小保方晴子さんのご著書の「あの日」って、とても売れてましたよね。
私も発売の初日か翌日に本屋さんに行ったら完売してていて、アマゾンでの取り寄せに数日かかりました。

     私にとっての「あの日」である姉のALS診断の日からそろそろ2年が経とうとしています。
診断されてた時には発症から3年経過とされたので、それからさらに2年が過ぎ、今では発症から5年が経ちました。

      ただ、姉が異常を自覚したのは、右足に力が入りづらいと思い始めた2021年の春なんですよね。

      医師に、「もっと以前から足が震えたりすることはなかったですか?」と言われて、そういえば2019年頃から車のブレーキを踏むと右足がブルブル震えるようになったというお話をしたところ、その時期にはもう発症していた、という診断に至りました。

       だから最初の2年は発症していることに気づかず過ごしていたわけです。

      でも、今思うと私の記憶違いでなければ、確かにその頃からでしょうか。歯の噛み合わせがおかしいといってたびたび歯科医院に行ってましたし、ぎっくり腰も繰り返していたので、それもALSの1つの症状だったのでしょうか。
     


     進行がとても早かった兄に比べて姉は緩やかに進行してきたと思います。


      ただ、進行が遅い方が良いとは言い切れません。
その分本人の恐怖や絶望が長いからです。

     兄は気管切開してしまったので長年寝たきりの生活が続きましたが、進行が早くて一切の延命処置をしなかった方々の話を聞いていると、語弊がある言い方かもしれませんが、うらやましく思えてしまいます。

      「急に容態が悪くなって
、あっという間でした」とか「緩和ケアをして苦痛が軽減された状態で旅立ちました」という話を聴くと、よかった、と思ってしまいます。 

     治療法や治療薬に期待が持てる状態ならなんとか進行が遅くあってほしいし、進行が早くても延命措置をして待ちたいです。


      残念ながら今そういう状態とは思えないので、進行が早く、サーッと過ぎ去ってしまった方が苦しみや恐怖がすくないのではないか、と思ってしまいます。
    

      これはあくまでも私の見解です。


     今日も親族が姉を訪問してくれて、かける言葉がなくて一緒に泣いていることしかできなかった、と。


        それがとてもありがたいです。
こういう難病の人にかける言葉なんてあるでしょうか。

     神様でもない限り、ありません。

     家族や身近な人間にできることは限られます。


     姉は自分の息子や旦那さんのこと、父の子とを心配しています。

     私にできることはその心配を無用にすることだけです。


       ただ、どれだけ苦しくても、患者家族は今のところ、これから先どれだけの年月を生きなければならないのかわかりません。
だから、患者本人にどれだけ寄り添っても、一体化しないようにしましょう。


      一体化して人生に絶望したままでは生きていけませんし、患者のためにできることもなくなります。

       神様が暇潰しにいろいろ経験したくて人間を作り、シナリオを作ったという話はよくそういった界隈や本で耳にすることです。

      でも、身内に複数人ALS患者が出たり、幼い子供がいながら余命宣告されるような病気を患ったり、そういった困難を私達はただひたすら意味もわからず耐えなければならないのでしょうか。

     神様が私たちを作ったのなら、説明責任があるとおもうのですが。
覚者によっては、人間にできることは何もないし、神様の人生だから人間に生きる意味はないと言う人もいます。

      なんて救いのない話だろうと嘆くしかありません。


      コン・エアーのニコラス・ケイジのセリフ大好きです。
絶望してる人にたいして「今、神がいることを信じさせてやる」って言うんですよね。その後次々敵をノックアウトして…。

       内容も面白いけど、特に好きな話でもないのに、何度も再放送されていたからその度に観ていました。
このセリフが聞きたいがために。

    こんな台詞を決めてくれる救世主が現れないものでしょうかね。

       
     先日、パソコン教室に通い始めました。
今日は自宅で習ったことの復習をします。


      難病だとか家庭不和だとか神様はどういうおつもりか、なんて世間から浮いた日常になっていても社会生活せざるを得ないのが人間です。

       そうそう、今日は亡くなった兄の誕生日でした。


       もうどこかに生まれ変わっているのでしょうか。今度の人生は楽なものでありますように。