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2023年11月15日(水)の記録です。
2021年8月30日、ウトロ地区の資料などを収納した建物など7棟が放火により焼失した。
「ウトロ地区」とは・・・
京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。この地区は1940年から日本政府が推進した「京都飛行場建設」に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡に形成された集落である。当時在日朝鮮人たちは徴用や貧困から逃れるために飛行場建設の過酷な労働に従事し、やがて日本の敗戦により工事が中断されると、その場に使い捨てのように放置されることとなった。終戦後、多くの労働者は帰国を希望したが、日本の植民地支配により故郷での生活基盤が破壊され、朝鮮半島が社会的にも政治的にも混乱していることや日本政府による財産の持ち出し制限、その他生計の問題などで日本にとどまる人々も数多くいた。
ウトロで暮らしてきた朝鮮人労働者たちとその家族は行くあてもないまま自らの手で不毛の地を開拓し、ウトロで助け合いながら根を下ろして生活を営んできた。
戦後の厳しい差別のなかで在日コリアン集住地域として蔑まれたウトロ地区は、上下水道などの生活インフラも整備されず、大雨が降ると深刻な水害に悩まされ、また生活用水も地下水をくみ上げる劣悪な衛生環境だった。しかし日本の市民たちが、ウトロの現状を「深刻な人権問題」であるとして住民たちとともに生活環境改善を求める運動をおこない、1988年にようやく上水道が敷設され、住環境整備が進むかに思われた。だが戦後に民間に払い下げられたウトロの土地は住民たちの知らない間に転売され、その所有者が「不法占拠」であると立ち退きを求めて裁判を提訴、最高裁まで闘われたが住民たちは敗訴した。しかしウトロ住民の生活を守るための運動は日本国内外に広がり、日本市民、在日コリアン、韓国市民、そして韓国政府が支援をおこない、2007年にウトロの土地の一部を買い取ることで土地問題が解決、日本政府、京都府、宇治市により住環境整備が本格的に進められることとなった。
以上、国際人権NGO反差別国際運動IMADRの記事より引用。
そして2023年6月頃から焼け跡の解体撤去が本格化しており、この日、撤去後の同地区を見に行ってきた。
瓦礫は残ったままのところもあります。
ではご覧ください。
こちら、焼失したエリアになりますが、すっかり更地化されております。
燃えなかったお宅はそのままにされているところもございます。
こちら、燃えた場所にソリオを駐車。
では画像をご覧ください。
外部はフェンスで覆われておりますが・・・
一番西側から入ることができます。
以上、焼失後のウトロ地区をお伝えしました。
廃墟でもよく見かけるのですが、放火とか、馬鹿なことはやめましょう~~
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