(ウォーキングで見かけた苔むした急階段)
街を歩いていて急な階段に出くわすとなんだか胸が騒ぐ。
階段を登りきった所にはどんな世界が開けているのだろう、というワクワク感がひとつ。もうひとつは
「パトカーに追われたらここに逃げればいいや」という得体の知れない安堵感である。
理由は定かでないのだが子供の頃からの悪夢のモチーフのひとつが「なにものかに追われて必死こいて逃げる」というやつで、現実世界ではそれがパトカーと結びついているらしい。
久我山近辺では神田川の両岸が切り立っているせいで傾斜地になっている所が多く、いきおい急階段も随所にあってウォーキングコースとしてはうってつけ。
そんなこともあって杉並区の「土砂災害特別警戒区域」6か所のうち2か所は久我山駅付近にあるというので、さっそく見学がてらウォ―キングに出向いた。
(杉並区ハザードマップより 神田川、井の頭線、人見街道が重なる地点をやや東に行った所)
行ってみるとさすがに急斜面である。
(こんな感じ)
建物と建物の間に狭く急な階段があった。
登ったところは瀟洒な住宅がずらり。そんな中階段の脇にひときわ立派な建物があった。
(円形の門、玄関ドアがなんとも風変りな佇まい)
看板には「太田記念館」とある。
ヒト気もなく森閑としているがおそらく美術館か博物館だろう。
そういえばそんな名前の美術館があったはず、と家に帰って調べてみると、浮世絵のコレクションで名高い美術館である。こんな所にひっそりと佇んでいるとは知らなかった。
同美術館のHPによると「4月21日まで改修工事のため休館」とある。どうりでヒト気がないわけだ。
4月22日から「北斎とライバルたち」という展示が始まるというので、この日再び同館を訪れたのだが、
やはりヒト気がない。
(看板もなく不愛想極まりない 節税対策の美術館か)
これはおかしい。
たま~たま通りかかったおばさんに聞いてみた。
「あの、ここは浮世絵の太田美術館ではないのですか」
「さあねえ、寄宿舎だと思うけど、浮世絵もあるのかしらね」
う~む。
いずれにしても中には入れないので、駅前のイタリアンへ(←特に脈絡はない)。
結局この日はパスタを食いに久我山へ来た、ということになってしまった。
(駅近の一軒家イタリアン「コニファー Conifer」)
(前菜 キッシュ、ラタトゥイユ、マッシュポテト、サラダ(ヨーグルトとキュウリのドレッシング))
(ペンネアラビアータ これは旨い!)
すっかり満足して美術館のことはどうでもよくなったのだが、一応調べてみたところ、
久我山にあるのは「東京都立太田記念館」、浮世絵の方は「太田記念美術館」と言ってこちらは原宿にある。
「記念館」は戦前に朝日新聞上海支局長だった太田宇之助氏(1891~1986)が久我山の私邸を東京都に寄付、故人の遺志により外国人留学生の寮になっているそうだ。
氏は当時中国通として有名な方で、孫文とも交流があったという。
支局長とはいえ一介の新聞記者がこれだけの土地と豪邸を残せるのは何とも不思議だが、氏は朝日
退社後に時の汪兆銘南京政府の経済顧問を務めたりしたそうだからそれなりの財産を作って日本に引き揚げてきたのかもしれない。
そんなこともあって記念館のHPを見ると、
「留学生入寮者募集中 中国からの留学生はエコひいきします」というようなことが書かれている。
(中列の真ん中 額が後退した人物が孫文だろう
その右隣の髭を蓄えた人物は中国共産党創立メンバーの一人李大釗(だいしょう)と思われる
孫文の死から2年後の1927年李はソ連のスパイ容疑で国民党政府に処刑された)
それにしても勘違いもここまでくれば大したものだ。レストランのマダムにトンチンカンなことを聞かなかったことが不幸中の幸いであった(汗)。
恥ずかしさも
中くらいなり おらが春