RJ**のブログ

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気ままな飛行機ジジイのブログです…。

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ANAのモヒカン・龍馬伝・坂の上の雲ラッピングジェットもだいぶこなれてきて、飛来してもあまり珍しくもなくなってきたが、ありがたいには違いない…ヽ(^o^)丿。年末年始は大雪で空港も大混乱!欠航になると困るのは承知だけど、飛ばせないものは飛ばせられない!中途半端な温情や配慮は事故のもと、定められたレギュレーションに従って粛々と仕事をするだけです。また、明日から雪になります、忙しくなると思うが、頑張らねば…。

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九州路線に専属投入されていたモヒカンジェットが他のローカルにもやってきた…。

空港あげて大盛り上がり!!グランドのお兄さんも休憩時間に写メとってたし、ANAの方々も感慨深げに写真を…とにかく空港勤務の40歳代以上のジジイにはたまらない、カラーリングなのです。部下に懐かしいだろ!っていったら、子供の頃のおもちゃもトリトンカラーだったのでとバッサリ…、フンッ!ガキには分からねえさと開き直り、昭和は遠く成りにけりとひとしきり昔話に話を咲かせてしまった…。



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戦後日本の航空機開発はGHQにより凍結され、日本の空からは、国産機の姿は消えた。1962年になってようやく国産旅客機YS-11がロールアウトし、日本の空に国産機が戻った、YS-11の名称は輸送機設計研究協会のYSとエンジン仕様と機体仕様案番号の組み合わせで11となった。製造分担の半分を三菱重工が担当、製造指揮に当たったのは、三菱から日本航空機製造株式会社に出向してきた東條輝雄、東条英機の次男である。東條一家は戦犯の家族としてあらゆる辛酸を嘗めつくしたが、一切の反論をせず、ただ鞭打たれる事に耐える日々だったという。父としての東條は輝雄に技術者になることを勧めたという、戦争が終わって必要になるのは技術力、日本には何もないが、知恵は誰にも奪われることはないと説いたと言われる。殺人鬼のように言われる東條だが、家庭では子煩悩で、ごくありふれた人間であったようです。YS-11は1972年に生産が打ち切りとなり、日本の空からは再び国産機の姿は消えた。戦闘機についてはライセンス生産や訓練機の製造が続けられてきたが、本格的な戦闘機の開発は三菱F-2 VIPER ZERO の登場を待つ事になる。三菱重工の社長・会長を歴任した飯田庸太郎は「防衛産業で日本のお役に立てなければ、三菱が存在する意味はない。儲かるからやる、儲からないからやらないではなく、もって生まれた宿命と思っている」と述べており、F-16ベースとは言うものの、国産開発率60%の三菱F-2はようやく日本に戻ったゼロファイターと言っても過言ではない。

最近のリージョナルジェット市場は、CRJ-200の独壇場からエンブラエルに移り始めているが、三菱がこの市場に割って入るためMitsubishi Regional Jet 三菱MRJを開発中、すでに125機の発注を受けており、YS-11と同じようにANAがローンチカスタマーとなっている。日本の空にMRJが飛べば、YS-11以来40数年ぶりの事となる、三菱の系譜は死なず…。