今日は姉から些細な問い合わせを頼まれたぐらいで、今のところ快く引き受けているのですが、その分体の不調や死にたいとか、家族が病人に対する理解がない、とうったえられています。

    気持ちに寄り添うべく、私も死にたいと共感すると「なんで?   健康なんだから死ななくていいでしょう?」と。

     「健康だって死にたいと思ってる人はたくさんいるでしょう」と返しました。

      健康な人が病気の人に寄り添えないように、病気の人も健康な人に寄り添えないのですね。

      あなたたちは健康に恵まれているのだから、病気の私に寄り添って、という要求に感じます。


       自宅で介護しながらそのメンタル面まで要求されれば、家族は頭がおかしくなるでしょう。

        しかし、私は姉と同居していないし神様が私にくださってる讚美のチャンスなのだから、どれだけ暗い言葉を投げつけられても冷静に対処したいものです。

      マザー・テレサの偉大な教えに、ざっくり言いますが「自分の身近なところで困ってる人にみんなが手をさしのべれば、世界平和は難しいことではない」というものがありますよね。

     おっしゃる通りです。これほど真理を突いた言葉はそうそうないでしょう。

      ただ、身近な困った人から助ける、というのは聖人でない凡人の私たちには難しいのです。


       まず、ボランティアで遠くの人、1人でも多くの人の手助けをしたり、友人知人の傷みに寄り添うよりも前に、本来は苦しんでいる家族に手をさしのべなければなりません。

       でも、近すぎて無理なんです。難しいんです。近すぎて自分も一緒に苦しむから難しいんです。


       今日の自費ヘルパーさんはとてもお掃除を得意とする方が来てくださってるようで、今あちこち掃除していただいているそうてす。助かります。