恋のシャナナナ | …

i am so disappointed.

先週、大阪の味園ユニバースで行われたNegiccoのライブからの動画をT-Palette RecordsのYouTube公式チャンネルが公開していて、それはツイッターのタイムラインを見ていたりして知っていたのだが、今日までそれを視聴せずにいた。

 

先日、チケットを購入し、昨日、近所のセブンイレブンで発券してきたので、明日のZepp DiverCityのライブにはおそらく無事に参加することができるのだろう。

 

昨年の今頃は中野サンプラザにおいて、ツアーファイナルのライブがあった。その年の3月にNegiccoの音楽を初めて聴くやいなや、たちまち夢中になっていった私にとって、初めて参加するNegiccoのコンサートであった。それは素晴らしい体験であり、その後のファンの集い的な飲み会にも参加させていただいた。

 

当時、私はNegiccoのことが好きになりすぎて、コンサートの他にもいろいろなイベントに可能な限り行き、ついにはグループの地元である新潟にまで足を運ぶ事態となった。ブログにはほぼ毎日のようにNegiccoについての文章を書き、アクセス数もそこそこあったはずである。

 

当選確率がかなり低いといわれていた新宿でのバーベキューイベントに当選したり、Negiccoの長いキャリアの中でもかなり深い意味を持ったであろうNHKホールでのライブもなかなかの良席で観ることができた。

 

あのままいけば、私はより濃く熱いNegiccoファンになっていたのではないだろうか。そのような現在もありえたはずである。

 

タワーレコード錦糸町店で行われた「ティー・フォー・スリー」リリースイベントの時点では、まだそのような勢いがあった。その翌週ぐらいに仕事上でかなり大きな予定が入っていて、それに対するマイルドな緊張や人集めにまつわる困難という問題もあり、しかしそれをある程度は楽しんでもいた。

 

その仕事の当日、ある件についてまるで冗談のように話し、その時点では私にとっても笑えるレベルでの話だったので、まだそれほどではなかったのだと思う。しかし、6月終わり近く、Shiggy Jr.とNegiccoの対バンライブを観に行った時に、すでにそれは大きな強迫観念となりつつあった。

 

私の日常にわりと大きめな事件が知らない間に起こっていて、いつしかそれが生活の中心となっていた。やがてそれは、これまでの私の人生の中でもかなり大きなものなのではないかと思えるほどになっていて、いつかそれが終わる可能性も予想できたので、その日をなるべく遅らせるように、出来ることならばそんな日が永遠に来ないように、そんなことばかり考えて、毎日を懸命に生きていた。

 

NHKホールのライブ当日もせっかく休みを取ったにもかかわらず、間に合うギリギリの時間までそこにいて、終演後は戻った後ではほんの数十分しかないことは分かっていたのだが、それでも1秒も無駄にはしたくないと思い、やはりその場所に戻った。

 

あれほど現実の何かに対して真剣だったことはこれまでに一度も無かったし、おそらく今後ももう無いのではないかという気もする。そんな事情もあり、それからNegiccoをはじめ、アイドルのイベントやそれ以外の遊びの場に行くこともほとんど無くなった。

 

しかし、そんな素晴らしい日々は、ついに終わりを迎えることになった。そうならないように出来る限りのことはすべてやったのだが、力が及ばなかった。それから1ヶ月が経ったが、やはり心は憂鬱なままであり、気がつくと楽しく充実していた頃の思い出にばかり浸っている。

 

まったく前向きではないのだが、それを超えるだけの現実が現われるまで、もしくはもう死ぬまでずっと、こうしていた方がまだましなのであろう。

 

むなしい時間をできるだけ埋めようと、いろいろな努力を試みるのだが、いずれもいまのところはうまくいっていない。

 

そんな中、Negiccoのライブに9ヶ月ぶりに参加してみようと思ったのは、少しでもましな気分を味わいたいと思ったからである。

 

そこで、T-Palette Recordsの公式YouTubeチャンネルで公開されていた動画から、「恋のシャナナナ」の動画を視聴した。

 

じつは今週の月曜日、LINEのプロフィールに貼ったBGMをGREAT3「愛の関係」からこの曲に変えたばかりだった。

 

じつに楽しそうである。大阪に合わせて歌詞を変えたり、パフォーマンス中にメンバー同士がじゃれ合うような感じなど、ひじょうに良いものを感じた。そして、やはり曲が最高に素敵だし、ネギホーンズを従えたサウンドもゴキゲンである。

 

少しでもましな日常、あたかも非日常に近いような何か、それがもしかするとそこにはあるのではないかという気がした。

 

ポップ文化の社会的意義というのは、もしかするとそのようなところにあり、アイドルグループにして音楽アーティストであるNegiccoもまた、その役割を果たしているのであろう。

 

本当の興奮や感動、自分自身の人生にひじょうに近く、心を根底から動かしてくれた衝動、それはいまは私から離れてしまい、いまやその感触すら忘れかけている。これはとても悲しいことだ。しかし、この悲しみや悔しさが、次に何かを起こすきっかけになるのかもしれない。いまはそれが何なのかさっぱり予想もできないにしてもだ。

 

たとえばポップ文化の魔法が私の心を根底から揺さぶってくれたり、人生を変えたりする可能性を、私はいまはもうあまり信じてはいない。なぜなら、それよりも強烈な体験をしてしまったからである。その残像のようなものに眩暈を感じたふりをすることは、実際の体験やその原因となった人の価値を実際よりも低めるような気もするので、けしてやりたくはない。

 

純粋に素敵なアイドルグループ、音楽アーティストのパフォーマンスをライブで楽しみ、少しでもましな気分を感じたい。初めて、それだけの理由でNegiccoのライブに足を運ぶ。しかし、それで十分ではあるし、それだけでも尊いものなのであろう。