(満開 清春芸術村の桜 ソメイヨシノの淡い花は曇天だとイマイチ)
2025年花見のフィナーレに向かったのは清春芸術村(標高740m)。
樹齢80年(もう寿命)、30本のソメイヨシノは、「つぼみもないし散った花もない」というまさに満開だった。
ここの桜は敷地の外縁に並んでいるので園内に入る必要はないのだが、せっかくだからと中に入ろうとすると門の脇にかつてはなかったブースが設置されていて入場料を払えという。その額たるやなんと1500円!何も知らない観光客からまきあげちゃおうという魂胆だろう。
続いて向かったのは芸術村からクルマで約5分、北の杜カントリークラブにほど近い蕪(かぶら)の桜並木(標高750m)。
樹齢40年、50本のソメイヨシノは9分咲きといったところで、ところどころにつぼみが少しだけ残っていた。
(八ヶ岳を望む)
八ヶ岳南麓には桜の名所が多々あるが、蕪の桜並木が随一だろう。しかもここはそれほど知られていないのでこの日も花見客はゼロ。まさに穴場である。
(甲斐駒ヶ岳を望む 富士山も見える絶好のロケーション)
桜はしづ心なく花が散り始めた頃が一番美しい。
清春芸術村は4月14日~、蕪は17日~というのが私の見立てである。
5分ほどウロウロして今年の花見はおしまい。風呂と花見は5分で十分だ。
本日のメインイベント、昼メシは小淵沢の「ふらい屋杣(そま)」。昨年末にわざわざ出かけたら定休日だったのでそのリベンジである。
(nobuさんに教えてもらって初めて行ったのは2024年4月のこと そういえば蕪の桜を教えてくれたのもnobuさんだった)
「いらっしゃい。カウンターでいい?」
元気な女将さんの後ろには相変わらずカンパリの古い瓶が並んでいた。
(いったいいつからあるのか)
「おお、カンパリがまだ並んでる」
「20年前に私が来たときからあるのよ」
「いまどきカンパリなんて誰も飲まないからね。昔はホレ、カンパリのこおりがかすかな音たてて~とけるグラスの中淡い夕焼け~、なんてさ」
「・・・(あ、こいつ前も来たな)」
前日にカレーを食ったのでこの日は自重して「ミックスカツ定食」を注文した。
あいにく満席とあって女将さんもてんやわんやで与太話もできない。
待つこと10分、ミックスフライがやってきた。
大皿にはヒレカツが4つ、海老フライが1本。その一部にはカレーがかかっていてカツカレー気分もちょっぴり味わえるという粋な計らいである。
つけあわせのサラダにはニンジンの煮物なんていうお邪魔虫と、いてもいなくてもよいポテトサラダがお供に随行している。
「あれ、この端っこのヤツ、なに?」
「山菜天ぷら。サービスよ」
ふきのとうの天ぷらが2個サービスでついてきた(注:わざわざ揚げてくれたわけではなく「本日のサービスランチ=山菜天ぷら定食」のおすそわけ)。
(「混沌」を具現化した風景)
ああ、ありがたや。
奇妙な風貌と能天気な言動で店に覚えてもらえるのも決して悪いことばかりではない。
この日の主役はふきのとうになった。
揚げたての天ぷらに天つゆがちょっとかけられていて、まさにごはん泥棒だ。
こいつらのせいでごはんとおかずのバランスは大きく崩れ、大好物の海老フライは主役の座を奪われてデザートになってしまうていたらくである。
異空間から混沌の世界へ。
このコントラストこそがこの世に生を受けた喜びを際立たせる。
東京で桜。
八ヶ岳南麓の里山で桜。
標高1000mの我が家周辺で桜。
生の喜びを3回楽しめるというのもまさに命冥加、偶然とはいえ絶好の場所に家を構えたことに感謝、感謝である。