テレビがつまらなく感じる日々 | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(二週間ぶりの再会に興奮したのはほんの一瞬 あとはいつも通り意地汚い愛犬)

 

 八ヶ岳南麓から東京に戻ってくると、大してすることもないからついテレビを見てしまう。

 昨日も今日も全局あげて宮崎容疑者ばかりだ。つい先日までは宮迫ネタばかりだったのがすっかり様がわりである。

 

(どっちの顔も、もうウンザリ)

 

 テレビ番組は年々つまらなくなっている。私自身の加齢のせいかもしれないが、大相撲やスポーツ番組は昔と変わらず楽しめるからあながち歳のせいばかりとも言えまい。

 民放はどこも似たりよったりで、安っぽい3大コンテンツに頼りきりである。

 

① 使い捨て芸人の愚にもつかない宴会芸・しゃべくり

   闇営業事件に連座したナントカいう芸人が先輩芸人に「芸で見返してやれ」と激励されたそうな。

   せっかくの美談じたてのエピソードだが、励ました方も励まされた方も誰一人として「芸」と呼べるよう
  な立派なものは持ってませんから!残念~。

 

② 視聴者利用型番組

  「ポツンと一軒家」とか「家ついていっていいですか」とか視聴者に乗っかる番組は百花繚乱である。

  元々業界で先鞭をつけたのは「YOUは何しに日本へ」でおなじみ、業界のオミソと言われたTV東京

 だが、今や「民放のTV東京化」がおそるべき勢いで進行している。もっとも「ポツンと一軒家」はヤラセ
 臭が少ない良作で、わたしはマンネリの「世界の果てまで行ってQ!」に見切りをつけて日曜はこちらを
 見ることにしている。

 

③ ウンチク番組、クイズ番組

  私はウンチク番組とクイズ番組は一切見ない。

  「納豆は朝食うより夜食った方がよい」とか、どうでもいいウンチクの羅列が窮屈な日常をさらに窮屈
 なものにするからだ。

  クイズに関して言うと、「それではここで問題です」型の番組挿入型クイズは尺を稼ぐための製作サイ
  ドの苦肉の策だからまあ許せるのだが、「東大王」だの「チコちゃん」だの、実に馬鹿馬鹿しい限りであ
 る。視聴者の教養を高めたいのであれば問題と答を同時に放映しなさいっての。

 

 何故この手の愚劣な番組がテレビ界を席巻しているのだろうか。調べてみると答は簡単、テレビ局によい番組を作る余力がないからだ。

 電通の調査によると、「地上放送広告費」(日本中のテレビ局の地上波によるCM収入)は2006年には2兆3700億円あったものが、この年をピークとして以降下降線をたどり、12年後の2018年には1兆7800億円にまで減ってしまった。

 収入が減ったわけだから番組制作費も抑えざるを得ない。民放の雄から「振り向けばTV東京」と言われるところまで落ちぶれたフジテレビを例にとると、2006年度の番組制作費は1150億円あったものが

今では300億円減の800億円そこそこである。

 TV局の哀れなところは、メーカーと違って収入が減ってもラインを減らせないこと。年間8760時間の放送をキッチリしなくてはならないから、総制作費が300億円減れば1時間あたり制作費を342万円削減せねばならない。そうなるとカネのかかる時代劇だの本格ドキュメンタリーだのはやめ、安い埋め草に「芸人」と称するお調子モノやギャラが不要な素人が重宝されるわけだ。

 

 連日の闇営業事件(もともと事件というほどのものではない)の展開や、宮崎容疑者の続報などを見ていると、ひょっとしてこれも「芸人ネタ」、「素人ネタ」のTV局のヤラセではないかと思わず疑ってしまう。

 

 現代文学の最高峰筒井康隆氏の著作の中でも不朽の名作と言われる「俗物図鑑」にも事件を作り出そうと暗躍するマスコミの姿が描写されていたが、世の中は筒井翁の想像の世界へと進んでいるように

思われる。 

 

 

(「無人島に持っていきたい本(ゆるふわ版)」第一位の「俗物図鑑」1972)