毒親ブームといいますか、今はそんなことまでがセクハラパワハラになっちゃうんだといった感じに、毒親の定義が広がりました。


     私の両親は正真正銘の毒親(母は癌で亡くなり、父は体に持病ありさらに認知症で今は高齢者住宅住まい)でしたが、めちゃくちゃ親孝行な息子や娘に恵まれました。

      兄は母にいろんな意味で依存され、姉は頭のおかしい身勝手な父に依存され。

      まああまり親の悪口言いたくないのでこのへんにしておきますが、そういう長年のストレスがALSを発症させたのかもしれません。


       姉自身はそう思っています。


      因果関係はわからないけど、私個人の気持ちとして、やはり鬱陶しい、憎い、死ねばいいと思うこともあった両親ですが、やはり嫌いではないのです。


     あの両親のもとに生まれてこなければ、もう少し楽な生き方ができただろうとは思います。
でも、今の人生になったのは、両親のせいだけではないのです。

      自分に偏見があったり勇気がなかったがために、今の自分にしかなれなかったのです。
親がそう育てたという考えもあるかもしれませんが、この年になってまですべて親が悪いなんて傲慢なことは思いません。


      冷静にみれば、私の両親にも良い面はありました。それ以上に悪い面ばかりが見えたわけですが。

     あんな父ですが、認知症なのをいいことに、姉の病気については一切話していません。

      高齢親を地獄の苦しみに突き落とすことは絶対したくないので、姉からも絶対に父には言わないでと口止めされています。

      あんな父でも娘が兄と同じ難病と知れば、世界の誰よりもそのことで苦しみ、悲しむでしょう。

      やはり親ですから、自分が代わりたいと切実におもうでしょうから。


       代われるものなら代わってほしいですけど。父は十分生きたのですから。


       まあ日々そんなことを感じていて書店で見つけた本が湊かなえさんの「ポイズンドーター・ホーリーマザー」です。

      タイトルから内容に察しはつくかもしれませんが、ネタバレしてしまうとダメでしょうから感想をここに詳しくかけないのが残念です。

      このポイズンドーターとされる女性の学生時代の同級生の複数の言葉に、目を開かれた思いがしました。私自身が母としても娘としても。

       自分の親を毒親呼ばわりしていますが、私自身も至らない親です。欠点だらけの親です。子供を守ろうと必死に頑張ってきたけど、弱く力もない不完全な人間ですから子供の心を傷つけたり、子供の思いに気づかなかったり。

     母親はこうあるべきと自分の母親を反面教師にして努力してきたけど、「こうあるべき」をやりとおすなんてできませんでした。
置かれた状況や精神状態によっては、そんな完璧な理想論通りの親なんてやっていられません。至らない親であることは、子供にはたいへん申し訳ないし、やはりそんな自分が情けなく思うことなのですが。


      でも、そういう経験があったからこそ、自分の親の至らなさを当然の権利のように責め続ける娘(ポイズンドーター)であることを止めることができました。
自分だけは完璧な母親でいようと思ったのはとんでもない勘違い人間、傲慢な人間、幼稚な人間でした。
私は勘違い野郎で甘えの強い毒親であり、毒娘だった(とはいえうちの親はどの基準からみても間違いなく毒親でしたけど)のです。


      まあそんな私がこの先品を読むことで、改めて自分自身が毒親であり毒娘でもあったことに客観的に向き合うことができました。

      ご興味があるかたはぜひお読みになってみてください。