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2025年7月2日(水)の記録です。
賑わいを見せる堺町商店街を切り上げて、山手のほうへ向かいます。
山手方面へは「見晴坂(出世坂)」と呼ばれる、勾配20%の旧坂を上っていきます。
小樽市の「小樽坂まち散歩」から、この見晴坂について一部引用いたします。
観光客でにぎわう堺町通り。通りの山側に沿って急ながけが続いています。ふうど館の向かい小路に入り、突き当たりから右に曲がると、がけに沿って上っていく細く急な坂があります。
坂を上っていくと、途中に数本の木があり、冬枯れの枝に残る実からキリの木だと知れます。上るにつれて、港と石狩湾が立ち上がってくるように展望が広がります。これが「見晴らし坂」です。
坂を上りきると、右手には高い石塀を巡らした立派な門構えの屋敷があります。約1500坪の敷地のこの屋敷は、海運業で財を成した板谷家が昭和2年に建てたものです。施工業者の大虎は当時一流の建築業者で、公会堂なども手掛けました。この屋敷は平成11年に売却され、現在は所有者が異なるため、ここでは「旧板谷邸」と表記します。
初代板谷宮吉(いたやみやきち)氏は安政4(1857)年、現在の新潟県生まれ。14歳で北海道に渡り、商店の奉公から努力の末独立し、信香町に荒物雑貨店を開業しました。その後、精米、しょうゆ醸造など多くの事業を手掛けました。戦後まで製造の続いた板谷醸造部の「イ印のしょうゆ」を懐かしく思い出す方も多いのではないでしょうか。
板谷家ではこれらの原料を郷里の新潟から運ぶため、明治26年に小型汽船を購入。これが海運業に乗り出すきっかけです。その後、船舶を購入し事業を拡大していきます。
ということです。
小樽市のページから引用いたします。
この建物は、小樽を代表する実業家寿原家の邸宅です。
創建者は、「小豆将軍」として著名な雑穀商高橋直治とされています。
水天宮の北側、急な傾斜地に建てられ、主屋から上手に2つの接客棟を連ねています。
庭園は、斜面を三段に地割りし、上段には和室に面して池を配した日本庭園があり、中段には洋間に六角雪見灯籠を配し、下段では小樽港を見下ろすことができます。
山手地区で見かけた教会。
では、小樽市内の廃線跡へ・・・
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