上皇陛下の卒寿を寿ぐ | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 

 上皇陛下が卒寿(90歳)を迎えられた。

 心からお慶びを申し上げます。

 

 若いころの私は昭和天皇のお姿を拝見すると何故か胸が熱くなったものだが、その倅の皇太子

(「皇太子」という役柄がぴったんこの印象だった)には全く関心がわかなかった。

 無関心以上になんだかニヤけた印象の皇太子はあまり好きなキャラとはいえず、「万世一系を誇る皇室の歴史も彼が天皇になったらどうなってしまうのだろうか」と危惧していたこともあったほど。

 

(私の中ではこの3人は瓜三つ)

 

 ところが天皇になられてからというもの、私の評価は大きく変わっていった。

 東北大震災をはじめ、災害のたびに被災地を訪れ人々を励ます天皇皇后両陛下のお姿に心を揺さぶられるほど感動するようになったのである。

 しかも陛下は美智子さまをいつもいたわっていらっしゃる。

 私の祖母と亡母は私が幼いころからことあるごとに「美智子さまがかわいそう」と同情していたので、そんな美智子さまを優しくエスコートする陛下のふるまいにも少なからず感銘を受けたのであった。

 

 そんなこんなで、今では上皇陛下のお姿を拝見するだけで不覚にも涙が出てきてしまう身体になってしまったのである。

(雅子さまもツボの中のツボ)

 

 上皇陛下は気骨の人である(←あくまで想像)。

 陛下の立太子(皇太子=次期天皇に指名されること)は18歳の時のこと。以来55歳で天皇になるまで男盛りの37年間をナンバー2のポジションに甘んじていたことになる。

 

 ちなみに歴代最高齢の天皇即位は第49代光仁天皇(770~781)の60歳。

 

 時は奈良時代。

 壬申の乱で天智天皇(第38代)系から皇統を簒奪した天武天皇(第40代 大海人皇子=天智の弟)系王朝は天智系の皇族を片っ端から粛清した。

 天武系の苛斂誅求を逃れるため天智天皇の孫にあたる白壁王(のちの光仁)は、昼間から酒浸りになるなどバカのふりをしていたという。

 

 天武王朝は血塗られた王朝であった。

 天智天皇は我が娘を4人も天武に嫁がせたものだから、我が子に皇位を継がせるため姉妹間での骨肉の争いが絶えなかったのである。

 内訌を繰り返すうちに立太子すべき男子が途絶えてしまった天武系は緊急避難に立てた女帝称徳天皇(第48代 第46代孝謙天皇と同一人物)が崩御すると、聖武天皇(45代)の娘井上内親王を妻としていた老いぼれの白壁王を皇位につけた。白壁王この時60歳11か月。

 同時に白壁王と井上内親王の間に生まれた子、他戸皇子の立太子も行われた。他戸皇子は厳密にいえば「女系天皇」だが、背に腹は代えられない。

 いずれにせよ光仁天皇はあくまでワンポイントリリーフであった。

 

 ところがボンクラだと思われていた光仁は皇位につくと豹変した。

 謀反の嫌疑で井上内親王と他戸皇子を突如幽閉、別の場所に幽閉されていた二人は何故か同じ日に病死した。

 

 光仁の後を継いだのは百済からの渡来人高野新笠(たかののにいがさ)との間に生まれた桓武天皇(第50代)である。

 桓武は天武系の牙城、呪われた都である平城京を捨て平安京に都を移した。

 以降今日に至るまで、天武系の天皇は絶無である。

 

 君が代は 千代に八千代に

 さざれ石の巌となりて

 苔のむすまで

 

 上皇陛下、美智子さまいつまでもお元気で。

 

(いつも手をつないでいるお二人)