(所轄のお巡りさん、合鍵作りました)
亡父の死にあたって厄介をかけた所轄の警察官が、
「お母さんもね、だいぶアレだから、合鍵持ってた方がいいですよ」と心配してくれた。
実際実家の合鍵がないのは大層不便である。実家の新築時には私も確実に持っていたのだが、どこかに紛れ込んでここ30年ほど見かけたことがないので、さっそくこさえることにした。
「警察」と聞くと皆さん何を思い浮かべるのだろうか。
私のように「親切なお巡りさん」という方もいれば、卑怯な手口で交通違反を摘発するゴキブリ野郎、と怒り心頭の方も多いだろう(私もこちらに一票!)。
かくいう私も多感な頃は「警察=人民を抑圧する国家権力の暴力装置」というステレオタイプを持っていた。子供の頃テレビで見た羽田闘争とか東大紛争とかの影響も大きい。
(1967年10月 第一次羽田闘争 佐藤首相ベトナム訪問阻止を狙う学生と機動隊が空港付近で衝突
学生1名死亡17名負傷 一方ほぼ丸腰の機動隊の負傷者は840名に達した)
(1969年東大闘争のフィナーレを飾る安田講堂攻防戦
羽田闘争から70年安保闘争沈静化(71年)までの3年間で機動隊は6名の殉職者と1万8000人の負傷者を出したことは殆ど知られていない)
また、警察にとって気の毒なことに「こち亀」が国民の警察に対する印象を大きく歪めたことは疑いない(とはいえ一長一短で、こち亀によって警察の「暴力装置」イメージは大いに払拭されたことだろう)。
(1967~2016年 全1960話 コミック販売総数1億5,650万部という国民的叙事詩
両津勘吉巡査を見たことない、という日本人は皆無であろう)
(なんだか知らないけど米国で話題になった日本の雑誌
「あ、これウチの町の警官だわ」
「いや、ウチの警察だ」
「これはニセ警官だよ。本物はもっとデブだ」
「American Police?これは一体何の雑誌なんだ?日本人のツボが理解できない」等々)
その後私の警察イメージは、度重なる「一時停止義務違反」だの、「車線変更禁止区間での車線変更」だので何度も地に墜ちたが、所轄のお巡りさんにはそれ以上にお世話になってきた。
詳しくは触れないが、
・ 組織暴力団のクルマに接触して「加害者」となった私を「てめえ、民事不介入だろうが!」と「被害者」
にわめき散らされながらも守ってくれたこと
にわめき散らされながらも守ってくれたこと
・ 老父母のクルマが交差点で某メーカーの営業車と出合い頭に衝突、メーカーの運転手は平謝りと
なったが、
なったが、
「息子さん、何人か目撃者がいてね、みんな『乗用車(両親のクルマ)が信号無視した』って言ってるん
ですよ。・・・だけどね、あっちの人が非を認めてるしね、民事不介入だからね、警察は。まあ一応息子
さんには言っときます」と、加害者となってもおかしくない両親を守ってくれたこと
さんには言っときます」と、加害者となってもおかしくない両親を守ってくれたこと
等々。
話は脱線するが、警察官への謝礼はどのようにすればよいか。
李下に冠を正さず、酒だ食い物だを届けるのは喜ばれないらしい。まして金品などもっての外である。
私が有識者から聞いたのは、警視総監(東京以外だと県警本部長)と所轄の署長にお礼状を出すのがいいそうだ。あっちにも出した、ということが分かるように、宛名は連名にして別々に出す。
これをやるとお世話になった警察官(お礼状にちゃんと氏名を書くこと!)の給料が何十円だか上がることがあるらしい。
前置きが長くなったが、私はそらを連れて駅前の交番に行き大原部長(両津の上で跳ねてる人物)
にそっくりな年配のお巡りさんに合鍵屋を訊ねたところ、ああ、そこの路地を抜けて右、と教えてくれた。
お礼を言って路地をトボトボ歩いていると、背後からひたひた足音がする。大原部長が追いかけてきたのだ。何事かと思っていると、
「あ~開いてる、開いてる。いや、日曜だからね、閉まってるといけないから」と言うではないか。なんという優しいお巡りさんであろう(「立番放棄、職務違反!」とワーワー言われかねないので、派出所名は明かしません)。
合鍵屋はものの5分程度でサクサク鍵をこさえた。
店長は、この鍵はコピーのコピーなのでうまく作動するかは何とも言えない、必ずドアを開けた状態で試してほしい。万が一動かなかったら、すぐ持ってきてください、微修正しますと言う。
お礼を言って帰ろうとすると、
「あ、今お伝えしたことがここに書いてありますから。これ持ってってください」とメモを渡された。
なんかみんな親切だ。今日もいい日だね、い~い日~旅立ち~、なんて浮かれているとふと気がついた。これって、ひょっとすると私が危なっかしく見えて、皆心配しているということではないだろうか。
60歳まだまだ若いよ、と思っているのは自分だけ、世間から見ると十分老人なのである。