最近、高校3年生の頃に同級生だった友人と数十年ぶりの再会を果たし、昨日は近所で2人きりでお酒を飲んだりしていたわけである。
人数が数名の場合はわりと盛り上がる話を中心にするわけだが、2人きりだとわりとディープな近況報告に突入したりもするわけである。そして私は、やたらとNegiccoの話をしていた。
2016年を振り返るに、Negiccoにハマったことは私にとって大きなトピックの1つである。しかし、私は7月30日のNHKホール以降はろくに現場にいくわけでもなく、けして熱心なNegiccoファンとは言い難い状況である。それでもやはり好きなのだな、と再認識したしだいである。
そして、先方にも興味を持っていただいたがゆえに、Negiccoのヒストリーをまとめた動画へのリンクをLINEで送ったりもしていたのだが、もちろん改めて観てみて、朝から涙目になるといういかんともしがたい状況であった。
それはそうとして、道重さゆみのブログが再開されたらしいと、とある佐藤優樹ファンのブログで知り、楽しく読ませていただいていたのだが、これにはいわゆる「ミチシゲ・コード」なるものが隠されているのだということを、これまた別の佐藤優樹ファンのブログで知ることができた。いかにも道重さゆみらしい遊び心が感じられ、とても嬉しくなった。
掲示板でも話題沸騰とのことなのだが、おそらくモ娘(狼)板のことであろう。もうすでに10ヶ月以上も見ていないし、おそらく今後も見ることはないのだろう。それでも別にいわゆる黒歴史だとは思っていないし、私の人生における誇らしき一局面であるとは思っている。
やはりアイドルは好きなのだが、以前のように熱く語るモードになれないことの理由は、もうそれほど熱くはないからである。また再び熱くなる時期が来るかもしれないし、その時にはまた熱く語りたいなと思う。
娯楽や趣味の延長ではなく、心からここにいたいと思える場所を見つけた。人気コミックでTVアニメーションにもなっている「DAYS」の柄本つくしにおける聖蹟高校サッカー部のようなものであろう。
だから、どんな手段を使ってでもこの状況を手放したくはない。いずれ離れなければならない時はくるのだろうが、できるだけそうならないように全力で抗ってみたい。それがきわめて正しいと思える。
喪失の恐怖につねにおびえている。それはおそらくいまが楽しすぎるからに違いない。楽しくはないこともあるとしても、充実していることは間違いない。
おそらくこれ以上の充足感を、私は今後の人生で得られるという気がしない。というか、いまの環境が最高だと思うのである。これを失うぐらいなら、いまこの状況で死んでしまいたいと、わりと本気で考えている。ここまでの気持ちになれる環境にいられるということは、とてもしあわせなのかもしれない。
もし失ったとしても、それはそれでなんとなく続けていくのだろうし、あるいは次の目的をわりとすんなりと見つけてしまうのかもしれない。だがしかし、いまはあまりそうは思えない。だから、いつ終わっても悔いがないように、いまを全力で生きたいと思う。
続けられないし、幸福な未来もけして訪れることはない。しかし、これだけの全能感をかつて得ることはなかったし、おそらくこれからもそれは無いだろうと思える。だから、そのことに感謝をしたいし、その思いを噛みしめながらすべての時間を大切に生きたい。
このような境地に達したいま、今年の3月、まだ肌寒い季節にいまはなきサンストリート亀戸ではじめて聴いたNegiccono「さよならMusic」がなおのこと名曲に思える。
「出会えたのは偶然の運命 無駄なことなんてないね」
「出会いはそう 別れの始まり 残された日々の意味を」
「Baby 君と一緒にいたい」
「君に会えてよかった」
「嬉しすぎて最高 だから余計に 終わりを考えてしまう」
いや、素晴らしい。この曲はまさに私の気持ちをリアルにヴィヴィッドに表現してくれている、こんな気持ちにさせてくれる作品に、まさかこの年齢になって出会うことができるとは。