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2024年10月13日(日)の記録です。
この時は1日半かけまして、別子銅山の端出場(はでば)地区、東平(とうなる)地区、旧別子地区を回っております。
本四高速の観光ページの中に、しまなみ海道のページがあります。
その中に別子銅山のページがあり、詳しく述べられております。
そのページによりますと、別子銅山とは・・・
別子銅山は日本三大銅山の一つで、住友グループにより1691年から1973年までの283年間掘り続けられました。標高1,210mのところから掘り始め、最深部は海面下1,000mにまで達しました。この間の採銅量は約65万トンとされています。
別子銅山は、公害(亜硫酸ガスによる煙害)への取り組みなどでも知られていますが、山を元の状態に戻すために、明治初期から植林を行っており、今では緑豊かな状態に戻されています。
閉山後は、「端出場(はでば)地区」と「東平(とうなる)地区」の2カ所に分けて整備され、2007年度に近代化産業遺産(経済産業省)に認定されました。特に、東平地区の索道基地・貯鉱庫跡は「東洋のマチュピチュ」として有名です。
では東平地区は・・・
東平地区は、マイントピア別子から車で約25分(約10km)行ったところにあります(この道中に「遠登志橋」があります)。
道の途中から山沿いに曲がりくねった狭い道になります。
東平地区は、1916(T5)年から1930(S5)年まで採鉱本部が置かれていたところで、最盛期には約3,800人が暮らしていたそうです。
ここには、銅山関連施設や学校・病院・社宅・娯楽場・配給所などの生活関連施設が整備されていました。
現在は、索道基地・貯鉱庫跡(東洋のマチュピチュ)、トンネル、変電所、生活関連施設跡地などが残されており、新たに歴史資料館や保安本部跡を利用したマイン工房などが整備されました。
東平への道は狭いため、マイクロバスを利用した定期観光バスが、マイントピア別子から午前・午後各1便運行されています(所要時間約2時間、期間は4月~11月)。
ということだそうです。
それでは13日午前中に訪れた、東平地区を全4回に分けてご案内します。
駐車場に車を置いて、東平地区の一番入口に近いところにあたるエリアに戻ってみましょう~
このような階段を上って戻ります。
やがて東平小・中学校跡へとやってきます。
敷地は山間にしてかなり広いです。
こちらが正門だったのではないかと思われますが、景色がいいですね~
では場所を移動して、駐車場近くの病院跡へ。
特に何が残っているという訳ではありませんが、門柱が残っている程度ですか?
こちらは保育園跡ですが、水槽のようなプールのような・・・
橋の名前はわかりませんが、この橋を渡って娯楽場へ行っていたようです。
こちらがその娯楽場跡と思われます。
大きな基礎と石垣くらいしか残っておりませんが、規模から相当なものだったと窺える遺構でした。
それではこのエリアからインクラインへと降りていきましょう~
つづく・・・
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