おはようございます冴神剣です。皆さん生きてる事が辛いですか?私みたいな仕事をしていると、必然的に生きる事に疲れている状態にある人からの相談が多いです。もちろんその原因はそれぞれ皆さん違いますが共通点としましてどの方も非常に我慢強いと言えます。それはある意味、ストレスに強いと言う事でもあります。何故なら我慢する事は思い通りにならない事を抑えたり又、自分の本意を抑えて他者に合わせる訳ですから考えただけでも相当のストレスを抱えながら生きて来た人と言えるのではないかと思います。しかし同じように我慢強く生きていても人生を楽しんでいる人達もいます。この違いは何なのかと考えた時私が思うに、生きる事に疲れてしまった人は自分がしたくない事をあまりに我慢し過ぎて来たのではないかと言う事です。それは親の願望だったりあるいは他者からの評価が得られ易い事だったり又は劣等感や怒りを動機にして選んだ事を頑張り続けて来たのかも知れません。そしてそれらを満たす為に我慢して抑えて来たものは他ならぬ本当の自分がやりたい事だった訳ですからいくら我慢して頑張っても肝心の自分の心は一向に満たされない事になります。それゆえに生きるエネルギーがどんどん消耗して行ってしまう訳です。しかしもしその我慢強さを自分が本当にやりたい事の為に活かす事が出来たらどんな事でも実現可能にする能力がある人達だと皆さん思いませんか。またその為の我慢であるならば皆さん自分のやりたい事を叶える希望の光に向かって歩んで下さい。頑張った分だけ心も満たされると感じるはずです。生きる事に疲れてしまった時は体も心も弱っている時なのです。その弱った状態で先の事を考えても心配や不安が多く何かを選択をするにはあまり良い時だとは言えませんよね。それゆえに思い切って一度ゆっくり休む事も必要ではないかと思います。そして出来ればそんな時だからこそ自分とじっくり向き合い今まで抑え込んできた感情を開放すると良いのではないかと思います。そして自分がしたくない我慢と自分のやりたい事の為にする我慢を見極める事が肝心なのだと思います。幸せと言うのは決して周りの人に決めてもらうものではなく自分の心が感じるものなのですから。
おはようございます冴神剣です。皆さん私達の周りでは(駅とか街とか)高校生達が駅の近くにある傘置き場に雨が降れば必ずコンビニの傘を盗んで行くその若い高校生達はコンビニ前で平然座ったりしている。女の子なんて股を広げて座っているのだから呆れたものだ。それだけではなく平然としてタバコ吸ってたり、車内でドアの近くに座ったりする。私からしてみれば椅子に座るんじゃなくて車内ドア付近は立つものだと思うのだが何かとモラルを欠けるような行為が目立ちすぎる。私が幼い頃は親、学校の教師が厳しく躾けられたせいか社会的なマナー、車内で騒がない、お年寄り、体の不自由な人には譲りなさい、など厳しく言われたものです。もちろん私も相手に不愉快な行動、迷惑をかけるような事はしないように努力しております。しかし、今の大人達は悪い事しているにもかかわらずなぜ厳しく注意しないのでしょうか?私も高校時代の時に家の手伝いをしていまして、外の掃除の途中で私が効率悪いやり方していたのでたまたま通りかかった60代ぐらいの知らないおばあちゃんが正しい掃除の仕方を教えてくれたものです。まぁ~最初は驚きましたけどね。
でも教えて頂いたおばあちゃんに今でも感謝しております。しかし本当になぜ注意が出来ない人が増えたんでしょうね?それと小さなお子さんが何か悪い事していて注意したらその親が嫌がる人もいますほっといてください見たいな感じ。これもどうして嫌がるんですかね?
私から言わせてもらえるのならば素直にすいませんと一言いったら良いのにと思ってしまいます。私は東京生まれ東京育ちなのですが最近のそう言うモラルの無さには痛感しています。正直最近のモラルの無さにびっくりしました。道行く者達は周りを無視してると言うか、傍若無人な事をしていても誰も気にとめる所か見て見ぬフリ、明らかに倒れている人がいるのに無視して行く人々、私も階段からこけて駅のホームにたたきつけられて倒れた事あありますが、誰も助けてはくれません。近くにいた駅員でさえも大丈夫ですか?の一言もなく、視線を倒れた私に向けるだけ。海外から来た人間が始めて日本を見た時に何て冷たい国なんだろうと思われないか心配になるほどです。そう言えば以前和田アキ子さんがこんな話をしてるのをテレビで見ました。赤坂のオータニ前の横断歩道で車にひかれて明らかに横断歩道に倒れているのに、その横を何人も歩行者が無視して通りすぎて行ったのが、驚いたと言っていましたが、まさに今の社会現象ではないでしょうか。。私は叔母の教育で育ったせいか、悪い者には結構注意したり、人が困っていたら助けたり当たり前のようにしていました。
まあ私自身が人が悪い事は悪い!良い事は良い!と言うタイプと言うのもあります。電車で入り口付近にダベっていた高校生に注意したり、傍若無人な行動の人の事を申しますと混んでるのに人を倒すようにぶつかりながら電車から出てくる人など私はそう言うまわり迷惑を何とも思わない若者や大人達が許せない。子供や若者に我々大人が注意したり、ひどい行動は許さない!と言う意思表示を一人・一人がしっかり持つ事が大事だと思います。電車の席を占領していた高校生がいたら注意してあげようよ。注意しに行こうとしたら、めちゃめちゃ止めに入るの辞めようよ。バスの中で平然とタバコを吸う人がいたら注意してあげようよ。周りに迷惑かけてる人に対して注意しに行こうとしてるのにめちゃめちゃ止めるなら貴方が行きなさいよ。今の世間様は注意もしない何もしないと思われたいのですか?情けないとは皆さん思いませんか。まぁ~日本って国は、海外からも人が集まっているせいか、言葉は悪いですが、何処の馬の骨とも分からない奴がゴロゴロいるので、関わったらヤバイと思うのは無理のない事かもと知れませんけどね。それと日本人は余裕が無い人が多すぎて、ストレスを溜めている人が最近では増えて来ています。そう言う人が反社会的な行動をする事によってストレスを解消しているんでしょう。ちなみにですが、私の場合はっりと注意するタイプです。今も昔もどこであろうと変わりなく。中高生が傍若無人になったのは注意しない大人が原因だと私は思っています。それに高校生とか大きくなったら言っても皆さんお解かりのとおり大人の言う事など聞きはしないので、小さい時に注意される、怒られると言う事に慣らせなければならないと思っているので小学生以下にはけっこうきつく言います。中学生以上には諭すように、何故それが悪いのか、いかに迷惑なのかを説明します。大人に大しては我慢する事は私も我慢しますが、明らかにおかしいと思う時や迷惑だと思う時にはやんわりとお願い口調で言う場合もあります。男だったら取っ組み合いになる事もありますよ。しかし、私は特に子供は親だけでなく、周りの大人にも教育する責任があると思っているのです。子供と言う者は何が悪い事か、迷惑をかける事かが分かっていないのできちんと教えるのは大人の義務だと思っています。私達が小さい時に怖い雷親父がいて注意していたと言う事を絶やしてはいけないのです!ちなみに若い奴でも中高生でもきちんとした良い人も一部ではありますがいます。大人でも間違った人達は沢山いると言う事は分かっていますので皆さん若者だけが悪いと言ってる訳ではないので誤解のないように。
また日本人の中でも強い心つまり武士道精神をもつ人もいると思いますのでそこの所も誤解のないようにお願いします。
それを一緒に傍で乗り越えられれば良いのですが、それを乗り越えられない事が残念ならがらほとんどです。そのように人生を送っていてもゴールは見えてきません。そんな人生を送らない為に出会いを求めようとするのでしょう。そして、その先に幸福が待っています。出会いは偶然の中から生まれるものであり、全ての出会いは偶然の中で起こっています。いや、出会いと言うのは偶然でもあり奇跡でもあると言えるかも知れませんね。このように私が言うと矛盾しているように思われる事でしょう。ただ、これは哲学的な話をしようと言う訳では無く、偶然出会った者同士がお互いの行動を自分で決断した結果、その出会いに辿りついた事を忘れないで欲しいのです。それは必然的でもあると言えますがこれは恋愛に限らず、全ての出会いにおいても当てはまります。偶然は自分が歩んできた人生の中で選択して来た結果によるものだと言う事です。その選択した人生をお互いに歩んで行けるから必然として起こります。しかし、その必然の中で起こる出会いにおいて、2人が人生において偶然の中で重なりあわないといけない。それは偶然が巻き起こした奇跡でもあるからです。必然と言うのは結果的なものなのかもしれません。ただ、それさえも運命なのです。つまり、人と人が出会い、恋をして愛を育むと言う事は素晴らしい事で奇跡的な出来事なのです。だから、人は悩んだり落ちこんだりして、一人の事を思います。ただ、それ故に相手を尽き放してしまったり、無性に相手を求めてしまったりもします。人はただ傍にいるだけで良い存在に必要以上に求めてしまう弱い生き物なのかも知れませんね。恋と言うのは求められているものです。会いたい、いつまでも傍にいたいなどと思い事で満たされない気持ちで心が満たされます。その為に胸が苦しくなって、人によっては食事が喉を通らないと言う人もいるでしょう。恋と言うのは基本的には片思いの状態を言います。時には片思いだと思っていたと言う状況もあるでしょう。自分の気持ちを抑えなければいけないと言う状況からそのように胸をしめつけられるような思いになってしまいます。それでは、その恋は堕ちる瞬間どのような状況なのだと思いますか。出会っただけではそこから恋には発展しないはずですよね。そこに何か言葉に出来ない要素が加わる事によって心が動かされたり、相手に魅力を感じて恋へと発展して行くのです。一方で愛と言うのは与えるものです。恋とは違って無償で相手の事を思う事を言うのです。大切に思う事こそが愛と呼ぶようになります。恋は一人でも出来るのですが、愛は一人では出来ません。愛と言うのは色々な形がありますが、私の所では恋愛についての愛に限定させてください。恋が愛へとなる瞬間が恋が成就した瞬間なのです。その二人がお互いに恋をする事によって、お互いがそれを知った上で認めあう事になります。それが愛が誕生する瞬間なのです。だから、愛と言うのは実に尊いものなのです。無性に感じるからこそ恋愛と言うのは楽しいのです。幸せな気持ちになれるのは何故なんでしょうね。人を愛して愛される事に喜びを感じる事が出来る事に本当に感謝したいと思いませんか。そして、すべての出会いに私は心から感謝します。