私は新しいポップスとして大いに楽しんでいた。1978年に全米1位を記録した「ミス・ユー」も、当時流行していたディスコ・ミュージックの要素を取り入れたものであり、ベテランながらこのように新しもの好きなところも、私はかなり気に入っていた。

 

1985年、私が東京で一人暮らしをはじめる少し前にミック・ジャガーが初のソロ・アルバム「シーズ・ザ・ボス」をリリースした。2月に受験のために東京のホテルに泊まっていた頃、先行シングル「ジャスト・アナザー・ナイト」のビデオがよくテレビで流れていて、12インチ・シングルもおそらく六本木ウェイヴで買ったはずである。アルバムは旭川に帰ってから、おそらくミュージックショップ国原で輸入盤を買った。

 

私が旭川に住んでいた頃におそらく最も多くのレコードを買ったであろうミュージックショップ国原はすでに存在していなく、その場所にはコンビニエンスショップのローソンがある。地下には北海道札幌出身のオーガニックガールズユニット、WHY@DOLLのリーダー、ちはるんこと青木千春さんが好きな旭川ラーメン梅光軒の本店がある。

 

ビル・ラズウェルやナイル・ロジャースといったダンス畑のプロデューサーの起用によって、サウンドはローリング・ストーンズとは異なり、よりダンス寄りのものになっていた。音楽誌での評価もそれほど芳しくなかったような記憶があり、セールスも全米13位と、ローリング・ストーンズのアルバムに比ると、振るわなかった。また、キース・リチャーズはミック・ジャガーがソロ・アルバムを出すこと自体がかなり気に入らなかったらしく、この時期、2人の関係はかなり険悪だったのだという。

 

「ダーティ・ワーク」はちょうどその頃にレコーディングされていたようなのだが、ミック・ジャガーはリリースされたばかりの「シーズ・ザ・ボス」のプロモーションが忙しく、なかなか他のメンバーと一緒に参加できなかったようだ。「ダーティ・ワーク」からの2枚目のシングル「ワン・ヒット」においては、この時期のミック・ジャガーとキース・リチャーズとの関係が険悪であったことがよく分かるようなシーンもある。

 

1985年の7月13日に、歴史的なチャリティー・ライブ・イベントである「ライブ・エイド」が開催されるのだが、ミック・ジャガーはソロで、キース・リチャーズとロン・ウッドはボブ・ディランとのセットで出演している。また、この年、ミック・ジャガーはデヴィッド・ボウイとのデュエットで、マーサ&ザ・ヴァンデラス「ダンシング・イン・ザ・ストリート」のカバーをシングルとしてリリースし、全英1位を記録している。

 

1986年にリリースされた「ダーティ・ワーク」は、ローリング・ストーンズにとってレーベルを移籍して最初のアルバムであり、また、長年、共に活動してきたピアニスト、イアン・スチュアートが前年の冬に亡くなったため、彼が参加した最後の作品ともなった。

 

先行シングルの「ハーレム・シャッフル」は、ボブ&アールによる1960年代の曲のカバーで、コーラスではR&Bシンガーのボビー・ウーマックが参加している。ビデオはアニメーションと実写とが一緒になったユニークなもので、メンバーの衣装や髪型といったスタイリングも、ひじょうにカラフルでスタイリッシュなものになっている。この曲は全米5位のヒットになったが、ローリング・ストーンズのディスコグラフィー上は、あまり振り返られる機会が無いような気がする。ボブ&アールのオリジナルは昨年、映画「ベイビー・ドライバー」で使われていた。

 

このアルバムがリリースされた時、私は一時的に旭川の実家に帰省していたので、やはりミュージックショップ国原で買ったのではないかと思う。このアルバムのジャケットで、ローリング・ストーンズのメンバーはカラフルな服装をしているのだが、デザイナーのキャサリン・ハムネットによるものらしい。私はこのアルバムをCBSソニーからリリースされた日本国内盤で買ったのだが、ジャケットに赤い透明のパックがしてあり、これを剥がさなければあのカラフルなアートワークを見ることができなかった。また、このアートワークではキーズ・リチャーズがセンターになっているのだが、これが当時におけるバンド内での力関係をあらわしているなどとも言われ、「ダーティ・ワーク」はキースのアルバムだともされているようだ。

 

実家の2階の部屋をかつては私が使っていたが、その時には妹のものになっていた。しかし、帰省している間は使わせてもらっていたので、ステレオで「ダーティ・ワーク」を聴いた。ここ数年では最もローリング・ストーンズらしいアルバムではないかと、なかなか気に入ったのであった。これから大学生活がはじまり、いろいろな楽しいことがたくさん起こる。混じり気のない未来への期待に、胸はふくらんでいた。

 

このレコードはそのまま一人暮らしをする部屋に送ったのだが、じつはそれほど聴かなかった。テレビ神奈川では、「ハーレムシャッフル」のビデオがよく流れていた。

 

大学のオリエンテーションが終わり、小田急相模原駅から当時住んでいたワンルームマンションまでの間にオウム堂というレコード店があり、後に名称をおーむ堂に変更していたのだが、岡田有希子のアルバム「ヴィーナス誕生」を買って帰った。レコードをターンテーブルに載せ、針を落とした。1曲目は坂本龍一が作曲し、ムーンライダーズのかしぶち哲郎が編曲した「WONDER TRIP LOVER」である。なかなかユニークな曲だと思い、ふと壁掛け時計を見ると、午後6時少し前であった。「夕やけニャンニャン」のエンディングぐらいは、まだ観られる。テレビをつけ、チャンネルを8に合わせた。司会のタレントがスタジオから報道センターの逸見政孝アナウンサーに呼びかけて、この後のニュースのヘッドラインを聞くコーナーである。いつもは冗談の応酬も見られるのだが、この日は表情がどことなく神妙であった。そして、逸見政孝アナウンサーは、このようなことを言った。「歌手の岡田有希子さんの自殺はショッキングでしたが...」

 

一体、何を言っているのだろう。はじめはさっぱり分からなかったのだが、次第にその意味を理解して、何ともいえない気分になった。ステレオの横には「ヴィーナス誕生」のジャケットが立てかけてあり、そこに映っている少女はもうこの世にはいない。よく晴れた日の夕方、新築のワンルームマンションで白い壁に囲まれながら、私はただ茫然としていた。ただとにかく無念であり、少しずつ認識されてきた怒りは一体何に対してなのか。とにかく、私はそれからしばらくの間、その理由を解き明かすための言葉を探し続けたし、それ以来、以前と同じようにアイドルを楽しむことが困難になってしまった。

 

「ダーティ・ワーク」をその後、それほど聴かなくなってしまったのには、そのような理由もあったのかもしれない。町田か本厚木の丸井で、はじめてのCDプレイヤーを買った。ザ・スタイル・カウンシル、RCサクセション、はっぴいえんどのCDを、まずはじめに買ったような記憶がある。

 

それはもう少し後だったのかもしれない。プリンス&ザ・レヴォリューション「パレード」や、春先によく聴いていたロキシー・ミュージックやスティーリー・ダンのベスト盤はアナログレコードで買っていたから。あと、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」のLPレコードは小田急相模原駅近くのビルにあった新星堂で買って、バナナのシールは剥がれるようになっていたと思う。バングルス「マニック・マンデー」、ドリーム・アカデミー「ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン」の7インチ・シングルも確かここで買った。

 

 

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