誰も追いつけない圧倒的なスタイル、に向かって。 | …

i am so disappointed.

今日これから書くブログはおそらくものすごくつまらないものになるのではないか、という予感でいっぱいである。Negiccoの名前は出しているがNegiccoを中心にした内容ではないので、Negiccoカテゴリーに入れていいものかと迷いはしたのだが、かつて「卒業-さゆみんに向かって」というブログをやっていた頃に言われていた、「道重さゆみというアイドルを通した自分語り」によく似たやつなので、別にそれでもいいかなという気もするし、そもそも殆どの人にとってはどうでもいい。それは重々承知の上でなぜ書いておくかというと、このブログの本来の目的であるリアルな生活の記録として、である。

 

さて、私はなぜNegiccoが好きなのだろうかと考えるに、その理由の筆頭は音楽がすごく良いから、というものであった。アイドルグループというよりは音楽アーティストとして好きであり、それでも音楽アーティストだけにしておくには勿体ないぐらいにアイドルとしても素晴らしく、その辺りがたまらないと思っていたのだ。それでも、やはりそれ以外の特別なサムシングがあるのではないかと、そんな気もしていた。

 

そして先日、新曲の「愛は光」を聴いた。その結果、私がNegiccoに強く魅かれていた理由とは、アイドルという職業に対する覚悟と誇りであり、そこに自分自身が理想とする姿を見ていたからではないだろうか、と気づいた。

 

これで、色々なことに合点がいったのである。

 

私はたとえば現在、生業としてやっている職業において一流であり、勝ちたいと思っている。そこに覚悟と誇りを持つことを理想とし、それが美しいとも思っている。

 

いずもずっとそうだったかというと全くそうではなく、紆余曲折を経て、このような境地に至ったという訳である。その過程において、人生を救ってもらったと言ってもいいぐらいの重要な役割を果たしたのがアイドルの道重さゆみであり、現時点で命の恩人を1人挙げよと言われれば、何の迷いもなくその名前を出すことに躊躇はない。その割に、再生公演には行っていないという体たらくである。

 

だって、チケットが取れなかったんだよおおおおおおおおおおおおお。

 

閑話休題。

 

そこで、私がNegiccoに出会ったのはそう、偶然の運命であり、無駄なことなんてないね、という訳で、きっとたぶんそういうことだったのであろう。

 

Negiccoが「授かった愛を 輝きに変えよう 惜しむ事なく」と歌える境地にまで至る過程で、一体どれだけの苦難や困難、悲しみや悔しさがあったことだろう。そして、葛藤はおそらく現在も続いている。

 

その時に、それでも先に進んでいこうと思わせたものとは、一体何だったのだろうか。深く感謝をするようなファンの支えというのは、その頃からあったのであろうか。当時を知らない私には、想像をすることしか出来ない。


とにかくやると決めて、迷いや不安と戦いながらもやってきたのだろうか。その過程で、1人1人のファンを大切にすること、1つ1つのパフォーマンスを一生懸命やることを、地道にコツコツと続けてきた。その先に、「授かった愛を 輝きに変えよう 惜しむ事なく」と歌うことが出来る現在がある、と私は考える。

 

それを自分自身に置き換えて考えてみたところ、慢心しているところは無いだろうか、と厳しく再点検することが出来た。多くの人に比べると一生懸命やっているつもりになっていて、その気分にに多少酔いしれてもいたのだが、Negiccoと比べてどうなのかと考えると、全くそれほどでもない、と思えてしまった。

 

たとえば、プロスポーツ選手や芸能人と一般の会社員とを同じように見るのはどうなのか、という話はある。収入だって世間一般からの注目度、知名度だって全く違う。

 

しかし、私は負けるものかと思う。ジャンルやファンの数は違えど、プロとして一流を目指すことでは同じではないのか。だとしたら、それほど本気かつ全力ではやり切れていないのではないかと、そう思えてきた。それで、私はとにかく本気でさらに上を目指したいので、そんな気持ちでこれからはやっていこうと、決心したのであった。

 

そして、今日も仕事だったのだが、そうすると意識が変わり、行動も変わっていった。いつもの感覚だとスルーしても許されがちな顧客の要望に対しても、それではまだ十分ではないと、会社の慣例とかそんなものとは関係なく、自分という人間としてこれが出来る限界なのかと考えると、全くそんなことは無かったので、いつもより踏み込んだアプローチを試みた。その結果、実際に業績に繋がるようなことにもなった。

 

また、一切、目先の業績には繋がらないのだが、目の前の顧客のニーズにやれるだけの全力で応えることが、現時点では寧ろマイナスになるかもしれないが、その行動は顧客の為を思い誠心誠意やることであり、それによって増した自分自身の仕事への誇り、また、ボーナスとして得られるかもしれない顧客の信用は、おそらく自分の財産になるだろうと確信している。

 

そして、妥協なくガチで本気なので、軋轢も生む訳だが、信念があるのでけしてマイナスの感情に陥ることも無い。寧ろ、これこそが本気の証だと思い込むことが出来る。勿論、その場合にも優しさを忘れてはいけない。

 

生業において最も大切なのは顧客の喜びであり、それを実現しようと本気で突き詰めて考えていくと、やはり慣習や前例を打破することにはなっていく。幸い、いま現在の私には、それをある程度までならばやっても良い権限が与えられているので、これを行使しない手は無い訳である。

 

正しいと信じるならば、常識外れだと思うことでも積極的にやっていく。いや、寧ろ常識外れのようだからこそ、可能性があるのではないだろうか。

 

よく不可能を可能にする、だとか言う訳だが、その第1歩とはこのような動きなのではないかと、思うのである。

 

仕事の現場では多くの人々を雇用し、業務を分担していただいている。中にはまだ10代の学生などもいるのだが、人それぞれ個性も様々である。とてもオリジナリティーと才能に溢れ、光るものを持っている人に出会うことが出来たので、どんどん時間を与え、私のビジョンを技術とセンスで具現化してもらった。そのいずれもが、私の期待を大きく上回るものであった。

 

彼女は優秀すぎるがゆえに、おそらく近い将来に、私の元から去っていくのではないかという不安に駆られている。というか、もうそれはほとんど覚悟している。もしそうだとしても、彼女は現在の私のレベルには素晴らしすぎるし、これまでに十分過ぎるほどの仕事をしてもらったので、仕方が無いことだと素直に思える。その悔しさは、私が今後、より成長するために神が与えた試練なのだと思うことにする。

 

今日、ある程度の大きな仕事をすさまじいセンスと勢いと根性で終わらせてくれて、ああこれでもう終わりなのだなと、言葉にはしないながらもマイルドな悲しみに浸っていたのだが、帰り際にもし時間があるならば今後やってみたい仕事の内容などを話され、もちろんその為の資料を一生懸命に印刷をしたりはしていたのだが、もうどうにも頭がクラクラしそうな訳である。

 

こういうの、何かすごく良いな、と思うのである。

 

私がいま、これだけ勢いづいて貪欲化しているのも、最近のこの感じが、本来、理想としていたスタイルをリアルにヴィヴィッドに思い出させてくれているからである。

 

もう本当に感謝しか無いのである。気持ち悪がられたり怯えさせるだけなので、絶対に言うはずはないのだが。

 

その上で、Negiccoの「圧倒的なスタイル」を思い出した。

 

「輝いてたはずのトキメキはどうしているの?」

「大切なモノを見失わないでいて 全て君の手の中にあるから」

「君だけのステップ見せつけて 誰も追いつけない圧倒的なスタイル」

「今しか出来ない 今の君しか出来ない 輝くステージ 君を待っているから」

「周りの声に惑わされても 決めるのは君さAlways あきらめるには早すぎる 始まったばかり」

 

「愛は光」を聴いた後、また、いま現在の私の心境においてこの曲を聴いた場合、その意味の濃さはとてつもないものになっている。

 

結果なんていうものはいつ急に出てくるのか分からないのだが、それは日々の信念に基づいた行動の積み重ねがあってこそなのだろう。

 

いま私は、「君だけのステップ」や「誰も追いつけない圧倒的なスタイル

」を目指すというレベルで動けているという実感があるので、おそらく大丈夫のではないかという気はしている。

 

アイドルの生きざまに自分自身の最もコアの部分を重ねるという、ファンとして最も気持ちの悪い享受の仕方をしている。ブレていないというか懲りていないというか、おそらく私にとってアイドルとはこのような存在であり続けるのだろう。