原因はいくらでも思い当たるだけに、いい加減にもう少し気をつけて生きなければダメだな、と改めて思ったのであった。
さて、プリンスに「ザ・モースト・ビューティフル・ガール・イン・ザ・ワールド」という曲があるが、もちろん恋をしている時、その対象となっている女性は私にとって世界で最も美しいと思えるわけであり、それはわりといつも本気である。
容姿や性格、その他、世間一般的には難があると思われる部分があったとしても、それらはすべて私にとっては最もちょうどいいものである。
他の誰であっても、その人と少しでも違う部分があるとすれば、それだけ私にとっての完璧からは遠ざかる。それが、世間一般的な尺度において、美しいとみなされるものであったとしても、である。
あと、たとえば旦那や彼氏がいることがマイナスポイントになるということは、一切ない。まず、その意味が一切分からない。
寧ろ、1人の男性からある程度の熱意で愛されていて、また、日常的に性生活がある(中には無いという場合もあるが)という点において、私にとって評価が上がることこそあれ、下がることは一切ない。なめるなよ、ということである。
小娘感と天使性との境界の研究において、その過程でとあるずれが生じ、それによって混乱がもたらされた。
エロスと死のイメージとは親和性があると思われがちだが、現実感が朦朧とした暑い夏の午後、それはなおのことだといえよう。
とあるイメージが強烈に精神を支配し、それから逃れるためには、他に方法がなかった。そして、利害がほぼ一致した肉体的蕩尽行為に没頭するのだが、相対的に虚しいことだと思ってはいたものの、その哀感にはわりとグッとくるものがあった。
後頭部に頭痛をともなったため、先日、インターネットで調べたところ、そのような現象には名前があるのだということを知った。しかも、進行すると死に至る場合もあるのだという。
しかし、数日経ち、その現象は起こらなくなったため、あれはおそらく著しい短期集中がもたらしたものなのだと、いまは解釈している。
それにしても、このようなことはどれぐらい続けられるものなのだろうか。
現在、私には完全なる「美」のイメージがあり、それは想像上以外ではけして手に入れられないようなものである。それを仮想で手に入れたような気になるために、繰り返される日常がある。
幻想の普通少女、彼女はそのすべてを知った上でそれを受け入れる。軽蔑されてしかるべきである。
寧ろ緩慢で怠惰なそれは、精神を救うため、ぎりぎりの深刻さでただそこに存在している。
姿やかたち、香りや味すらも、いずれは忘却の彼方に消えていくのだろう。
リアリティーを追求したい。狂おしい気持ちすら、その一部であり、ならばその機会があたえられたことに感謝をし、いつ終わるやもしれぬ、この生を謳歌したい。
季節は、そんな夏なのである。
愛している。泣けるほど心からそう感じている。いつ以来かも思い出せないぐらいに、だ。おそらく、しあわせなのだろう。
さようなら。
C/Base Ball Bear

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