大切なものは目に見えない | あーるけいのブログ

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麻雀 & 気ままに様々な事

 まず、この原稿を投稿するのは随分躊躇しました。でも自らの記録と残しておきたかったのと、もしも誰かが読まれて何か感じてもらえたら幸いです。

 『星の王子さま』サン=テグジュペリ(著)・内藤 濯(翻訳)・岩波書店(出版)を読んだ。20歳代に薦められて読んだ時の印象は記憶していない。いわゆる大人の為の童話ですが、アマゾンのレビューを見る限り、読んで想う所は様々なようです。活字を読まなくなった私は数ヶ月に1冊位のペースで気になった本(大半が映画の原作)を読みます。実年になった今、この本を読み、感じた事を書きます。その前にこれまでの私自身の事柄を書くのが必要と判断しました。

 誰もが人生の分岐点が幾つかあります。概ね、学校の入卒業・就職・結婚・子の誕生・子の入卒業・転職・退職といった事が共通していると思います。私に大きな衝撃を与えた事件があります。それは1995年(平成7年)1月17日の「阪神・淡路大震災」と同年3月20日の「オウムの地下鉄サリン事件」です。幸いにしてこの事件で肉親、友人、知人が被害には遭いませんでしたが今後の将来を考え直すきっかけになりました。その詳細は迷惑を掛ける事になるなるので書きませんが17年間勤めた会社を辞める決意となり、他の会社に転職したのがその翌年の9月です。

 新しい会社は地方です。パソコンのソフトウェアのSEとして就職しました。前会社の社員数約20倍はある会社(後に東証1部上場)で全国に営業展開。当初戸惑いは少なくなかったが本社勤務だったので社員の大半が地元の方で良い方が多かったから人間関係の問題もなく程なく馴染んだ。但し、私は怒りっぽいとよく言われた。理由は後になって知る事になる。自分で言うのも変だが、忙しい時期だったのでバブル期のように一生懸命働いた。元来、休日も仕事を家に持ち帰る性分。実際、自宅で働かないが常に仕事の事を考えている。入社4年後には3人の部下を持たされていた。

 その頃から奇妙な症状に悩まされるようになる。右脇腹(肝臓付近)の鈍痛。病院での検査、人間ドックでも原因が特定出来ない。しばらくすると別の異常も出だす。不眠、苛立ちそして落ち込み。毎日約100通は来るメール、イントラネットが読めない。読めないという表現より読んだ前行を忘れてしまう。何時しか職場が滅茶苦茶になっていた。カミさんに打ち明けて、精神科を受診したら病名は「躁うつ病」正確には「双極性障害II型」。3ヶ月入院した。自分がケガする事はあっても病気になる事など無いと思い込んでいた。

 その10年後に退職した。その間入退院、復職を繰り返した。最長の休職期間は1年間。不況でリストラが実行されたが該当者になる事はなかった。職務が一因と推測される病気を理由に会社都合で退職させない良い会社だった。私も辞めるに辞められない状況にあった。それは娘二人を進学させる費用を稼がなければならなかった。年子の姉妹は京都の2Kマンションに同居して大学へ通学。わずかな貯金しか残らなかったが貯金を切り崩しながら5年間、何とか乗り切った。二女が卒業した時は本当に嬉しかった。

 加齢と共に入退院のスパンが短くなり、「1年間休職して直してこい」と言ってくれた直属上司には本当に感謝しています。その期間に新しい療法を受けたが無理だった。私の場合、性格(遺伝)に依存するので職務へのスタンスを抜本的に変えないと再発を繰り返します。復職して約半年後に退職した。家族共々、元居た田舎に戻ったのは15年ぶり、今から約4年半前になります。

 田舎に戻って1年間は失業手当で休養。これまでのPC関連職務から離れたいと考えて別職務のアルバイトで就職、就労。おかげで再入院する事なく今日まで来れました。でも気分の浮き沈み(数日寝込む事も)は相変わらずあります。昨年末、勤務日数を減らした。駅前の旧住宅密集地に居住しているので自家用車をかなり前に手放し、経済的に豊かとは言えないがカミさんが上手くやりくりしてくれる。心は豊かな暮らしとなり、カミさんには感謝、感謝です。

 脳医学はゆっくりとしか進んでいないそうです。私の様な病も脳で起こっている現象は解明されていて、それを制御する新しい薬は開発されています。でも現象の原因が解明されていない為、治療薬がありません。まあ、無くなった物は余程でない限り戻ってこないように無いものを欲しても仕方ありません。今ある現実をどの様に生きるか、どの様に考える方が賢明です。人は誰もが幾つかの事を背負って生きているのでしょうから。

 さて、やっと本題に入ります。この本で、狐が王子さまに「かんじんなことは目に見えないんだよ」と言います。この「かんじんなこと」は「大切なもの」と解釈すると、物理的なものは指していない。例えば空気。「大切なもの」は日頃有って当たり前と思って気づかずにいる事だと思います。例えば愛情・友情といった対象の相手は見えるが失わないと思い込んでいる事。過去の私が見えなかったのは「健康」でした。人、様々異なっていると思いますが、現在、目に見えない大切なものが何か考えるだけで十分です。そしてそれを大切にして下さい。

 最後まで読んで下さってありがとうございます。さらに申し訳ありませんが、コメントには答える事はできないので不可にしました。