(五里霧中 丘の公園清里ゴルフコース駒ヶ岳コース1番ティーグラウンドより)
この日ゴルフ友のAさんと久しぶりに丘の公園清里ゴルフコースに行くことになったのだが、朝起きると霧模様のぐずついた天気だった。
Aさんの日頃の行いのせいだからしかたがない。気をとりなおして顔を洗うと右手にピリリと痛みが走った。
なんと掌に「聖痕」が現れているではないか。
(これだ!)
聖痕(stigmata)というのは敬虔なキリスト教徒に稀に起きる現象で、磔刑に処されたイエスキリストが釘で十字架に打ちつけられた両手の掌、両足に釘の跡が現れるという奇跡のことをいう。
聖痕のことは新約聖書(紀元1世紀頃編纂)ですでに言及されているというから、キリスト教の奇跡の中でもイエスの復活と並んで最も由緒あるもののひとつといえよう。
(ジョット「聖痕を受ける聖フランチェスコ」1325ルーブル美術館蔵)
聖痕が現れるのは両手足だけでなく、荊を被せられた頭、ロンギヌスの槍に貫かれた脇にも現れることがあるという。
(ルーベンス「キリストの磔刑」1611アントワープ王立美術館蔵 ローマ兵ロンギヌス(のちキリスト教に入信死後聖人に叙せられる)がイエスの右わき腹を突いてとどめをさしている)
現代でも時折聖痕の出現がニュースになるそうだが、近時に至って「解剖学的に掌の釘で身体を支えるのは不可能。イエスは手首に釘を打たれたはず」との見解が定着し、以降聖痕は手首に現れることが多くなったというから心理的な要素が大きい奇跡なのだろう。
私の場合はどうか。
不信心者の私に奇跡など起こりようがないから、単なるケガに違いない。
ところがいくら考えても原因が思い当たらない。
前日の夜寝る前にはきれいな掌だったから就寝中の8時間の間に生じた傷なのである。いつもベッドを共にする愛犬そらが寝ぼけて咬んだ、ひっかいたなんてことはこれまで一度たりともないし、だいいちそういう形状の傷ではない。
ことによると前日の夜というのが勘違いなのだろうか。
昼のうちにゴルフの練習とか庭いじりとかで掌をすりむいたのに、その時はち~っとも気がつかなったのだろうか。
だけどこれだけ深くすりむいて風呂に入れば(「たかねの湯」にわざわざいったから間違いなく入浴している)湯が沁みて痛みがあるはずだ。
う~む。
真相はまさに五里霧中である。
(頭の中もこんな感じ)
ボケの予感 そんな気分
いつもとちがうでしょ~
春に誘われたわけじゃない(わけじゃないって、ほんとに)
だけど気づいて(気づかないんだよ、ほんとに)
I've been shallow~