終活開始②遺言書を残すべきか | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(今朝の気温は15.3℃ 八ヶ岳南麓はいつの間にか秋になった)

 

「相続は争族」といわれる。

 自分が死んだ後で子供たちが遺産の配分でいがみ合うなど、想像しただけでウンザリする。

「大した財産もないからオレんとこは大丈夫」、なんてタカをくくっていたら大間違い。遺産がちっぽけであればあるほど反目がより大きくなりかねないのは想像に難くない。 

「兄貴が50万円でなんでオレが20万円なんだよ」

「あんたなんかいいじゃないの、学費も出してもらってさ。私なんかルンバJ7も買えないのよ」

なんて。

 

 そんなわけで遺言書を残すというのは争族防止の決め手になる。

 なんせ配分を死者が勝手に決めてしまうわけだから、配分の不公平を巡るうらみつらみは全て死者に向かい、遺族たちはこれまで通り仲良く(少なくとも表面上は)過ごせるわけだ。これは死者がなしうる残された家族に対する最大にして最後の思いやりかもしれない。

 

 遺言書といえば我々庶民が念頭に置くのは「自筆証書遺言」であろう。財産目録以外は全て自筆で書くことが唯一の要件といっていい。

 遺言書は封書にしてエンディングノートと一緒に自宅に置いておけばいいわけだが、紛失、改竄が心配というならおカミが決めた「自筆証書遺言書保管制度」というのがあって、所轄の法務局(杉並区居住者の場合は東京法務局本局(千代田区九段南)が所轄)に遺言書を預けるという手もある。

 1件3900円の手数料をとられるが、「死亡時通知」といって、遺言者の死亡届が役所の戸籍係に提出されるとその情報が法務局に伝達され、予め指定しておいた遺族の一人に「遺言書がありますよ」と知らせてくれるというサービスもあって中々気が利いている。

 通知を受けた遺族が遺言書の閲覧請求をした時点でこれも事前に登録してある遺族全員に「遺族のお一人が閲覧されましたよ」という連絡もいれてくれるから3900円は決して高いものではない。

 

(詳細は法務省HPで イラストの必要性(作成はタダではないはず)は理解に苦しむ)

 

 遺言書のもうひとつの効用、それは遺言者の生前の暮らしの平穏を保てることにある。

 典型的なケースは家族に一切秘密にしていた隠し子がいる場合。

 「実はさ・・・」なんて言い出しにくいから生きてる間はダンマリを決め込んでおいて、家族は遺言書を開けて初めて「あっと驚くタメゴロ~」(古いな)となるわけだ。

 遺産相続にあたっては「被相続人(死者)の出生から死亡に至るまでの一連の戸籍」を漏らさずチェックしなくてはならないからその時点で隠し子の存在は明らかになるわけだが、事態が相当紛糾することはドラマや小説などで明らかなとおり。

 

 では隠し子もおらず、相続人は家内と子供二人だけの私はどうすべきだろう。遺言書をわざわざこさえて「問答無用」で遺産を配分するのが一番正しいやり方なのだろうか。

 

 クヨクヨ悩んだ挙句、遺言書は作らないことにした。

 代わりに遺産分割協議書のスタイルで配分案(といっても大半は家内が相続する)をこさえ、まずはそれを子供たちに見せて納得してもらう。文句があるならその時にじっくり聞いてやればよい。

 そのうえでエンディングノートと一緒にその書面を保管しておいて、私の死後に家内と子供たちが日付と氏名を記入、実印を押せばいいわけだ。添付する財産目録は相続税の申告手続きで小野寺センセイがこさえてくれる。

 

 終活のメンドくさそうな部分がはっきりして、後は淡々とこなすだけ。

 一日一日、幸せをかみしめながら過ごしていきたいものだ。

 

(甲斐駒上空の雲も秋の雲だ)