そこで、先ほどBase Ball Bear「真夏の条件」のミュージック・ビデオを本当に久しぶりに観たのだが、これまでになく素晴らしいなと感じ入ってしまったわけである。
この頃のBase Ball Bearはもう本当に快汗ロックという感じで、ただただ気持ちがいい。
現役の日本のロックを追いかけることを1990年代の初め頃にはやめてしまった私が、なぜ00年代以降の日本のロック・バンドの中でBase Ball Bearを特に気に入っているかというと、Berryz工房の熊井友理奈をCMスポットに起用してこともあるのだが、当時、私が熱烈に興味を持っていた大阪在住のとある少女がこのバンドの大ファンだったからに他ならない。そういうものだ。やれやれ。
とにかく私がピンポイント的に知っていることとか詳しいものなど、すべてはその時々で興味を持っていた女の子たちの趣味や好みに他ならない。ほぼそういうものだけで、私の趣味嗜好というのは形成されている。つくづく薄っぺらくて眩暈がしそうである。
先日、一時的にブログを書くことをやめるというようなことを書いたのだが、あれにもまったくうんざりである。ある程度の人々に同情されるであろうことを前提としながら、敢えて書いているのであり、まったくもって不純きわまりない。
かつて、「吐き気がするほどロマンチックだぜ」というスターリンの歌詞をご陽気に口ずさんでいたが、いまやそれがシャレにならないレベルである。
もういっそのことすべての人々から見放されて、絶対の孤独を味わえばいいのに、とすら思う。
というわけで、メンタルはまったく快方に向かってなどはいなく、寧ろより深い闇をのぞきこもうとしているような状態である。
このようなテンションで明後日には新宿で開催されるNegiccoとバーベキュー的なイベントに参加してしまうというのだがら、まったくもってかたわらいたい。
落選されたファンの方々のためにも、なるべく楽しんで盛り上げてきたいとは思っている。
最近、Negiccoのことをほとんどブログに書かなくなってしまったが、もちろん大好きだし、よく聴いてもいる。
ブログに書かなくなってしまった理由は、私の日常にわりと大きめな事件が起こってしまい、それどころではなくなってしまった、というのが大きい。
アイドルにガチ恋することに対して、あまり好意的な印象を持っていない私だが、実際のガチ恋が日常に起こってしまった場合、アイドルどころではなくなってしまうことからも、やはりこの私ですら、アイドルに幾分かはガチ恋的な思いを持っていたのであろうか。このことを知ることができたのは、収穫だったのかもしれない。だからといって、一体、誰が得をするというのか。
思えば、たとえば私が道重さゆみに対して取っていた崇拝するような姿勢など、リアル恋愛におけるスタイルを如実に踏襲していたな、といまさらながらに思うのである。
こういうのはもうおそらく一生治らないし、治したくもないのだろう。
「こんがらがってればいい 同情されたいなら」
GREAT 3の「Quincy」という曲ではこのように歌われていて、ハッとさせられるのだが、その後に「華奢な未来」と続く。
しかし、もうこういうのは相手に対してただただ迷惑をかけるだけだし、いい加減にやめたい。とっくにやめられているものだと思っていた。ゲーム的にそのようなムードを模倣することはあったものの、まさかいまだに終わっていなかったとは。絶望と希望とに引き裂かれそうである。
ところで、夏はエロスだなと改めて思うのである。何のこっちゃという反応が大半であることも百も承知なのだが、最近、つくづくそう思うのである。
体力が衰えてからのエロスには哀感が漂い、そこにたまらなくグッとくるなと思うわけであり、こういう感じによさを覚えるのであれば、長生きするのもそれほど悪くないな、と思うわけである。
ところが、これはいまわりと真剣に消えてなくなりたいと思わないでもないこととは矛盾していて、よく分らないのだが、どちらとも本当である。
こうやってすれっからしの変態紳士として生きていくのだろうし、おそらくある程度は望んでそうなっているのだろうな、という気はする。寧ろ、爽やかですらある。
このような変態性をも含めて許容してくれるのが真の大人であり、それを究極的に求めているのかもしれないが、根本的には軽蔑してほしいと思うのである。その上での許容があれば、それは最高である。
しかし、そんなものなどおそらくどこにもありはしない。
たまらなく嫉妬深くて超絶的に貪欲な自分自身の本質に嫌気がさしながらも、おそらくずっとこのようにして生きていかなければならないのだという諦念もある。おそらく、もうずっと無関係ではいられないのであろう。そのようなふりを装うのももうやめた。
愛欲は地獄である。しかし、それを感じることこそが生きている実感であり、それなしに生きることはもう出来ないのかもしれない。
この世は闇であり、だからこそ光を探し出すことに価値がある。それを思い知った。
これが信じられなくなった時、残された希望はもう「死」のみであろう。
十七歳/Base Ball Bear

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