未来への希望があるから、生きていける。たとえばそれを特定の誰かの存在に勝手に当てはめ、それが失われつつあるからといって、この世の終わりでもあるかのように落ち込んでみたり、生きていることをやめたくなったりするのは、どうしたものだろう。
そんなに他人の存在に依存するものではなく、もっと自分自身で生きていくべきである。確かにその通りである。しかし、そうは簡単にいかないほどの深刻さにこそ、生きている実感を得ることができる。
たとえば現実的に姿を見ることができなくなったり、声を聞くことができなくなったり、つまり、実際に会ったり話をしたり、はたまた言葉のやり取りすらできなくなった場合、それはすなわち、その存在が失われたということになるのであろうか。
もしその人がどこかに存在しているという事実を信じる、または、記憶を糧とし続けることができたとしたら、それはその後もずっと希望であることが可能で、人生を生きるに足るものにしてくれるのではないだろうか。
とあるきっかけで知り合った若者とアイドルの話題で盛り上がり、そのうちそのことでゆっくり話そうという約束をずっとしていたのだが、これまでなかなかその機会がなかった。いろいろな事情もあり、そろそろその時期なのではないかということで、ついに実現することができた。
アイドルが好きだといっても、すべてを広くフォローしているわけではなく、互いに守備範囲が異なっているため、そこがまたおもしろいのではないかと思った。
特に私はNegiccoをはじめ、数グループをフォローしているだけであり、かなりメジャーなグループについてであっても、ほとんど何も知らないという場合もある。
ノートパソコンでDVDやインターネット動画を視聴しながら話をしたのだが、私はモーニング娘。'14の道重さゆみ卒業コンサート、中でもフクムラダッシュや卒業スピーチ、また、Negiccoのヒストリーをまとめたものや古町どんどんの動画について、説明を加えながら紹介したりした。
そして、私が初めて紹介されたものの中で、最も印象に強く残ったのは、乃木坂46の「君の名は希望」という曲であった。
2003年3月13日に乃木坂46の5枚目のシングルとしてリリースされたこの曲は、グループの代表曲ともいわれ、オリコン1位に輝いた他、NHK紅白歌合戦に出場した際にもパフォーマンスされ、東京メトロ千代田線・乃木坂駅の発車メロディーとしても使用されたのだという。
つまり、世間一般的にもかなり有名な曲なのであろう。
しかし、このタイミングで初めて知ったことにも、運命的なものを感じずにはいられない。この曲のリリースから現在において、いまこの時ほどこの曲の内容に救いに似たものを感じた瞬間はなかったであろう。
この数ヶ月の間に自分自身に起こったことは、たとえば1年前には想像もつかないことばかりであった。そして、出来ればそれを未来にもつなげていきたい。
しかし、その主な要因となっていたものが失われてしまった場合、果たしてそれは可能なのであろうか。そのような思いが、私の心を支配している。
「君の名は希望」は、このように歌う。
「もし君が振り向かなくても その微笑みを僕は忘れない」
「どんな時も君がいることを 信じてまっすぐ歩いていこう」
そして、その思いがある限り、「未来」とは「新たなときめきと出会いの場」であり続ける。ゆえに、「君の名前は”希望”」だというのである。
たとえば、いますぐにそのような心境にすんなりとはなれないにしても、これは向うべき方向を示してくれているようでもあり、また、この曲そのものが未来への希望を示唆してくれているようにも思える。
この一点の曇りもなく美しい楽曲は、このような歌詞で終わる。
「希望とは明日(あす)の空」
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