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昭和の終わり頃まで、北海道の東部は中標津周辺に変則的な標津線というT字形の鉄道がありました。
本日ご紹介するのはその一部で、まずは根室標津駅跡になります。
かつて駅のあったすぐ横には標津バスセンターが作られています。
そしてその西側に根室標津駅跡がありますが、一見してわかりませんね~
現在は道路で駅跡が南北に二分されています。
こちらは北側、中標津方向になります。
そして南側の終点方向がこれ。
ここに昔、線路がたくさん通っていたとは思えません。
この芝生の中を進んでいきました。
すると・・・
蒸気機関車がありますね~
その先にはターンテーブルも・・・
一見外からは分からないのですが、こういう形で残されておりました。
昔はここから国後島が見えていたのでしょう~
案内看板も設置されていましたね。
以上が標津駅でした。
次に訪れたのは奥行臼駅跡。
こちらは駅舎が立派に残っておりました。
ホームは・・・
これまた立派に残っておりましたが、時々見に来る人がいるようです。
案内看板も立てられていましたね~
こういった昭和の産業遺産もしっかり残していってほしいなと・・・
この奥行臼駅跡があるのは別海町なんですが、この町名、私の知る限り「べっかい」町でした。
しかしいつの間にかテレビのニュースでは「べつかい」町と呼ばれるようになり、現地のローマ字表記も「べつかい」となっていました。
どちらが正しいのかわかりませんが、当時のままと思われる駅名標には「べっかい」となってますね~
まぁ国鉄そのものが大きな間違いをずっと犯していて、大昔は旭川が「あさひがわ」だったり、「まいはら」が正式名称だった米原が「まいばら」だったりと、いい加減なものでしたから(笑)
次はまともにいこうかな・・・











