DO YOU REALLY WANT TO HURT ME | …

i am so disappointed.

1983年3月5日付の全米週間シングル・チャートでは、あの世界中で売れに売れまくったマイケル・ジャクソンの「スリラー」から、「ビリー・ジーン」が1位に輝いている。

4位にカルチャー・クラブ「君は完璧さ」、5位にデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」と、共にイギリスの人気バンドの曲がランクインしているが、これらは共にそれぞれのバンドにとって、アメリカにおける最初のヒット曲であった。

この後、イギリスの新しいバンドたちが次々と全米チャートに進出していった。この現象は、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼ばれていた。

ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)の第1次は1960年代に起り、この時はビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、ザ・フー、ハーマンズ・ハーミッツ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、アニマルズといったイギリスのバンドたちが全米チャートを賑わせたようである。

音楽のビデオのことをミュージック・ビデオ、ミュージック・クリップ、ビデオ・クリップなどというが、この頃、日本では主にプロモーション・ビデオと呼んでいたような気がする。ビデオは新曲の販促ツールとして定着していたが、アメリカにおいてこれを大きく広めたのは、1981年に開局したケーブルテレビ局のMTVだったといわれている。

第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを巻き起こした大きな要因として、このMTVの影響がよく指摘されている。

MTVが日本に進出するのはもう少し先だが、この頃、テレビ朝日で「ベストヒットUSA」という、洋楽のビデオを中心とする番組が放送されていた。放送開始は1981年10月で、司会は小林克也であった。

当時、北海道では放送されていなかったのだが、「オリコン・ウィークリー」などでこの番組の存在は知っていて、観たくて仕方がなかった。テレビ朝日系列の北海道テレビに放送を嘆願する手紙を書こうと下書きはしていたのだが、そうこうしているうちに、北海道でも放送されるようになった。

東京では土曜日の深夜に放送されていたようなのだが、北海道では翌週の金曜日であった。土曜日は早起きして、深夜に録画されたビデオを観てから学校に行っていた。

オープニングのLPレコードのジャケットがパタパタと倒れる感じ、小林克也の名調子などを懐かしく覚えている。

「ベストヒットUSA」は1989年で放送を終了するが、2003年からBS朝日で再開し、それは現在も続いている。

このような事情もあり、第2次ブリティッシュ・インベイジョンのバンドたちは、日本でもかなり人気があったような印象がある。

1982年7月にヒューマン・リーグ「愛の残り火」が1位になったのだが、翌年のカルチャー・クラブ「君が完璧さ」が2位、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」が3位を記録し、その後、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ「カモン・アイリーン」、カジャグーグー「君はTOO SHY」、マッドネス「アワ・ハウス」、ユーリズミックス「スイート・ドリームス」、スパンダー・バレエ「トゥルー」などがヒットした。

また、イギリスのアーティストではあるがすでにアメリカでもじゅうぶんに知られていたポリスが「見つめていたい」、デヴィッド・ボウイが「レッツ・ダンス」でそれぞれ全米第1位びに輝いたのもこの年だが、ここにもMTVの影響があったように思える。

1980年代初めにイギリスでは大ヒットし、日本の洋楽ファンにもわりと人気があったアダム&ジ・アンツはアメリカではほとんど売れていなかったのだが、この年、アダム・アントがソロでリリースした「グッディー・トゥー・シューズ」は最高12位を記録している。

さて、カルチャー・クラブだが、1981年に結成され、1982年にイギリスでデビューしたものの、最初のシングル2枚「ホワイト・ボーイ」と「あしたのボクは?」は全英シングル・チャート圏外に終っている。

続いてこの年の9月に3枚目のシングルとしてリリースされたのが「君は完璧さ」だったのだが、これが1位になってしまうのだった。

人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演し、そこでのインパクトがかなり強かったようだ。ボーカリストのボーイ・ジョージは女装の麗人として、日本の雑誌でもかなり取り上げられていたが、本国イギリスでも最初はビジュアルが話題になったようである。大衆新聞にまで取り上げられたというのだから、かなりの衝撃だったのだろう。

なお、この「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演だが、予定されていたシェイキン・スティーヴンスの出演がなくなったことから、前夜に急遽決ったものだったらしい。

当時、私は「オリコン・ウィークリー」を毎号購読していたが、そこにクラブ・チャートのようなものがあり、カルチャー・クラブのことも確か紹介されていたと思う。

日本ではイギリスでのデビュー・アルバム「キッシング・トゥー・ビー・クレバー」には収録されていない「ミステリー・ボーイ」という曲が、シングルでリリースされていた。デビュー・アルバムの日本盤はタイトルも「ミステリー・ボーイ」で、この曲もB面の1曲目に収録されていたのだが、イギリスやアメリカで「君は完璧さ」の次にシングル・カットされ、大ヒットした「タイム(クロック・オブ・ザ・ハート)」が収録されていなかった。また、「君は完璧さ」の邦題は、当初「冷たくしないで」だったはずである。

アメリカでは「君が完璧さ」に続いて、「タイム(クロック・オブ・ザ・ハート)」も2位、「アイル・タンブル・フォー・ヤー」が9位を記録した。当時、デビュー・アルバムから3曲連続でトップ10入りしたグループはビートルズ以来ということも話題になっていた。

カルチャー・クラブは奇抜なビジュアルとソウル・ミュージックに影響を受けた高い音楽性が魅力であった。ボーイ・ジョージは当時、日本の雑誌にもよく載っていた。

土曜日の放課後、旭川駅前にできたばかりだったESTAの書籍売場にいると、同じ学年の女学生たちが雑誌に載ったボーイ・ジョージの写真を見て、「この人、男なんだって」「うそー女よりキレイー」などと騒いでいたことを、なぜかよく覚えている。

「ベストヒットUSA」で「君は完璧さ」のビデオを観た。レゲエの要素も入ったポップなナンバーは、悲しい恋の内容を歌っていた。女装姿でクネクネと大きな体を動かし、切なく歌うボーイ・ジョージには、そこはかとない悲しみが漂っていた。私はそこがとても好きであった。

カルチャー・クラブの作品は様々な音楽から影響を受け、それをカラフルでキャッチーなポップスに昇華していたのだが、メンバーそれぞれのビジュアルもかなりユニークであった。この多様性に対する肯定感こそが、じつはカルチャー・クラブの最大の魅力だったような気がする。

このバンドの名前が認知されるまで、日本においてカルチャー・クラブといえば、主に主婦などが習い事をする地域のコミュニティーのようなものを指していたような気もするのだが、いまとなってははっきりと覚えてはいない。



Kissing to Be Clever/Culture Club

¥1,110
Amazon.co.jp