麻雀との関わり | あーるけいのブログ

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麻雀 & 気ままに様々な事

 麻雀という極めて知的なテーブルゲームに出会ったのは大学に入学して直ぐ、私は18歳でした。最初に牌を触ったのは入学して知り合った友人に誘われ、通学の為に大学周辺に越してきた友人家(賃貸アパート)でのコタツ上。知り合った友人4人でゲームを興じるという事は至福ながら完全な麻雀初心者だったのでゲーム内容が解らず(北牌をペー。えっ?ホクじゃないの)、役は簡単役から対局中に一つ一つを口頭で教えてもらう日々。チョンボも通常最低1回は。麻雀牌の積木を繰り返し負け続ける。それでも麻雀に魅せられて入門書を購入し通学時の行き帰りに猛読した。因みにチョンボと言えば「多牌」、現在はアガリ放棄ですが当時は14枚以上牌で行う為、不正行為=即チョンボでした。よくやりましたね。ポン、チーして捨牌忘れるのを(^^;)

 当初は完全先付けルール私が教えられたルールを簡単に説明すると、和了時に役が確定していなければならない。それから最初に鳴く時、それが和了役に関わるものでなければならない。例えば役牌のみの手だったら、最初に鳴くのは役牌でないとダメ。チャンタで両面待ちターツでの片牌和了は出来ない。その場合は必ず立直。でもフリテン立直はチョンボなのでその局が流局した時点でチョンボ払い。なので安め牌でも和了は必須。但し、最初に麻雀を覚えるのはこのルールが良いかも知れません。友人以外の人と対局するようになり、いつしか、喰い断ありの「ありありルール」に変わっていった。

 日々麻雀を興じて、初級と言える頃に友人が貸卓が基本ながらフリーで麻雀が出来る雀荘を見付けてきた。大阪市内の学生街にある雀荘に1人で来ても店側が一卓のメンバーを揃えてくれる。当時、雀荘は貸卓のみで大阪全体探してもまず無いシステム。ブー麻雀は大きな雀荘なら一卓はありましたが通常の麻雀をフリーで出来る店は他には無かったのではないですかね。ブー麻雀で思い出した事が・・・。その当時、友人と2人で大阪梅田の大きな雀荘(初めて入店)でブー麻雀をした事があります。ルールが分からない、聞いて知っているのは役無しでも和了可能な事だけ。対局者は強面。若さ故出来たのでしょう。流石に2人1局だけ交互にして抜けました。幾ら支払ったか憶えていない程なので安価だったのでしょう。貴重な、少々怖い経験です。


 現在もフリーで麻雀が出来るか定かではありません。20年以上前に貸卓専門にしたと聞きました。現在、麻雀する4人を集めるのが至難なのでとっくに閉店したと思っていたが、現在も営業しているのを知り驚いた。当時、沢山あった雀荘が無くなっている中、貸卓を安価で学生に提供しているのでしょう。当時は学生街という事もあり朝9:30~10:00頃にオープン。閉店は夜24:00。常連の学生は朝から入店して午前中に授業がなければ昼までに1半荘は出来た。でも朝から麻雀する学生は少なかったのでほとんど1卓。午後から夕方にかけてぞくぞく集まってくる。料金体系が他の雀荘とは全く違っていた。他の雀荘は貸卓のみで1時間1人幾らですが、そこは半荘1回が1人100円。他の雀荘が1時間1人150円~の時代だったので、半荘1回100円は安い。1半荘が1時間半でも2時間でも100円だから…。店舗は決して綺麗とは言えなかったが麻雀卓7卓が開いていても1、2卓。夕方以降は全卓稼働。貸卓で打ちに来る学生は時期逃すとしかたなく帰る事もしばしばあった。1人で来ても麻雀が打てるので社会人の方もも出入りしていて平日最低1卓。2卓立つ事もあった。休日には社会人の方が朝から3卓程。結構賑わっていた雀荘でした。

 当時、社会人と麻雀する事は無かったが、初めて会う学生や常連学生と何回も麻雀した。友人仲間でする麻雀はどうしても限られた麻雀になって腕が上がらない。でも不特定、強い人との麻雀を重ねると自らの麻雀が上がっていくのを実感した。朝オープンから閉店の24:00まで打ち続けた事も度々あった。24:00だと当然終電には乗れず、友人宅に泊めてもらうしか無い。大学近辺に住む友人の所を転々として泊めてもらったが、今晩は頼む所が無いなぁと感じたら、その雀荘の2階に泊めてもらう事も。今、想うと麻雀漬けの日々がよく続けられたとなぁと。その頃は麻雀牌の盲牌も2牌以外は全て出来た。その2牌は伍萬と六萬。悔しかったので何度かチャレンジしたが挫折、直ぐ諦めた。

 学生麻雀なのでルールは単純でレートは低い。ありありルールで2万6000点持ちの3万点返しのウマは無い。ウマそのものを知らなかった。現在のように各対局者の持ち点が直ぐ分からない事も理由ではないかと。トップ取らないと浮きにはなかなかなれない。現在では当たり前の自動麻雀卓は影も形も無い時代。局が終わり山崩して洗牌は伏牌などせずに牌混ぜて山積み。先ツモ許可。但し鳴く、和了は先ツモしてると出来ないので黙聴は概ね分かる。だから自ずと立直が多くなる。

 他学科の学生で殆ど勝つヤツが居た。配牌悪いと直ぐ喰い断で仕掛けて3フーロで手牌が4牌。立直がかかっても、和了牌を読み切り、回る。放銃せずに自ら和了する事も。同学年だが麻雀の腕は私以上に持っていたから3回生になった頃には社会人の卓に入っていた。そいつがポロリと話した事が悔しい。それは「自分の山牌積む時に牌を記憶しておけばいい」と。そんなの有りなの?!?学生間の麻雀なのに・・・。自ら積んだ山牌が残ると何をツモるか分かるならターツ選択を迷う事が無い。

 やがて就職。麻雀牌を触る事の無い社会人としてのスタート。年に1度位、麻雀に誘われる事はあったが、それも結婚するまで。3年、5年、10年と徐々に麻雀をする機会が空いていった。麻雀する4人集めるのが難しくなった事もあるが、仕事に忙殺されて余程暇な時以外は誘いを断った。自然と声を掛けられなくなった。そして再び会うのがインターネット上でのオンライン麻雀。インターネット通信がADSLから光ファイバーに変わり、PCスペック向上がインターネット上で見も知らぬ人との麻雀がストレスなく出来るようになった。さほど嵌まりはしなかったが麻雀役の飜数を思い出しながら懐かしくPCで麻雀をした。符計算もすっかり忘れていたが自動で計算してくれる。ポン、チーも頼みもしないのに確認させる。どれ位の期間この麻雀をしただろか、やがて虚しくなってきた。実際にネット上に人は居るけれどあくまでバーチャル。「えっ、もう立直!」「その牌通るの」等、話しながら麻雀したい。和了牌を指先に力入れて盲牌したい。いつしかネット麻雀をしなくなっていった。尤も、ネット麻雀が麻雀人口を若年層から支えて、増やしているのは間違いないでしょう。麻雀4人は集められないし、雀荘に初めて入りのは躊躇するから。

 最近、ネット上で見付けたのが「健康麻雀」。「賭けない、飲まない、吸わない」何それ?というのが第一印象。前者2つは良いとして喫煙者の私は「吸わない」は辛い。立直かけた後に一服がこれまでの習慣。でも麻雀牌での麻雀がしたくなり雀荘に無料体験の申込み。申込時「半荘終わった時点で煙草吸えますか」と尋ねたら可能だというので参加したら当日大人数で7卓立ち、1半荘終わる度にメンバーを変える為、半荘が遅く終わると直ぐ別卓移動。煙草を吸っていたら待たせる事に・・・。結局、開始前と終了後にのみ喫煙。これは続かないかなと常連メンバーに尋ねたら「今日(この曜日)は多い、別曜日なら少ない」と。一ヶ月後に別曜日に参加したら2卓のみ。それもスタッフ2人含み。半荘が早く終われば喫煙できた。平日午後のみしか出来ないので月に1回だけ参加する事にした。健康麻雀の事をWebで調べてみた。60歳以上の国体「ねんりんピック」の正式種目らしい。その年齢にはなっていないがnearly。続けます!。

 因みに自動麻雀卓の操作がまだ今一。それと500点棒があったのはビックリ。荘家時にサイの目が9以上出た時、各山17積まれているのは分かっているが4牌取る所を牌数を数えて待たせてしまう。次回までに逆から幾牌残して取れば良いか覚える。それから麻雀牌も通常牌と少し違うのかな?自宅の麻雀牌と比べて牌が滑るし指先の感触が違う気がする。使い込まれている為の勘違いだろうか・・・。