心に残る銀メダル | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(泣いたり笑ったり おつかれさまでした)

 

 北京冬季オリンピックで日本代表団が獲得したメダルは過去最多の18個。

 このうち6個を占める銀メダルだが、今回は金メダル以上に印象深かった。女子カーリングロコソラーレの大活躍と、パシュートの高木菜那さんの涙がそう思わせるのだろう。

 

(もらい泣きした方も多いはず)

 

 優勝が金メダル、第2位が銀メダル、となったのは第3回オリンピック(1904セントルイス)からのことで、第1回(1896アテネ)、第2回(1900パリ)では優勝は銀メダル、第2位は銅メダルだったそうだ。

 当時金にそれほど価値がなかったから、ということではなく、逆に金価格が高騰していて手が出せなかったらしい(当時は「金メダル」=純金製という認識だった)。

 

 人類の歴史とともに歩んできた金と銀だが、大昔は価値にそれほど差がなかったという。

  紀元前29世紀頃(エジプト古王朝) 2 (GSR gold/silver ratio 金1と同価値の銀の重さ)

  紀元前18世紀頃(ハンムラビ王朝) 6

  紀元4世紀頃(ローマ帝国)     10

 

 中世になって銀の精錬法が確立され、銀の生産量が増加するにつれて銀の価値は下がっていき、16

世紀にはGSRは15程度にまで拡大してしまった。

 ちなみに鎖国時代の我が国のGSRは5。開国後この金銀価値の差に着目した欧米商人たちは我が国に大量の銀を持ち込んで金を買いあさった。あわてた江戸幕府は金貨の質を落とすことでこれに対抗しようとしたのだが結果はひどいインフレを招いてしまい、幕府滅亡を早める結果となった。 

 

 

 (2020年にGSRは過去最大の120まで上昇 現在は80前後でウロチョロ)

 

 「記録より記憶」という。

 メダルの色も銀の価値もどうだってかまわない。

 メダルなんかなくたって、小平さんや羽生さんのチャレンジはいつまでも心に残り続けるだろう。

 

(銀メダルのような月が西の空にポカリ)