↑ ↑ ↑
どれかクリックしていただけると元気が出ますw !(^^)!
徳山村、その名前を聞いて、特別な感情あるいは郷愁、懐古的、ノスタルジーといった言葉を連想する方は、少なからずいらっしゃることでしょう。
揖斐川水系における最大級の治水政策を目的としたダム建設が計画されたのが1957年(昭和32年)。
このダム建設に伴い、徳山村は全村水没を想定され、事業が進んでいきました。
しかし旧徳山村の8集落のうち、標高約450mにある「門入(かどにゅう)」集落のみ水没を免れることになりましたが、取り付け道路が水没することになり、他の集落同様水没扱いとして保証がなされました。
しかしながら驚いたことに今日、その門入に水没前から住民登録し、これまでも今も移転登録することなく旧徳山村門入に住所を持つという「広瀬さん」という方に出会ったのです。
そんな歴史持つ徳山村と徳山ダムですが、これまで長い間そこへ行きたいと思ってはいたのですが、自分の体力を考えると二の足を踏んでおりました。
しかし、20日前に単独で徘徊した大杉谷での6時間に及ぶ歩行実績に基づく自信と、何よりも今回の主催者・同行者の方による後押しもあって、私にとっては「夢」であった門入への訪問が成功したことに素直に感謝したいと思います。
前置きが長くなりましたが、ダイジェストでお伝えします。
まずは朝7時過ぎに車外へ出てみると・・・
なんとわが奥様が「拾って来いw」と命じておりました「鹿の角」が、あろうことかこんなにも!
しかもどれもきれいな状態のいいもので、ほんとに感謝します。
seroさま、わたくしの寝坊でお会いできませんでしたが、本当にありがとうございました。
次回はぜひともお会いして、お礼申し上げたいと存じます。
このようなサプライズの後、わたくしはホハレ峠へ下見に出動しました。
ホハレ峠ではそらまめさんがすでにお越しで、少しお話ししたのち一旦集合場所に戻りました。
集合は9時でしたが、みなさん早いですわw
9時半にはホハレへ!
そこから門入への進軍開始です。
途中、「笑わせてよ」の声にも関わらず、ふつうに渡り終えた「○神さん」でしたw
砂防ダムに着いて、もうあと少しと誰もが錯覚に・・・
門入手前の「土管橋」は、何と流されておりました。
門入への入り口、沈下堰堤? は・・・
この日は水量が多く、靴を脱いで渡渉することになりましたが、水が冷たくて・・・
この先では下流に見えたこの橋が気になって気になって・・・
門入集落のこの橋を渡りますと・・・
望郷広場の入り口でございます。
場所は明かしませんが、こんなナンバープレートのついたバイクがございます。
これ、現役だそうで、今でも動くそうですよ。
こちらは望郷広場の記念碑です。
門入の風景をもう一つ。
先ほど気になった橋へ行ってみました、というか行き方がよくわからないのですが・・・
どうにか「たどり着いた「大橋」ですが、意外と新しかったのには驚きです!
ここで一泊組と日帰り組のわたくしは別れました。
一泊組のみなさん、これより戸入の船着き場まで、データ上片道8.4kmの工程を往復されます。
日帰り組のわたくしとジャバルさんは元へ戻り、帰路につきます。
門入への関門、この堰堤といいますか・・・
これが門入への関門でもあり、ここを通るともう門入ではないような複雑な感情を生み出し、まるで三途の川のような関門でありました。
ここでジャバルさんと同じような画像をとってみましたが・・・
私の画像はあまり意味のないものになりましたかなw
その後はボチボチ歩きながら砂防ダムで大休止!
帰路は門入から2時間半かけて、といいますかわたくしの大休止が多すぎてそれほどかかりましたが、13:50に門入を出て、16:20過ぎにはホハレ峠に到着です!
ここで気づきましたが、これは?
気づいたのは門入からの帰還後でしたが、この画像、朝のものですよw
ということは、「○○まめさん」のいたずら?w
何はともあれ無事帰還し、このあとジャバルさんと林道終点まで行ってみて、道の駅まで戻りました。
このあと解散したのですが・・・
本日お世話になった主催の山神さん、Akatora_nekoさん、セロ尾さん、TOMOさん、ぬまデラックスさん、balotさん、そして帰路もご一緒だったジャバルさん、お世話になりました。
残念でしたが、そらまめさん、お疲れさまでした。
お見送りのモタ郎さん、ありがとうございました。
それにスペシャルサンクストゥ~~「sero-さん」、門入在住の「広瀬さん」、ありがとうございました。
次回もどこかでよろしくお願いいたします。
↑ ↑ ↑
どれかクリックしていただけると元気が出ますw !(^^)!





















