東京生まれの私はちょうど60年間東京で暮らしている。
この後の展開と全く関係ないが、この60年間の東京生活で一番印象に残っているシーンは、1964年東京オリンピックマラソン競技において、国立競技場に入ってからゴールを目前にして円谷選手がヒートリーに抜かれたシーンである。その後の円谷選手の悲劇と涙なくしては読めない彼の遺書が、そのシーンを私の脳裏でさらに際立たせたのであろう。
10年ほど前であろうか、「東京熱帯化」のワーディングとともに、東京の気温上昇を示すさまざまな現象を紹介する記事をよく見るようになった。
曰く、
「オニヒトデが東京湾で越冬」
「九州固有種の巨大ゴキブリがついに東京来襲!」
「もうすぐ東京でデング熱が(たしか週刊朝日の記事)」
確かに感覚としても東京は年々暑くなっているように感じていたが、気候によるものではなく、本人の問題である可能性(体重増加、過度のアルコール摂取など)も否定できなかった。
ところが、実際に東京は暑くなっていたのである。下図は当時の環境省の公表データであるが、気温上昇が一目瞭然である。
また、気象庁によると、東京で気象観測が始まった1876年の年間平均気温は13.6℃、私の生まれた1957年に14.9℃、東京五輪の1964年は15.3℃、それが2016年には16.4℃となっている。先般の日経報道によると21世紀末には現在の屋久島並み19.4℃となるらしい。
8月の平均気温を見ると、観測来初めて29℃を突破したのが1995年、その後2007、2010、2012、2013年と29℃が当たり前の状態になりつつある。
2013年、56歳の私は、生まれ育った東京を離れることを決意した。そして2014年、おりからのデング熱騒ぎの中、ついに土地を入手することになった。
円谷選手の栄光と苦悩
ポールサイモン来日公演
約束の犬ハチ
晩秋の朝倉彫塑館、谷中墓地
「いもや」の天丼・・・
「お前は本当に東京を捨てられるのか?・・・ああ誰か故郷を思わざる 思い出いっぱいの東京を」
私は決断した。「まあ、東京と縁を切るわけじゃないし。まずは避暑地ってことで!国立競技場も建て替えだよ~」
思えばそのころから私は十分にゆるかったのである(続く)。