どうも。最近の「努力すれば報われる」とか「メンタルケア第一」みたいな、お行儀の良いスポーツ漫画も嫌いじゃない。

だが、たまに思うわけですよ。

「俺たちの血は、もっとドロドロに熱かったはずじゃないのか?」と。

効率? コスパ? そんなものはマウンドやコートに置いてきた。

今回は、令和のコンプライアンスを正面突破し、読者の魂を物理的に揺さぶってくる「昭和スポ根の化身」たちを3作、限界オタクの視点で語らせてほしい。

1. 『エースをねらえ!』
——これはテニスを媒介にした「宗教」であり「求道」である
「ひろみ、エースをねらえ!」……この台詞の裏に、どれほどの血と涙と執念が詰まっているか。本作は、平凡な女子高生・岡ひろみが、宗方仁という「魔術師」に見出され、人間を辞めて「テニスという概念」へと昇華していく物語だ。

 ここが「狂気」:
   宗方コーチの指導は、今なら間違いなくSNSで大炎上、即刻解任レベル。
だが、そこにあるのはエゴではない。
自分の命の灯火が消える前に、一人の才能を完成させ、高みへ連れて行こうとする「狂気的なまでの無償の愛」なのだ。

 オタクの独白:
   後半、ひろみが「女」の幸せを捨て、孤独な頂へ登りつめる姿はもはや聖書。お蝶夫人の高潔なプライドも含め、この作品に流れる「凛とした空気感」は、今の漫画では絶対に味わえない。

2. 『侍ジャイアンツ』
——命を「使い捨ての弾丸」に変える、破滅の美学
巨人の星と並ぶ梶原一騎節の極致。
主人公・番場蛮の生き様は、スポーツマンというより「テロリスト」に近い。
巨人を倒すために巨人に入り、己の肉体がぶっ壊れるのを承知で魔球を投じる。
 
ここが「狂気」:
   「ハイジャンプ魔球」に「大回転魔球」。字面はキャッチーだが、その中身は「心臓に極度の負担をかける」「全身の関節を酷使する」といった、寿命の前借り。勝つためなら、マウンドで死んでも構わないという捨て身の精神。

 オタクの独白:
   理論や戦術を、圧倒的な「気合い」と「身体への虐待」でねじ伏せるカタルシス。現代の「選手寿命を考慮した育成」の対極にある、「今、この瞬間にすべてを燃やし尽くす」蛮の姿に、我々は言いようのない憧憬を抱いてしまうのだ。

3. 『あしたのジョー』
——「真っ白な灰」になるまで、自己を肯定し続ける孤独
もはや説明不要。

だが、あえて今、改めて問いたい。我々は矢吹ジョーのように、自分を燃やし尽くせているか?

 ここが「狂気」:
   ライバル・力石徹の減量。
あれはもはやボクシングの準備ではない。己の矜持を守るための「宗教儀式」だ。そして、そんなライバルを死に追いやってなお、リングに立ち続けるジョーの虚無。

 オタクの独白:
   ラストシーンの「真っ白な灰」。あれは敗北でも悲劇でもない。

自分という存在を、1ミリの出し惜しみもなく使い切った男の「究極の自己満足」だ。社会的な成功も、長生きも、世間体も関係ない。

ただ、自分が納得したかどうか。

その一点突破の生き様に、全細胞が震える。

なぜ今、昭和スポ根なのか
令和の作品は、キャラクターに優しい。それはそれで正しい。

だが、昭和のスポ根は、キャラクターに「お前は何者だ? 何に命を懸けるんだ?」と、ナイフを突きつけてくる。

「頑張る」の解像度が違いすぎるのだ。

効率化された現代社会で、心が乾ききってしまった貴方。ぜひ、これらの「劇薬」を摂取してほしい。

読後、鏡に映る自分の顔が、少しだけ野性的になっているはずだ。

さあ、全人類、昭和の熱量に焼かれて死ね(褒め言葉)。