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2024年6月9日(日)の記録です。
まずは、「金沢監獄正門」へ。
南北250m、東西190mを囲う長く高いレンガ塀の敷地、唯一の出入口として設けられた正門です。
西洋の城郭にも似たデザインで、赤レンガに白花崗岩の帯状装飾を入れたネオ・ルネッサンス様式です。
アーチ型両開き鉄扉を備えた主出入口と、楯式片開き鉄扉を付けた両脇出入口の三間構成になっています。移築されるにあたり、レンガ造から鉄筋コンクリート造に改められました。
閉鎖的で威圧的な印象ながら、その造形の美しさに目を奪われます。
次に「前橋監獄雑居房」へ。
前橋監獄は洋式の4方放射式建築で、中央に八角洋風の高塔を据えた建物でした。
監房は平屋で、各舎房とも、2棟もしくは3棟が連続していたとされています。
そのうちの1棟が、この雑居房です。
中廊下形式の建物で、廊下の左右に21の房が並び、端には洗い場がついています。
和洋折衷の構造で、格子壁で囲まれた各舎房が左右に連なった上に、洋小屋を載せた形です。
各房は、堅い栗の角材が格子状に組まれた形式。
房の周囲と廊下は吹きさらしとなっていて、寒さの厳しい真冬には、受刑者にとって過酷な環境だったといえるでしょう。
次に「天童眼鏡橋」。
山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋(「高橋」の表記とも)。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られました。
日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名です。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられました。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになりました。東北地方のアーチ橋は、当時の県令であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けました。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっています。
次に「東京駅警備巡査派出所」。
東京駅の丸の内側広場の中央にあった派出所。
壮大な駅舎の竣工にあわせて建てられました。
東京駅の駅舎は、辰野金吾の設計で大正3年(1914)に竣工。
一方でこの建物は、警視庁の設計によって同時期に建てたと伝えられています。
構造は鉄筋コンクリート造で、隅切り八角形の平面、正面の半円のペディメント、欄間付きの上げ下げ窓にある純白の浅い庇、腰壁に帯状にめぐらせた白色化粧レンガなど、東京駅舎との調和がはかられていることが見てとれます。
本日の最後は「金沢監獄中央看守所・監房」です。
金沢監獄は明治5年(1872)制定の「監獄則並図式」に沿って造られた監獄。
八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置でした。
そのうち中央看守所と独居房として使用された監房の一部分が移築されました。
なお中央に置かれている監視室は網走監獄で使用されたものです。
監視室からは各監房棟の中廊下が一望に見渡せ、外部については看守所上部の見張り櫓から監獄全域の状況を把握できるため、管理上非常に効果的でした。
つづく・・・
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