自由に | …

i am so disappointed.

3月26日に札幌のcube gardenで開催されたNegiccoのコンサートから、「自由に」の動画が公開された。

アルバム「Rice&Snow」はアナログ盤でもリリースされていたが、LP2枚組の1枚目には「トリプル!WONDERLAND」から「裸足のRainbow」まで、2枚目には「二人の遊戯」から「ありがとうのプレゼント」までが収録されているようである。

「Rice&Snow」は1曲1曲が本当に素晴らしいのだが、曲順や構成も実に見事で、かつて学生時代にLPレコードを楽しんでいた頃のような感覚で聴いていた。

今は1曲1曲を単体で聴いたり、プレイリストやストリーミングサービスで音楽を聴く場合も多く、昔に比べると、アルバムの意味が薄くなっているような気がする。だからこそ、「Rice&Snow」の素晴らしさがより実感できるわけである。

私は「Rice&Snow」をiTunesストアでダウンロード購入したのだが、やはりアルバム1枚通して聴くのが最高だと思っている。アナログ盤でリリースされていることを当初は知らなかったのだが、やはり何となく「裸足のRainbow」までがA面で「二人の遊戯」からがB面という感覚で聴いていたと思う。これが実際のアナログ盤では、AB面とCD面だったわけである。13曲ならば昔の感覚だとLP1枚でちょうど良いという感じなのだが、もちろん2枚に分けた方が音は良い。

LPの1枚目はキュートでキャッチーな王道ポップスという感じで、一方、2枚目はやや実験色が濃いように思えた。このコントラストが、このアルバムをとても面白いものにしているように感じた。

特にこの「自由に」はタイトルがあらわしているように、これまで聴いてきたどのアイドルポップスとも違う、きわめて抽象的かつピースフルな楽曲に思えた。

だからこそ、この後に収録された「光のシュプール」の直球ストレートのポップ感覚がきわ立ったとも言えよう。

というわけで、「自由に」についてはあくまでアルバムの流れの中で聴いていることがほとんどで、この1曲だけをピックアップして聴くことはほとんど無かった。

今日、ライブ映像でこの曲だけを視聴して、改めて何だかすごく良いなと思ったし、実は無意識のうちに私がNegiccoに求めているものが凝縮されている曲なのではないかとすら思えてきた。

古くはロックンロールの黎明期から、ポップ文化が求めてきたものとは、主に「自由」であった。体制や規則や組織など、われわれを抑圧し、ダサいものと同一化しようとする力に対する抵抗、それがダンスや歌や演奏として表現されてきたのであろう。

思春期に私はそれらに心を奪われ、やがてその歴史をたどる旅にも出かけた。そこではるか昔から同じようなことを考え、表現した若者達がいたことを知り、大いに興奮したのであった。

ポップ文化の本場といえばアメリカであり、人から「自由」を奪う最たるものといえば「戦争」であろう。1960年代のアメリカはベトナム戦争の泥沼に足を踏み入れていたため、優れたポップ文化はまた、「平和」をも希求するものであった。

1980年代の日本で10代だった私にとって、「自由」や「平和」とはまるで空気のようなものであった。当り前のようにそこにあり、このまま永遠に奪われることはないと信じていた。

もちろん昔から当り前のようにそうだったわけではなく、かつては「自由」でも「平和」でもなかった。それは分ってはいたのだが、ほとんどリアリティーは感じられなかったし、そんな時代に戻るはずもないので、考える必要もあまり感じていなかった。

イギリスでは憧れのポップ・スター達がマーガレット・サッチャーに怒っていた。国の首相にそこまで怒りを覚える状況というのが、よく理解できなかった。

ピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」は、1993年の東京の気分をヴィヴィッドに甦らせてくれる、われらの時代のアンセムだと思っている。iPhoneの再生ボタンをタップしただけで、イヤフォンから鼓膜をふるわせるサウンドが、たちまちあの頃に連れていってくれる。

分析や考察はいくらでもできるのだろうが、あの時、あの場所にいたからこそのリアリティーというのが間違いなくあるはずである。

そして、ふと現実に返ると、景色はまったく変っている。あれからもう随分と時間が経っているはずなので、それは当り前のことなのかもしれない。

当時、空気のように当り前だと思っていた「平和」という単語が、今や「政治的」だと見なされるようである。

また、つい数日前のことだが、とある新聞が、京都大学総長の入学式の式辞に「自由」という言葉が34回も使われて、それは多すぎはしないだろうかと書かれている。

使われた回数をいちいち数えている陰湿さも含め、ひじょうに薄ら寒い気分に襲われた。

「自由に」の動画を視聴する。ステージ上ではNegiccoの3人が笑顔で歌い踊り、客席のファンもまた、一緒にダンスをして、楽しさを共有しているようである。まさに「平和」で「自由」な場がそこにはある。

Negiccoのメンバーやスタッフは、おそらく楽曲やステージを最高のエンターテインメントとして制作しているのだろう。しかし、優れたポップ文化は、送り手が意図していない新たな意味を、受け手側に生じさせることがあるのではないか。

私はなぜ、いまこのタイミングでNegiccoにハマってしまったのか。それは、おそらくそこでは「自由」と「平和」が肯定されているからであろう。



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