(ゲーテ「魔王」の挿絵 モーリツ・フォン・シュビント作)
「Aさんが昨日亡くなりました。ラグビーの練習の後に倒れたそうで、心筋梗塞だそうです」
かつての会社の後輩からそんな連絡があった。A、行年58歳。
Aと私の出会いは今から35年前の1987年6月のこと。私のいた課に新人研修を終えて配属されてきたのがAだった。
一見して規格外というか、サラリーマンの枠に収まるのは相当難しそうなタイプであったAの身上調査票(とわが社では言っていたがつまり将来の希望調書のようなものだ)を見てオッたまげた。
「将来取り組みたい分野 ①営業②総務・人事③経理④広報・・・・」なんていう欄の「⑩その他( )」に〇がしてあり、かっこ内に「社長」と書かれている。
「あのさあ、社長っていうのは『将来取り組みたい分野』じゃないだろ」
「でも自分は社長になりたくてこの会社を選んだんです」
「なんでウチだと社長になれるんだよ」
「ククク、面接の時に会った同期の奴らがいかにもバカばっかりで・・・」
私はこのチンピラ風の後輩が気に入ってしまった。
この手のヤツは相手が自分を好きか嫌いかということにとても敏感だ。
ヒヨコは最初に目に入った動くものを親だと認識するというが、この巨大ヒヨコも私をそう思ったらしく以来夜な夜な酒を飲みに行く関係になったのである。
そんなつきあいがそれから20年近く続いたのだが、厄年を迎えた頃からAの酒癖がひどく悪くなった。私には以前とそう変わらない態度なのだが、同席した部下や後輩に対する言動がひどいのである。
ある時私の眼前で部下に頭からビールを浴びせるという事件が起き、それをきっかけに私はAに絶交を申し渡した。今にして思えばその頃後輩に先に昇進されたりして、もう社長のメはない、とAも観念した時期だったのだろう。
乱暴者だが根はさみしがり屋のAからはそれからも何度となく飲みの誘いがあったが、私は断固として拒絶し、やがて誘われることもなくなって二人の関係は終わった。
それから何年かして、会社の新事業に関する説明会が金沢で行われることになり、講師の白羽の矢が立った私は単身同地に赴いた。
2時間ほどの説明と質疑応答を終え、会場を出るとなんとそこにAがニタニタしながら立っているではないか。どこかでそういう会があることを聞きつけて、要領のいいこの男は出張をデッチ上げたらしい。
「ふふふ、一泊出張にしてありますから。今夜はたっぷり飲みましょうよ~」
近江町市場を皮切りに朝方まで二人で飲み明かしたのがAとの今生の別れになったのである。
Aの死を知った翌朝、起きるとなんだか胸が苦しい。
締めつけられるような、象が胸の上に乗っているような(そういえば「象が踏んでも壊れない サンスターアーム筆入れ」ってのがあったっけ)、これまで経験したことがない苦しさだ。
家内が救急車を呼ぼうとしたが止めさせた。今朝も八ヶ岳南麓では熱中症の救急搬送で消防は大忙しのはず。
しばらくベッドで悶えているうちに苦しみはさらに増し、脂汗が流れてきた。
これは一大事かも、改めて救急車を呼んでもらうことにした。近所に恥ずかしいから救急車には県道で待っててもらうように、と指示するあたり、私の小ささは筋金入りである。
5分ほどで峡北消防本部北杜支部の救急車がやってきた。
救命救急士のリーダーはまだ若い女性である。
(これと同じヤツがやってきた)
リーダーは症状を聞き、心電図を取りつつテキパキと各所に連絡した。
「今から山梨県立中央病院に向かいますね。そんなにかからないので安心してください」
「んが(涙目でうなづいている)」
リーダーは症状を確認しては病院に連絡したりと大忙しである。
後日調べたところでは峡北消防本部(韮崎市+北杜市を所管する地方公共団体)の2022年上期救急搬送件数は2167件、6月単月では私が401件目の急患となった。このリーダーも一日に何度も出動しているのだろう。
魔王の手から逃れるべくサイレン全開の救急車は中央高速をひた走る。
魔王に追いつかれるのが先か、病院に着くのが先か。
背後から迫ってきているのは魔王ではなく、ことによるとさみしがりやのAかもしれない。
それならいいか、金沢まで来てくれたんだし。
そんな思いが去来した。
「もう双葉IC出ましたよ。あと5分ですよ、しっかりね」
「ん、が~(←チヤホヤしてくれるのでちょっとうれしくなってる)」
「もう着きましたよ、あと少しの辛抱ですよ」
ストレッチャーに載せられて病院に入っても胸の苦しみは治まらなかった。