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今から100年近く前の大正8年、「八草村」は北海道へ集団離村し、廃村となりました。
全盛時は30数戸140人以上が暮らしていたそうで、相当大きな集落であったことは間違いありません。
そして昭和59年には離村記念碑が建てられましたが、それは離村後65年が経ってからのものでした。
おそらく望郷の思いで3世4世の方によって建てられたものと思われます。
この八草村に関する記述がNET検索をしても非常に少なく、数少ないページを熟読しても、その正確な場所の記述は全くありません。
何年も前から探索を試みてはいましたが、全く分からぬまま時が過ぎました。
ただ分かっているのは八草峠の岐阜県側のどこかだろうということだけ・・・
しかし国土地理院の地図を見ながら、とあるページを読んでいると、その場所が見えてきました。
そして確信に変わったのが1年ほど前。
しかし探索の機会がないままに時が過ぎていきました。
そして2016年5月1日、ひるがのベースからの帰りに立ち寄ることにしました。
八草トンネルの岐阜県側から、旧酷道303号線に入ります。
ただし、入口はこうなってますので、自己判断を!
なお八草村の場所は皆さんが大切にされていらっしゃる場所と思われ、私もその場所については明記しませんのでご了承ください。
バイクを置いて、こんな獣道のような道を下ります。
下るとすぐに川に突き当たりますが、このあたりも集落跡のように思えます。
そこを左へ折り返し、下流へ向かいます。
ほんの20mほどで川を渡れそうなところに出てきました。
川の中央に小さな石がありますが、これが意外にしっかりしており、無事対岸へ。
対岸では小さな枝谷を渡ります。
ここは簡単です!
そして下流方向へ。
歩いていくと徐々に道幅が広くなってきます。
廃林道なんですが、すぐに湿地のような道に変わってきます。
歩く場所を選ばないと、たちまち靴の中に水が入ってきそうな感じです。
対岸には旧酷道が見えていますよ~
これ、探索の大きなヒントになるかもしれません・・・
堰堤が見えてきました。
随分と古い堰堤のようで、苔が凄かった!
堰堤の下に降りていくところはS字カーブになっていて、道は川のようになっています。
そして堰堤下に降りてきました。
その後も道はジュルジュルです。
そして時折道の痕跡がはっきりしなくなるところも・・・
しばらく行くと、道は乾いてきます。
すると前方の高台に・・・
ここまで入口から3~400mほどでしょうか?
ゆっくり歩くこと約15分、離村記念碑が見えてきましたよ~
下を覗くと川はまだ随分下を流れています。
離村記念碑到達です。
脇をよじ登って記念碑前に・・
上のベンチを一時的にお借りし、記念写真をタイマーで撮ったのが以前も紹介したこちら。
デブい醜いおっさんですのでモザイク掛けておきました(笑)
さて離村記念碑記載の内容ですが・・・
そしてNETでは出てこない、裏からの画像も。
そして記念碑を後にし、さらに奥へ。
振り返るとこのような場所に記念碑が建っています。
このような道を奥へ。
200mほど進むと、左手には広い更地のようなところが・・
住居跡と思われますね~
そしてついに石垣が現れました。
分かりにくいですが、住居跡とみて間違いないでしょう~
こちらも明らかに住居跡っぽいですね~
集落跡の一部と思われる場所はもう沼のような状態になっています。
道はこの集落跡と思われる先で、藪に還っておりました。
そして大きな達成感を感じながら、酷道を目指して戻りました。
帰りは安心してしまったのか、なんと川に落っこちてしまいましたよ~
左足が濡れてしまったのに何とも心地よかったですね~この時は・・
そして現地を後にしますが、驚いたことに帰り、酷道から離村記念碑が見えているのを発見してしまいました。
画像中央上に少しだけ見えています。
拡大すると・・・
春先か晩秋しか見られないと思いますね~
これが見られたところは以前もUPしましたがこんなところ。
カーブミラーの先で2本分のガードレールが落ちた、バイクの止まっているところからです。
場所を特定する大ヒントですね~
と言うわけで数年越しの八草村探索が無事終了しました。
ここはいつまでも静かに・・・ そんな思いのする素晴らしいところでした。
次回は晩秋に、周辺含めて再探索の予定です・・・ つづく・・・
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