ということはつまり、そのような人と別れることは、人生最悪の悲劇なのだろうか。
かつて、とあるヒット曲はこのように歌っていた。「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの 遠い約束」と。
素敵な曲だとは思っていたが、内心じつはそんなものは気休めであり、「再び逢う」ことなどは永遠にないのではないか、と疑っていた。
しかし、いまその可能性を信じることが生死を分けるぐらいに深刻な事態となって、はじめてそれが本気であったであろうことを知った。
悲しみに暮れている暇などはなく、どうすれば再び逢えるだろうかということを、具体的かつ本気で考えはじめる。そのために神があたえてくれた試練なのではないだろうかと、わりと本気で考えはじめる。
なぜなら、本当に強くなりたいと思うからである。
たとえば、先方がある条件さえ整えばこれから先もこちらと一緒にやってくれるとわざわざ言ってくれているにもかかわらず、その条件をクリアするだけの権限が私にはない。ギリギリまであきらめずに戦ってはみるが、即答で大丈夫とは言えないし、大丈夫ではない可能性の方が客観的には高いため、何とも言えないというのが現実的なところである。
本当に悔しい。というか、わりと奇跡的ではないかと思うのだ。やはり、これは仕組まれているのではないだろうか。
何らかの力が裏で働いていたとするならば、それは私が本気になることを肯定するのに大きく役立った。
暗がりで思いのすべてをマイルドに伝えたが、あれはもしかすると告白スレスレだったのではないだろうか。もうどちらでも良い。いっそ正確に伝わってしまった方が気が楽なのだが、そういう訳にもいかず、分かりにくくもバレバレな感じというのを、とりあえずはダラダラとやっていくしかないのであろう。
しかし、この先もずっとというか、その辺りの正直な思いを伝えられたのは収穫だと思う。と、このようなことを言っている自分が客観的に見て気持ち悪くて仕方がないのだが、不思議だが本当なので仕方がない。
とりあえず先方にその意思がある以上、私は直近の目標をあきらめてはいないし、それに対して全力を尽くすのだが、たとえそれが叶わなかったとしてもゼロになるのではなく、なるべく速くにそれを叶えるために、自分自身が成長し、力を得ていくのである。
このように思える人が実在して、かつ条件さえ整えば一緒にやると言ってくれている。これだけでも、じつは奇跡的なことなのである。この事実に対してだけでも、思わず泣いてしまいそうなぐらいなのだが、その前で自分自身の力不足はもう本当に悔しい。
だから、もうなりふり構わず全力でやろうという覚悟はできているし、それをわりと楽しめそうでもある。
とりあえず、普通ならば間違いなく引いてしまうであろう暑苦しくもはた迷惑な思いの一端を伝えられて、今日はなんだか以外にもやり切った感があるのだ。おそらく、もうとっくにバレていたに違いないとしても、である。
