インドカレーに豚肉・牛肉ってありなの? | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(「くじら」 牛肉キーマ(左)+ポークビンダルー合わせ盛り 境界のご飯はインディカ米)

 

 スパイシーな香りが店の外にまで流れてくる久我山駅前の「くじら」。どうやら人気店らしく、平日にもかかわらず先客が二組あった。

 ランチは、ポークビンダルー(激辛★★★★)、牛肉キーマ(★★★)、チキンカレー(星なし)の三つで、このうち二つを選んで「合わせ盛り」にしてもらうこともできる。私は辛い方二つを選んだ。

 

 ポークビンダルーなるものは初めて食ったが、酸っぱ辛いなんとも不可思議な味である。

 

(豚肉にはほとんど脂肪がなくてさっぱりした味わい)

 

 インドでは牛肉はタブーだが、豚肉も殆ど食されない(こっちは衛生上の理由らしい)。

 ひょっとしてインドに憧れた不思議ちゃん系日本人(ビートルズ世代に多かった)が見よう見まねでこさえたカレーなのかも、そう思って調べたところ、意外なことにこいつは正統なインドカレーなのである。 

 

 ビンダルー(vindaloo)は元々ポルトガルの豚肉料理 vinha d'alhos (vinha=ワイン alhos=ニンニク)に由来する。

 今から525年前の1497年7月、イスラム勢力に対抗するためにはるか東方にあるという伝説のキリスト教国「プレスタ―ジョンの王国」との同盟を実現すること、及びローマ法王の裁定でスペインに帰属することになった新大陸に替わる交易地を求めるためにポルトガル国王マヌエル一世はバスコダガマに喜望峰の先への航海を命じた。

 

(出航するガマを祝福するマヌエル一世)

 

 1497年11月に喜望峰を越え、白人勢として初めてアフリカ東海岸に到達したガマは1498年5月にインドに上陸した。

 その後現地で交易交渉やら威嚇を繰り返したガマは、1499年9月にリスボンに帰港した。国王はこの壮挙を称え、莫大な年金とともにガマを初代アジア総督に任命した。

 これが以後500年以上にわたる欧州列強による苛烈なアジア支配の端緒である。

 

 やがてリスボン~インド航路の整備が進み、1510年ゴアにポルトガル王国アジア総督府が設置された(この総督府は1961年まで存続した)。

 この頃ビンダルーがポルトガルからインドに渡ってきたのだろう。ワインはヤシから作る酢に代わり、酸っぱ辛くローカライズされたビンダルーがゴアの街で生まれたのである。

 

 

(17世紀ゴアの殷賑 最盛期には20万人のポルトガル人が住んでいたという)

 

 我が国に初めてキリスト教を伝えたフランシスコザビエルもこのゴアから日本に派遣された。

 2年間日本で暮らしたザビエルはビンダルーが恋しくなったのだろう、ゴアに戻り、その後中国沿岸の島で客死する。

 

 

 (ザビエル肖像画(神戸市立博物館蔵)教科書でよく見るヤツだ)

 

 ザビエルの遺骸は今でもゴアのボムジェズ教会に安置されているという。ちなみに今年はザビエルが聖人に列せられて600年目の記念の年である。

 

(ザビエルの布教ルート(カトリック中央協議会HPより)インドまではガマの航路と同じ)

 

 一方の牛肉キーマはどうだろう。

 意外なことにインド国内で牛肉食が法律で認められている地域が2か所あるとのこと。ひとつはムンバイ、もうひとつがこのゴアだという。

 つまり「くじら」のカレーはゴアの正統カレーそのものなのである。

 

 ウンチクはともかく、味はどうだろう。

 ご飯がインディカ米というのは本格は本格なのだろうが、どうもいただけない。なんだか発泡スチロールの粒を食っているような味気なさ。米自体の旨さはやはりジャポニカ米が一枚も二枚も上だ。

 

 ジャポニカ米に合ったカレー、それが「私の旨いカレー」である。

 インド人が作るカレーや、日本人が現地の味を忠実に再現したインドカレーよりも、ネパール人が日本人の口に合うようにローカライズしてくれたインドカレー(的なもの)が一番旨いように思えるのだが、どうだろう。